〔二〕
セシリアが案内したアルディスの部屋。さすがに一国の王女の部屋であることは間違いないとミスティリーナは思っているのだった。
レースのカーテンを揺らす風。燦々と日の光りがさしこんでいる室内。部屋のあちこちには繊細な彫刻や絵画が飾られている。もっとも、ミスティリーナにしてみれば、そんな装飾品はただ眺めるだけのものだったろう。彼女は部屋の主がいないにもかかわらず、きちんと整理されいつでも生活できるようになっている部屋というものに驚いているようだった。
「やっぱり、お姫様の部屋よね……」
部屋においてあるものはどれも贅の限りを尽くした最高のものである。そのことに目敏く気がついたミスティリーナは思わずそう呟いていた。部屋の中にいるのは彼女の他にはセシリアだけである。なぜなら、アルディスの姿がみえないということが噂となって囁かれようとしている。そこへセシリアが黒魔導師を伴ってやってきたのだ。侍女たちは好奇の目でミスティリーナを見ているし、アルディスの部屋に彼女をいれるのを嫌がった。だが、セシリアの言葉には逆らえない。そして、彼女はしばらくの間、誰も来ないようにと命じているのだった。
「リーナ、何かわかるかしら」
彼女ならば何かわかるかもしれないと期待しているようなセシリアの声。それをきいた彼女は、セシリアの顔をマジマジとみているのだった。
「ねえ、リア。この部屋に隠し通路とかってないの」
ミスティリーナのその言葉に、セシリアはハッとしたようだった。どうして、そのことを思いつかなかったのだろうというような表情が浮かんでいる。
「あるわ。私ったらどうしていたんだろう。そこは一番に調べるべきよね」
そう言いながらセシリアはためらうことなく書棚の一つに近寄っていた。それを力任せに引いた彼女の前に、人が通れそうな穴がポッカリと口をあけているのだった。
「やっぱりお城ね。こういうものがあるんだ」
穴の中を覗き込むようにして、ミスティリーナがそう呟いている。そこはきちんと手入れがされているのだろう。薄暗くはあるが階段があるのがわかる。そしてセシリアは燭台を持つと、ミスティリーナを促すようにして、中へと入っているのだった。
「私も入るのは初めてなの。ここって、外に繋がる通路だってきいたことあるわ」
そう言いながら階段を下りていくセシリア。どこかに空気取りのための穴があいているのだろう。彼女の持つ燭台の火がゆらゆらと揺れている。ミスティリーナもどこか緊張した様子で言葉を発しようともしていない。ちょっと不安定ともいえる足場を確かめるように歩いている二人。やがて、これといった収穫もないままに隠し通路の出口にまで到着しているのだった。
「ここから外に出られるんだ」
そう言って振り向いたミスティリーナの目には城の塔が映っている。ということは、ここは城内ではないということだろう。そのことを彼女はセシリアに確かめているのだった。
「ええ、ここは城内じゃないわ。でも、何もなかったわね」
何か手掛かりがあるのではと期待していたセシリアの口調が力のないものになっている。そんな彼女を慰めるようにミスティリーナは明るい声を出しているのだった。
「今度は反対側からみてみれば? 一度じゃわからないものよ」
ミスティリーナのその言葉に、ちょっと元気を取り戻したようなセシリアがいる。二人は見落としたものがないかと気をつけながら、来た道を引き返しているのだった。そんな二人の前に、ちょっとした部屋が姿をあらわしている。
「ねえ、リア。これって隠し部屋よね」
「どう考えてもそうよね」
通路だけだと思っていた場所にある部屋。先ほど通った時は気がつかなかったのに、と思いながらもセシリアは部屋を覗いているのだった。
そこにはテーブルと椅子がある。まるで、お茶会でもしていたような様子。それを見た時、セシリアはあることに気がついたようだった。
「あ、あのバカ王子!」
セシリアのその勢いは『怒髪天をつく』という表現がピッタリだろう。彼女の思いもしなかった一面を目の当たりにしたミスティリーナは目を白黒させていた。
「リ、リア。落ち着こうよ。どうしたっていうのよ」
