前編
「……本当にいいのね?」
何度も確認する様に訊ねているのは、私の行きつけの美容院の麻里歌さん。
「うん、思いっきり切っちゃって!」
もう何度目かも判らないやり取りに、いい加減辟易している。
本当、一気にばっさりと切ってくれたら、せいせいするのに。
「じゃ…行くわよ」
鏡越しに私に確かめながら、麻里歌さんは銀色に光る鋏を肩先へと持って行く。
シャキッ---鋏が閉じる音と共に、一房黒い髪が肩先から床へと滑る様に落ちていった。
それを目で追いながら、私はここに来る事になった理由を思い出していた。
野々宮香澄、17歳。公立高校2年生。極普通の女の子だと思う。平凡な顔立ちに背が平均より高め、ただ唯一自慢出来る事---それは腰まである長い髪。癖が全く無い艶やかな黒髪。背中で揺れているその髪の毛を友達は羨ましいと言っていた。
でも、あまり長いのも大変なんだけどな。髪を洗うのも乾かすのも、凄い時間が掛かってしまう。何度切ろうと思った事か。だけど勇気が無くて小さい頃から今まで、この長さを保っている。
それが、何故……肩までの長さに切ろうと思ったのか。
私には密かに好きな人がいる。
槇野健人、中学が一緒で高校に入ってから、よく話す様になった。
誰にでも分け隔て無く接する彼に、いつの間にか好感を持つ様になっていた。
そんな彼の好きな女の子のタイプが『ショートの似合う子』―――私とは真逆の女の子。
ある日、彼とその友達が休み時間に話していたのが、好きな子のタイプ―――
「おい健人、お前の好きな子って誰だよ?」
槇野君の友達が彼に訊ねると「いない」との返事。
私は近くの席で友達2人と話しながらも、彼らの会話に耳を傾けていた。
「それじゃ…どんな子がタイプなんだ?」
「うーん、ショートヘアの似合う子かな?」
「へぇ……意外。俺はてっきり…」
「何だよ?」
その後の彼らの会話は、私の耳には入らなかった。
ショックだった。何時だったか、彼と話をしている時「野々宮の髪、綺麗だな」って槇野君が誉めてくれて、更に手入れを念入りにするようになった。
――― 社交辞令だったんだよね。それなのに、有頂天になって莫迦みたい ―――
だから、私は決心した。
失恋したら髪を切るって言うし、どうせなら彼の好きなショートカットにして、告白をしようと。
……もしかしたら、OKがもらえるかもといった、下心が無いわけでもなかった。
「香澄ちゃん、この長さで切っていいの?」
肩までの長さになった私の髪を摘まみながら、麻里歌さんは鏡越しに訊ねた。
小さく頷くと、麻里歌さんは再び私の髪に鋏を入れた。
シャキッ……シャキッ…小気味いい鋏の音に、思わず鏡に映る麻里歌さんの手の動きを目で追う。
肩まであった髪が更にカットされていく。サイドは耳がギリギリ隠れるくらいで、レイヤーとシャギーが入っていく。
長い時は気づかなかったけど、短くなった私の髪は軽くなった為か緩くウェーヴがありフワフワとしていた。
「あれ? 香澄ちゃんの髪って少しクセがあるのね?」
麻里歌さんもカットしながら、驚いた様に私に告げた。
「私も今知りました。びっくりです」
「でも、可愛いわよ。うん…これは良いんじゃないかな? 香澄ちゃん、すごくショート似合うわ」
そう言って、鏡越しに私に笑いかけてくれた。
本当かな?
