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岬のカセットテープを聴く事で発動する、〝くしび〝の力は、和田 岬という人物を客観的な視点から、人生の初めから終わりまでを撮影し続けた映像が、脳内で展開されるというものである。
その結末。つまり、和田 岬が死ぬ瞬間の内容はこうだった。
コンサルティング会社に勤め出して、4年が経過した頃。彼女の周りに変化が起きた。それは、同僚であった『魚住 真一』という男に、ストーキングまがいな行為をとられ出したということだった。
告白も数回されはしたが、全て断る。しかし、会社内で気まずい空気を出すのを嫌がった彼女は、友達として魚住との関係を保った。
そして、秋の頃。会社ぐるみでの親睦会と称された、社長の道楽である山登りへと参加させられ、事件は起きた。
湾曲する山道を歩いていると、離れたところに小高い磐石を見つけ、彼女は好奇心から上ってみた。広がっていたのは、想像通りの、見晴らしの良い景色であった。
「危ないぞー」
という上司の言葉を無視して、
「少し写真を撮りたいので、先に行っててください。すぐ追いつきますから」
と、彼女は返事をした。
俯瞰景色が一望できるその磐石のすぐ下は、谷底のようなところで、足を踏み外したりでもすれば、死が約束されるような場所であった。
危険なところであるものの、風はなく、注意さえしていれば何事も起こらないと踏んで、彼女はデジタルカメラに風景を収めだした。
すると、背中に衝撃が走った。
強く、背を押された感覚。飛び跳ねるように心臓の鼓動が高まると、バランスが前方へ崩れていることに気付く。立て直そうとするが、踵は完全に浮いていて、つま先だけでは耐えることが出来なかった。
息の詰まる感覚の下、彼女は後ろを振り返ようとするが、視界は右を向くこと以外に出来ず、後はただただ死の底へと、落ちていくだけだった。
彼女を落としたのは、魚住だった。
危険なので、彼女を見てきます。といって、集団から離れ、行為に及ぶ。
落ちた彼女を見て、彼は皆を呼び、足を滑らせて落ちたと説明。警察も、事故として調べを進め、処理された。
自分の物にならないのならば、殺してしまおう。
得手勝手な思想により、岬は殺されてしまった。
* * * *
洋間ばかりの家に、日本人らしい要素として無理矢理つけ加えたような和室の一間に、クナハは居た。線香の匂いが染み付いているかのような空間には、笑顔で飾られた和田 岬の遺影が、仏壇の前に置かれている。
さらにその前には、目が飛び出るかと思える程に見開いた、年老いた男性と女性の姿があった。
「…………」
目の前に置かれているラジカセに目を落とし、カセットテープの映像を視た、『和田 岬』の両親は、激しい剣幕で、精悍な姿で座布団の上に家鴨座りで座るクナハに尋ねた。
「こ、これは…事実なんでしょうか!」
ワナワナと身を震わせる父親の姿は、正に怒りの権化。このカセットテープに秘められた映像を否定する気など更々なく、この確認は、言うなれば現状の自分を落ち着かせるためだけに吐かれたものであった。
クナハは怯えることもせず、単純に頷いてから、真っ直ぐに言う。
「これからの事はあなた達で判断してください。私はただ、岬さんの人生の最期が、嘘で固められたままであるのが許せなかっただけです」
本心をありのままに伝えると、クナハはさっさと立ち上がり、会釈をする。深入りはするつもりはないと告げているようで、引き止める術は彼らにはなかった。
それでも、「ありがとう」という慇懃の言葉だけは受け取って欲しく、父親はクナハの前まで行き、土下座を行なった。
目を丸くしたクナハは、目のやり場に困り、母親の方へと向ける。が、彼女もまた、同じように土下座をしていて、少々の照れを覚えることとなった。
この問題の一存を託したクナハは、「どう致しまして」と、落ち着いた声で応え、和田家を去っていった。
* * * *
灰色のコートを纏った岬の父親は、スーツ姿の魚住の前に居た。
場所は魚住が勤務するコンサルティング会社の裏路地で、影が降り注ぐような、人目に付かない場所であった。
「なんですか、こんなところに呼び出して」
魚住は少しだけ警戒心を抱きながらに訊くと、