まるでわけのわからないミスティリーナは、そう言うしかできない。彼女のどこかオロオロしたような声に、セシリアも自分が一人でいるのではないと思い出したようだった。
「ご、ごめん。あんまり、腹が立ったから……」
「あんたの顔みたら、それはわかる。でも、できたらあたしにもわかるようにしてくれない?」
ミスティリーナのその言葉にセシリアはうなずいている。
「わかったわ。歩きながらでいいでしょう」
そう言うと、セシリアは階段を上がりながら話をしているのだった。
「リーナがこの国の生まれじゃないことを忘れていたのよ」
どこか疲れたような声でそう言っているセシリア。その声をきいたミスティリーナは彼女の言いたいことが、なんとなくわかるような感じがしているのだった。
「なんとなくわかる気がするセシリアがさっき言ったバカ王子って、お姫様の兄さんか弟でしょう」
自分が話さないうちからそう言ってくるミスティリーナの勘の良さ。そのことにセシリアは内心、舌を巻いていた。
「そうよ。アルディス様の兄君。アルフリート様っておっしゃるんだけれど、問題がある方なのよ」
そう言うなり、セシリアは再びため息をついている。この分だと、自分が何も言わない方が話しやすいと思ったのだろう。ミスティリーナは口をはさもうとはしていなかった。そんなミスティリーナの気配りにセシリアは感謝したように話し続けている。
「大きな声では言えないことだけど、アルフリート様がアルディス様にベッタリなのは、宮廷内でも有名なことなの」
「ベッタリっていうことは、その王子様、シスコン?」
黙っていようと思っていたミスティリーナだが、セシリアの言葉に我慢ができなかったようだった。自分でそう言ってから慌てて口を押さえているが、そのことをセシリアは咎めようとはしていない。それよりも、それを強調するような言葉が彼女の口からもれている。
「そうなのよ。その、シスコンなの! おまけに、アルディス様の結婚話が気に入らないって公言してるし」
苛々したような口調のセシリア。話しているうちに、ますますその思いが強くなったのだろう。彼女の口調はだんだんと辛辣になってきている。
「ホントにあのバカ。何を考えているのかしら」
階段を上がりながら、なおもブツブツ言っているセシリア。そんな彼女にミスティリーナは自分の疑問をぶつけているのだった。
「っていうことは、お姫様は結婚が決まっていたの?」
「正式じゃないわ。そういう話があったのよ。でも、それは当たり前のことでしょう」
「お姫様だもんね。でも、シスコン兄貴にしてみたら、妹をとられるって思うのかな」
セシリアの言葉にどことなく納得したようなミスティリーナ。二人はお互いに顔を見合わせながら、階段を上がっているのだった。
「リアがバカ王子って言ったわけがわかったような気がする。でも、そうだからって……」
「ここのことは誰もが知ってるわけじゃないわよ。私だって、隠し通路は知っていたけど隠し部屋までとは思わなかったわ」
「そっか。それもそうよね。誰もが知ってたら、役に立たないもんね」
「そうよ。だから、ここを使おうなんて考えるのは、あのバカぐらいよ」
「誰がバカだって」
話しているうちに、二人は隠し通路から出ているようだった。そして、その二人を出迎えたのがどことなく不機嫌そうな若い男の声。もっとも、セシリアはそんなことを気にしていないようだった。その声の主に彼女も不機嫌さを隠そうとはしていない。
「バカをバカと言うのがいけませんか?」
「で、そのバカは誰だって?」
「十分に心当たりはあられますでしょう。でも、お目にかかれてよかったです。アルフリート様におたずねしたいことがありましたから」
セシリアのその声に、ミスティリーナはこれがシスコン兄貴かとマジマジとみつめている。しかし、当のアルフリートはそんなことは気にもしていない。むしろ、彼はセシリアたちが出てきた場所に気がついた時、慌てたような表情を浮かべていた。
「き、ききたいことって何だろうな」
セシリアが聞きたいことの内容は見当がついているだろうに、すっとぼけた顔をしているアルフリート。そんな彼の様子に、セシリアは苛立ちを感じているようだった。
「アルフリート様、この奥にあるものが何かはご存知ですわね」
「こたえる必要はないだろう。それよりも、そっちの見たことない奴は誰だい?」