今まで1度も髪を短くしたことのない私には、似合うのかどうかすら判らない。
私が不安そうな表情をしていたからだろう、麻里歌さんは更に言葉を続けた。
「香澄ちゃんって、顔が小さいじゃない? それに顔の形は綺麗な卵形だし肌も白い。そうねぇ…髪の色も少し明るめにしたらいいかも」
「髪の色も変えて下さい」
麻里歌さんの言葉にすぐに私は反応した。茶色い髪色……友達はみんな明るめの髪で、私はいつも浮いていた。いい機会だから、それもやってみよう。
「え? ち、ちょっと香澄ちゃん……いいの?」
「はい、校則に引っかかる様な明るいのは駄目ですけど、少しくらいなら明るくしても大丈夫ですよ」
私の言葉に麻里歌さんは、俄然やる気を出した。
「任せて!香澄ちゃんを今まで以上に可愛くしてあげる。そしたら男の子達が放っておかないわよ」
他の人なんて要らないのに……彼だけが見てくれたら。
鏡に映る自分の顔を見つめながら、そんな事を思っていた。
「完成! どう?」
「……すごい」
鏡の中の自分は、見知らぬ女の子の様だった。
髪はやや明るめの栗色に染められ、クセ毛の為に緩やかなウェーブがあるショートボブに仕上がっている。
生まれて初めてのその髪型は意外にも、私に似合っていた―――
髪が長い頃は『大人しい子、真面目な子』のイメージが強かった。
だけど、今の私は自分で言うのもなんだけど『キュート』と言う言葉が当てはまる気がする。
「ねぇ、香澄ちゃん…ついでにメイクもしてみる?」
鏡をじっと見つめる私に、麻里歌さんが楽しそうに訊いてきた。
「え?」
「だって、こんなに可愛くなったんだもの…もっと可愛くしよう?」
そう言って麻里歌さんは私の前にメイク道具を広げ始めた。
「香澄ちゃんは肌が綺麗だから、軽く粉をはたく位で充分。あとは眉を整えて……そうねチークをふんわりといれて、アイシャドウとマスカラで目力を強調すれば……うわ、香澄ちゃん?」
麻里歌さんがメイクを施してくれている間、私はずっと目を瞑っていた。彼女に名前を呼ばれて漸く目を開ける。
「見てっ! どう? どう? 凄い可愛いわよ」
誰ですか?
先程の髪型だけでも充分変わったと思うのに、メイクをした私は自分でも思わず目を疑うほど、今までの私とは別人だった。
「すごい……」
「香澄ちゃん、元が良いからメイクで更に可愛くなるね。いやぁ…久々に遣り甲斐のある仕事したって感じ…」
満足気に麻里歌さんが呟いた。
「ありがとう、麻里歌さん。こんなに素敵になるなんて、すごく嬉しい」
「喜んでもらえて良かった」
私の嬉しそうな表情を見て、麻里歌さんもにっこりほほ笑んだ。
「いい? 朝、軽く髪の毛を濡らしてから、ムースかワックスを揉みこんで……そしたら自然なウエーブが出来るから。そのままでも良いけど、香澄ちゃんのこのフワフワ感がポイントだからね」
帰る時に麻里歌さんから、自分でも出来る簡単なセットの仕方を教わった。うん、これなら不器用な私でも出来る……はず。
「うん、やってみるね」
頷く私に麻里歌さんは優しい笑顔を浮かべてくれた。
「大丈夫! こんなに可愛いんだから……香澄ちゃんなら上手くいくよ」
「え?」
驚いて麻里歌さんを見ると、何故か1人納得した様にうんうんと頷いている。
「香澄ちゃんが髪を切りたいって言った時、最初は失恋?って思ったんだけど、違うよね? 彼の好みかな?」
「なっ、何で?」
「何年、美容師してると思ってんの? 判るわよ、失恋か気分転換かくらい…香澄ちゃんは意気込んでる感じがあったから、あぁ…好きな人が短い髪が好きなのかな?って思ったの」
「でも…多分、失恋です」
情けない顔で言うと、麻里歌さんが訝しげに私を見た。
「だって、彼は私の事なんてただの同級生ってしか思ってないし……髪を切ったからって私を好きになってはくれないと思う」
「そんな事ないって、香澄ちゃんなら髪が長くてもOKだったと思うけど…」
「ありがとう、麻里歌さん。お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃありません、大丈夫よ。頑張ってみて」
麻里歌さんからの励ましの言葉に、私は笑顔で頷いた。
うん、ちゃんと振られて来るからね。その時はまた…髪の毛を切ってね。
心の中で麻里歌さんに向かってそう呟いた。