セシリアの質問にはこたえようともせず、逆にたずねかえしてくるアルフリート。そんな彼の様子に舌打ちしているセシリアだが、答えないわけにはいかない。なんといっても彼の方が地位も身分も上なのだ。仕方がないというような表情で、セシリアは口を開いている。
「彼女はミスティリーナといいます。アルフリートもご承知の件を解決するため、力を貸してもらっております」
「そうなんだ。黒魔導師のようだけれども、セシリアが決めたならいいか。で、何かわかったのかい?」
先ほどまでとは違う、どこかエラそうな彼の態度にセシリアの我慢も限界がきたのだろう。彼女はグイッとアルフリートに詰め寄ると、それまでの慇懃な態度をかなぐりすてていた。
「その質問は、そっくりお返ししますわ。私もこの部屋に隠し通路があるのは存じておりました。しかし、隠し部屋まであるとは存じておりませんでした。でも、アルフリート様でしたら、当然、ご存知でしたでしょうね」
「隠し部屋? どうだったかな」
ひょうひょうとした雰囲気すら与えそうなアルフリートの言葉。それを耳にしたセシリアは、彼が何かを隠していると感じたようだった。そして、このままでは埒があかないと判断もしたのだろう。彼女はアルフリートをキッと睨みつけていた。
「しらばっくれるのもほどほどにしてください。あそこに隠し部屋があることは、王族ならば知っておくべきことでしょう!」
セシリアの態度が豹変したことに、アルフリートもミスティリーナもすっかり驚いてしまっていた。
「セシリア。お、落ち着こうな……」
彼女の気迫に押されたのか、おどおどした態度のアルフリート。しかし、そんな彼にセシリアは容赦などするつもりはないようだった。
「アルフリート様がアルディス様の縁談にいい顔をなさっていらっしゃらないことは承知しております」
遠慮というものも感じられないようにいい続けるセシリア。一方、アルフリートはそうやって言われっ放しになりそうな形勢をなんとかして盛り返そうとしているようだった。
「だって、反対もするだろう。誰が可愛い妹をあんなヤツにやらないといけないんだ!」
「それはアルフリート様だけのお考えです。陛下のご意向、アルディス様のご意思はどうだったのですか」
セシリアは、この結婚話を反対していたのはアルフリートだけだということを知っている。だからこそ、辛辣な言葉になるのだが、言われている本人は気にすることもない。彼は彼なりの論理を展開しているといえるのだった。
「父上は政略的なことも考えておられるんだろう。それだったら、アルディスがそれに逆らえるはずがないだろう」
「陛下が国のためにと考えられたことに反対なさるわけですか。それが王太子としての行動ですか」
半ばうんざりした表情でセシリアはそう言っている。しかし、アルフリートには関係ないようだった。
「政略が大切なのはわかる。でも、それとこれは話が違うだろう。あいつがアルディスに惚れてるのか?」
「王族の婚姻は国を繋ぐ最高の絆となりえます。それをつぶそうとなさるからには、きちんと確かめていらっしゃいますよね」
「そんなこと、する必要ない! 僕がそう感じているんだ。間違っているはずないだろう!」
「……シスコン……」
アルフリートの身勝手ともいえる言葉の数々。それを聞いていたミスティリーナはボソッと呟いていた。そんな彼女の声が聞こえたのか、アルフリートは反論している。
「シスコンじゃないさ。妹思いといってほしいね」
「それがシスコンなんじゃない」
アルフリートの言葉に呆れたような声を出しているミスティリーナ。そんな彼女に同調するように、セシリアも言葉を続けていた。
「ミスティリーナの言うとおりです。そして、アルフリート様のなさったことは、陛下のご意思に反することではありませんか? アルディス様をそそのかして、隠れていらっしゃるようにおっしゃったのでしょう。どうして、そのようなことをなさったのか教えていただきたいですわ」
アルフリートの性格をセシリアはよく知っている。だからこそ、大人しくしていたら自分の知りたいことなど聞き出せないと思ったのだろう。王太子であるアルフリートに対して、乱暴ともいえる言葉の数々だが、効果の方は間違いないといえるのだった。
「そそのかしたって人聞きの悪いことを言うんじゃない」
セシリアの言葉が的を射ていたことを証明する声。そして、苦虫をつぶしたようなアルフリートの顔。それを見たセシリアは、自分の考えが的外れでないと確信したのだろう。アルフリートを追及する声に、ますます力が加わっているのだった。
「やっぱりでしたのね。でしたら、説明してください。アルディス様はどちらに行かれたのですか?」
「なんだって! アルディスは隠し部屋にいないのかい?」
セシリアの言葉にアルフリートは真っ青になっていた。彼は慌てて隠し部屋に入っている。しかし、そこに誰もいないという事実に、彼は呆然としてしまったのだった。
「う、うそだろう……」
「アルフリート様、説明していただけますか?」
予測もしていなかったことを目にして呆然としているアルフリート。そんな彼に追い討ちをかけるようなセシリアの声。この事態になって、さしもの彼も自分の知っていることは白状するしかないと観念したようだった。
「僕がアルディスに隠れているように言ったのは間違いないさ」
「どうして、そんなことを?」
そうたずねるセシリアだが、大体の理由はわかっている。そして、それを考えると苛々するのだろう。どこか棘のある口調で、彼女は話の続きを促しているのだった。
「アルディス自身も不安だったみたいなんだ」
「この結婚が政略結婚だって思ったから? かもね。女の子ならそれが当たり前かな?」
お姫様とはいっても普通の女の子なんだ。そう思ったミスティリーナはポツンとそう呟いている。彼女のその声に、アルフリートは力を得たようだった。
「だから、アルディスに言ったんだよ。父上が本当にお前の幸せのことを考えているなら、お前が姿を消せば必死で捜すだろうし、ちゃんと気持ちもきいてくれるだろうって」
「その口車にアルディス様はのってしまわれたわけですね」
大体の事情がわかったセシリアの口調は冷ややかとしか言いようがない。そんな彼女の様子にビクビクしながらも、アルフリートは話し続けるしかないようだった。
「でも、それもそろそろやめるつもりだったんだ。周りも騒ぎ始めているし。で、アルディスにそのことを言いにきたら、お前たちがいたわけでさ……」
アルフリートのその言葉に、セシリアは何も言えないようだった。盛大についたため息が、彼女のやるせなさを物語っているのだろう。
「では、アルフリート様は本当にご存知ないのですね」
事実を確認するようなセシリアの言葉にアルフリートはうなずくしかない。それをみたセシリアはどうすればいいだろうと悩んでしまっていた。その時、その場にやってきた相手の姿をみたセシリアはホッとしたような表情を浮かべているのだった。
「ジャスティン、ちょうどいいところに」
「セシリア、どうかしたのか」
その相手の格好は、きちんと着ていればそれなりの地位だと一目でわかる軍服。しかし、それをだらしなく着崩し、どことなくくたびれたような印象も与えている。もっとも、セシリアはそのことを気にせずに話している。しかし、ミスティリーナにとってはそうではない。一体、この相手は誰なのだろうというような顔で彼女はその相手をみているのだった。
「このシスコン王子から事情をきいておいていただけます?」
「事情って、例のことか?」
「そうよ。あなたのことだから、陛下から話はきいているでしょう。私、このバカ王子の相手をしていたら、気がおかしくなりそうだから」
セシリアのその言葉にジャスティンは思わず苦笑いを浮かべている。その彼は彼女と一緒にいるミスティリーナが黒魔導師の姿をしているのに驚いてしまっていた。
「そりゃ、お前の頼みならきいてやるがな。それよりも、そっちの奴は黒魔導師だろう。何を考えてる」
「お抱えの連中よりも頼りになるわ。それよりも何かわかったことありまして?」
ジャスティンの役目が情報収集であることを知っているセシリアはそう尋ねている。おそらく彼ならば、誰よりも情報を持っているだろうという期待がセシリアにはあったのだった。
「いや、今のところは何もない」
彼のその返事にガックリしたセシリアだが、それではいけないと気を取り直してもいるようだった。
「仕方ありませんわね。でしたら、何かわかったことがありましたら、ウェリオの宿まで。しばらくはそちらにいますから。リーナ、行きましょう」
それだけ言うと、セシリアはその場から立ち去ろうとしていた。そんな彼女を止めようとしたジャスティンだが、彼女の雰囲気がそれを許そうとはしていない。そして、彼自身もセシリアの言葉の端々から、アルディス失踪の鍵を握っているのがアルフリートだということに気がついたのだろう。彼を見る目にはどことなく冷たいものもある。
「アルフリート様、話をきかせていただきましょうか」
ジャスティンのその声にアルフリートはなかなか返事ができない。彼はセシリアに『バカ王子』と言われたショックが抜けきっていないようだった。そんな彼の様子をジャスティンはため息をつきながらながめるしかないようだった。
※
アルディス失踪の原因がおぼろげではあってもわかったことは幸いだろう。しかし、その原因となったのが彼女の兄であるアルフリートだということに、セシリアはこれからどうしようかと考えてしまっていた。ミスティリーナが常宿にしているウェリオの宿の一室をとったセシリアだが、その口からはため息しか出てこないようだった。
「リア、これからどうするの」
みかねたようなミスティリーナの声にもセシリアは返事をすることができない。それでも、いつまでもこれではいけないという気持ちもあるのだろう。彼女は何かを吹っ切ったような顔でミスティリーナをみているのだった。
「心配かけたわね。ちょっと、つきあってほしいんだけどかまわない?」
「いいわよ。だって、あんたはあたしの雇主なんだし」
ミスティリーナのその声にセシリアはどことなく感謝しているような表情を浮かべているのだった。そうして二人が出かけた先。それは、華やかなグローリアの都には似合わないような建物だった。誰も住んでいないような古びたそこ。その建物の扉をあけたセシリアは、ミシミシ音をたてそうな階段をミスティリーナと一緒に上がっているのだった。
「ねえ、リア。こんなところに人が住んでいるの?」
どう考えても人が住んでいないような建物。それなのに、セシリアの返事はない。彼女の顔には心配することはない、というような表情が浮かんでいるだけ。
「わかったわよ。一緒に行くわよ。でも、この階段、怖いわね」
お化け屋敷といっても過言ではないような建物。そこに入るのはおっかなびっくりな面もあるのだろう。内心、行くと言うんじゃなかったと激しく後悔しているミスティリーナだった。しかし、セシリアはそんなことは気にもしないという風にある部屋の扉を叩いている。彼女にとっては、アルディスの行方を一刻でも早く知りたいという思いしかなかったのだろう。
「グラン・マ、いるんでしょう」
「その声はリアだね。入っておいで」
セシリアの声に応えるように中から聞こえてくる声。それを耳にしたセシリアはミスティリーナを促すと部屋に入っていた。その部屋も建物と同じであちこちがかなり傷んでいるようにみえる。そしてセシリアは、部屋にある大きな揺椅子にちんまりと座っている老婆に近寄っているのだった。
「グラン・マ、教えてほしいことがあるのよ」
「相変わらずせわしい子だね。とにかく、そこにおかけ」
グラン・マと呼ばれた老婆はセシリアをたしなめるようにそう言っている。そう言いながら二人に椅子を指し示すその手は枯枝のように細いものであり、彼女がかなりの高齢であることを物語っているのだった。
「あまり、のんびりできないのよね」
椅子に腰掛けながらセシリアはそう言っている。しかし、グラン・マはそんな彼女の様子にも態度を変えることはないようだった。
「あんたの知りたいことはわかっているよ。でも、焦ったからどうなるってものでもないだろう」
「私はまだ何も言ってないわよ」
自分の焦りをみすかされたようなグラン・マの言葉に、セシリアはちょっとムッとしたような顔になっている。しかし、グラン・マはそんなことを気になどしていないようだった。
「あたしは占いのババだよ。忘れたのかい?」
「それはそうだろうけれど……」
グラン・マの言葉に、セシリアは力なくこたえている。その時、グラン・マはミスティリーナの存在にも気がついたのだろう。改めて彼女の顔をジッとみているのだった。
「それはそうと珍しい連れだね。あんたは火のお嬢さんだろう」
「えっ?」
急に声をかけられたことで、ミスティリーナの声は裏返っている。
「火のお嬢さんって、あたしのこと?」
おどおどした様子でそう言っているミスティリーナ。そんな彼女にグラン・マは当たり前というような顔をしている。
「ここには、あんた以外の者はいないだろう。あたしは、リアのことは前から知っているからね」
「そりゃ、あたしの使う魔法は火だけどね」
初めて会った相手のことがわかるということにミスティリーナは唖然とした顔をしている。そんな中、セシリアの苛ついたような声が響いていた。
「それがわかるのは相変わらずだと思うけど、私の話もきいてよ」
「あんたが焦っているのはわかっているよ」
「わかっているならどうして……」
思わずそう呟いているセシリア。そんな彼女にグラン・マはゆったりとした口調でこたえている。
「でも、焦っちゃいけない。そうしたら、手に入るものも入らなくなるよ」
そう言うとグラン・マはのんびりと揺椅子を揺らしている。それを見たセシリアは自分が苛立つ気持ちを押さえることができないようだった。
「グラン・マしか頼りにできないのよ。どうして、そんな風にしか言えないのよ」
「だって、今回のことは聖王女が絡んでいるんだろう」
ポツリとそう言うグラン・マの声に、セシリアもミスティリーナも何も言えないようだった。
「だから、次の新月の日においで。それまでに占っておいてあげるよ」
そう言うと話はそこまでといわんばかりに軽く目をつぶっているグラン・マ。こうなったら、何も教えてもらえないことをセシリアは知っている。彼女はミスティリーナを促すと、静かに部屋から出ていっているのだった。二人が出ていったのを感じたのか、グラン・マはゆっくり目をあけている。
「リア。あんたはあたしがどういう存在か知っても、今と同じにしてくれるんだろうか……」
賑やかに喋りながら出て行った二人。その二人はグラン・マがそのようなことを思っているとは考えもしていなかったのだった。
そして、グラン・マと約束した新月の日。セシリアとミスティリーナは、また彼女の家を訪れているのだった。
「グラン・マ、約束は覚えているんでしょう」
この数日間、セシリア自身も手をこまねいていたわけではない。彼女なりにできる限りのことはやっている。しかし、その成果まるでないことにセシリアは苛ついているようだった。
彼女が捜しているアルディスが目立つ相手であることは間違いない。その彼女が気配すら感じさせずに姿をけしている。そして、セシリアが期待していたジャスティンのもつ情報網、城のおかかえ魔導師も何の手掛かりもつかめていない。つまり、セシリアにとってはグラン・マという相手が、最後の希望の光でもあるのだった。
「約束は覚えているよ。まあ、そこの椅子におかけ」
「早く教えてちょうだい。いつもなら役に立つジャスティンの情報網にも何の反応もないのよ」
グラン・マにそう言っているセシリアの様子は、意気消沈というのが一番相応しいだろう。もっとも、彼女と一緒にいるミスティリーナはそれほど焦った様子はみせていない。それは、彼女がセシリアに雇われているということも原因だろう。そんな対照的ともいえそうな二人の様子をみながら、グラン・マはゆっくりと口を開いている。
「リアにしてみたら、何を勿体ぶってっていう思いがあるんだろうね」
「そうよ。私がどれほど心配しているか、グラン・マもよく知っているでしょう」
できるだけ穏やかな口調で、とは思っていてもそうはできないのだろう。セシリアの声には焦りの色がにじんでいる。そんな彼女をみながら、グラン・マは占いの結果を話しているのだった。
「あんたをがっかりさせる結果しか言えないんだよ。結論から先に言うと『わからない』っていうしかできないね」
「どうしてよ。いつもなら、ちゃんと答えをくれるじゃない!」
思いもしなかった言葉を耳にしたことで、セシリアは思わず大声を出してグラン・マに詰め寄っている。そんな彼女にミスティリーナはポツリと声をかけているのだった。
「リア、落ち着こうよ。おそらく、聖王女という存在が大きすぎて占いきることができないんだと思うから」
「そうなの?」
セシリアよりも占いのことを知っているミスティリーナの言葉。それを聞いたセシリアの表情はかすかに明るくなっている。そして、グラン・マもその言葉に賛同するように大きくうなずいているのだった。
「さすがは火のお嬢さんだね。そのとおりだよ。聖王女という占うにはあまりにも大きな存在が絡んでいるからだよ。道はいろいろと示されている。でも、そのどれもが正解であり不正解。グローリアの聖王女という要因が入ったとたん、結果は大きく変わってしまう」
グラン・マの言葉は、セシリアが望んでいる明快なものではない。しかし、その言葉は信用できるものだと彼女は感じている。そうである以上、彼女はいつもと同じようにグラン・マの意見をきくしかないのだった。そんな彼女の様子がわかっているのかいないのか、グラン・マは占いの結果を告げている。
「あちらこちらに痕跡はみえるよ。うん、それは全部、聖王女の白い光だ。でも、その光を消しかねない影も一緒にみえる」
「その影って何なの?」
グラン・マの言葉に興味をもったらしいミスティリーナがたずねる声。しかし、それに返事はかえらない。グラン・マは託宣を与えられたかのように言葉を続けている。
「白い光を求める小さな光が幾つもあるね。それがお前さんたちだ」
「えっ、あたしも?」
グラン・マの言葉にビックリしたように目を白黒させているミスティリーナ。よもや、自分もとは思っていなかったのだろう。呆然とした顔でグラン・マをみつめている。
「そうだよ、あんたもその中の一人。だからこそ、リアと出会ったんだよ、火のお嬢さん」
「ねえ、その呼び方やめてほしいんだけど。あたしはミスティリーナ。知り合いはリーナって呼ぶから」
「そうかい? じゃあ、そう呼ばせてもらうよ」
グラン・マのその言葉にミスティリーナはやっと安心したような表情を浮かべていた。
「これでスッキリする。火のお嬢さんってあたしには絶対、似合わない呼び名だもの」
そう言うとミスティリーナはおかしそうに笑っている。そんな彼女の顔をグラン・マはじっとみつめているのだった。
「リーナ、ババからの忠告を受ける気はあるかい?」
「何なの?」
ミスティリーナはグラン・マが何を言い出すのだろうかと怪訝そうな顔をしている。そんな彼女を安心させるようにゆったりとした口調でグラン・マは話しているのだった。
「あんたが火をつかうのはわかっている。でも、それ以外はつかえるかい?」
「グラン・マ、どういう意味なの?」
ミスティリーナが返事をする前に、思わずセシリアがそう言っていた。何か不安なことがあるのだろうかというような色がその顔には浮かんでいる。
「こんなことを言うと心配になるのはわかっている。でも、知っておく必要のあることだよ」
「わかっているわ、グラン・マ。でも、リーナは魔法だけじゃないの。格闘技もできるってギルドからきかされたわ」
「格闘技ができるのかい。それなら、少しは安心できないでもないね」
「グラン・マ、何をどこまで知っているの? 最初の言い方だと何もわからないって感じだったのに」
グラン・マの言葉にどことなく矛盾を感じたようなセシリア。彼女はグラン・マが何かを隠しているのではと疑っているようだった。もっとも、当のグラン・マはセシリアに軽くあしらわれるような相手ではない。彼女はちょっと肩をすくめながら、セシリアの疑問にこたえていた。
「あたしは全部を知っているわけじゃないんだよ」
「だったら、どうして」
自分の知りたいことは自分の力で獲得しなければいけない、とセシリアは感じたようだった。彼女は、のらりくらりと逃げるグラン・マの言葉尻をつかまえようと必死になっている。
「さっきの言い方だと、リーナが火の魔法しか使えないのが不安みたいだったわ。どうして、そう言うのよ」
「何度も言ってるけど、今回のことはあたしにも全部みえているわけじゃない」
先ほどと同じ言葉をグラン・マはセシリアに言っている。
「なんといっても、聖王女という存在は大きすぎるからね。そして、彼女をめぐる影が大きいことも間違いない」
「それは、さっきも聞いたわ」
何度も同じことを聞かされて、セシリアは少々うんざりしている。だからこそ、返事も投げやりなものになっている。しかし、グラン・マはそれを気にすることなく言葉を続けているのだった。
「だからこそ、巡り合う相手を大切におし。最初は関係のない出会いに思えても、決してそんなことはない。リア、あんたを中心にして人々は集まってきているのさ」
自分の態度を気にもせずに淡々と語られるグラン・マの言葉。その意味がわかった時、セシリアはどこか感慨深げな表情を浮かべているのだった。そして、思わず自分と一緒にいるミスティリーナの顔を改めてみてもいる。
「ということは、私がリーナと一緒にいるのも必然というわけね」
「そうだよ。あんたたち二人は見えない糸で繋がっている。その繋がりを無視することはできないよ」
その言葉に今度はミスティリーナが反応したようだった。気の強そうなその目の色が、ますますその度合いを強くしているようにみえる。
「じゃあ、あたしとリアがパーティーを組むことは決まっていたの? ついこの間まで、お互いのことを知りもしなかったのに?」
信じられないというようなミスティリーナの声。しかし、グラン・マは動じるところがないようだった。
「それが運命の不思議なところさ。聖王女というこの世に二つとない存在を軸にして、あんたたちは繋がったんだよ。これからもそうだよ。その時は、迷ったりしちゃいけない」
「まだ仲間が増えるの?」
ミスティリーナの声に、グラン・マはうなずいている。
「あたしが全部みえていないことは間違いない。でも、これは確信をもって言える。もっとも、聖王女をめぐる影がとてつもなく大きいことも間違いないがね」
グラン・マのその言葉にため息をついているセシリア。彼女は言葉の端々から、アルディスをみつけることが簡単なことではないと改めて感じたのだろう。しかし、それは最初からわかっていたこと。今は、先のことを考えないといけないとも思っている。
「じゃあ、これからもリーナみたいに協力してくれる人がみつかるの?」
「最初は味方のようにはみえなくてもね。あんたを中心に集まるんだよ、リア。辛いこともあるかもしれない。でも、集まった仲間を信じれば、道は必ず拓けるものさ」
セシリアにそう言うと、話は終わりといわんばかりにグラン・マは軽く目をつぶっている。そんな彼女に、ミスティリーナは自分の疑問をぶつけているのだった。
「それはそうと、あたしが火の魔法しか使えないのが不安だって言わなかった?」
自分の魔法には自信をもっているのだろう。グラン・マに対して『どうして、そう言うのか』と言いたげな表情を浮かべている。ミスティリーナの声にゆっくりと目をあけたグラン・マ。彼女はミスティリーナのそんな挑発的な態度にも顔色一つ変えようとはしていなかった。
「何回も言うけれど、聖王女をめぐる影は尋常じゃなく大きいんだよ。水晶玉を真っ黒にしてしまうくらいにね。それは、聖王女が聖王女である以上、仕方がない」
「だから、それとこれとがどうやったら結びつくのよ」
なかなか本題に入らないようなグラン・マの言葉に、ミスティリーナは苛々しはじめている。
「だから、火の魔法が効かない相手がいるかもしれないだろう」
そんなこともわからないのかい、といわんばかりのグラン・マの口調。それを耳にした時、ミスティリーナはようやく納得したようだった。先ほどまでの苛々した表情がすっとその影をひそめている。
「言われてみたらそうだわ。今まで、考えてもいなかったけど」
ミスティリーナのこの言葉にグラン・マは穏やかな表情でこたえていた。
「無理をすることはないよ。自分が使える属性は自分が一番よくわかるからね」
グラン・マのその言葉にうなずいているミスティリーナ。そして、セシリアは何かがわかったようなわからないような不思議そうな顔をしているのだった。
「ウェリオの宿にお戻り。今頃は、あんたたちの帰りを待っている奴がいるはずだからね」
「それは予言なの? わかったわ。どうやら、これ以上は教えてくれないみたいだし宿に戻るわ。でも、また困ったことができたら来てもいいでしょう」
セシリアのその声にグラン・マは静かにうなずいている。それをみた彼女はミスティリーナを促すと、ウェリオの宿に戻っているのだった。