「わざわざすまなかったな」
と、丁寧に返される。そして続けられる。
「君に受け取って貰いたいものがあるんだ」
「何ですか?」
気だるそうにする魚住の前で、岬の父親は、コートの中から、丁寧に研がれた包丁を取り出した。
スーッと魚住の脳内が白くなっていき、直ぐに緊急警報のような焦りが走り出す。
「な、な、な!」
後退りをする。胸中には、『あの事が明かされたのか』という不安があり、下手な事を口にすることを脳が拒む。
切迫していながらも、言質を取るための行動という察しを冷静に行なえるのは、魚住が日頃から想像していた事態であったためである。
奇行に走った岬の親が、第一発見者である自分に何らかの仕掛けを打ってくるかもしれない。
そういう考えが生まれるのは当然のこと。ストーキングまがいな行為を魚住がしていたという情報を、岬が親に伝えていると踏んでいたからだ。
そのため、魚住は慌てた挙動を見せるが、身の安全を確保するための状況把握能力に余念がない。
岬の父親は、ガッシリと包丁を両手で掴み、腹の底、心の底、そして復讐の底から声を出す。
「娘の……っ、岬の……! 仇……! 討たせてもらう!!」
全力を持ってして、魚雷の如く、魚住へ駆けていく。
――霊奇品? くしび? 違う。あのカセットテープが及ぼした映像は、そんなモノじゃない
――岬の想い、岬が残した、メッセージなんだ
――復讐をしてくれと
――魚住を殺してくれと
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
――だから、叶えよう。従おう
――この、鎮まることを知らない怒りと共に
ザシュッ――
肉を切る鈍い音が、二人の間に木霊した。
* * * *
「正当防衛って言葉は、いい響きだねぇ」
ココは、事務所内のテレビを前にして、楽観的にそう言い放った。同じく、太腿の間に両手を仕舞いこんだ一女は、流れていく報道を耳にしながら呟くように言う。
「道理にかなった、身を守る行為……ですか」
その言い方は、納得が出来ないと皮肉めいて聞こえるものであった。
「滑稽なもんだよ。魚住を殺そうとして、逆に殺されちゃうなんてねぇ」
「復讐は失敗に終わり、魚住が護身用に持っていたバタフライナイフによる大腿の刺し傷により、出血多量で春文さん(岬の父親)は死亡。絶望した岬さんの母親も、首を吊って死亡……」
「大したもんだよ、魚住ってやつは。一人で一家を刑法に曝されることなく全滅させるなんてねぇ」
殺人犯を褒め称え、ココはテーブルに置かれてある煎餅を一枚手に取り食べ始めた。一女はボーっとテレビを眺め、遣る瀬無い気持ちを霧散させる。その中で、ふと思う。
「そういえば……この引き金を引いてしまったクナハさんは、大丈夫なのでしょうか」
この状態に陥ったのは、クナハが埋蔵金を探しに行こうと提案し、テープを見つけ、中身を知り、そして和田 岬の両親に真実を伝えたのに起因する。そのため、一番に責任を感じるのはクナハであろう。掘り起こしてはならない秘蔵物を掘り起こした報いと云えるのかもしれない。
ココは不敵に微笑んで、悦楽な声音で言う。
「大丈夫だろう。ま、少しは懲りているかもねぇ」
それに対して、一女は不信感を募らせた。
「ココさん。まさかとは思いますが…。クナハさんを後悔させるために、わざと『テープを処分する』と言って、焚き付けたのですか?」
「考えすぎじゃないのかねぇ……」
と、ココは嘯いて、煎餅を齧りながらそっぽを向いた。
疑いは晴れることを知らずにドンドンと雲掛かっていく。
「この一連の出来事も、予想通り…ですか?」
「まさか。でも、『臭い物に蓋』っていうのも大事だと気付く、いいキッカケにはなったろう」
目元に楽しそうなシワを作り、ココはパリッと響きの良い音を立てた。
一女は軽い息を吐いて、クナハの身を案じ始めた。
しかし、その思いを遮るように、ココは新たにこう述べた。
「一女ちゃんも覚えておくといいよ。感情的に動くと、こういった跳ね返りが偶に起きる。僕らはそんなクソみたいなもんに曝されるような真似はしちゃいけない。例え、それが霊奇品の枠を超えた事柄だとしても……ね」
所詮は他人事。
危険な物、霊奇品を扱う者にとって、客観的視点で物事を捉えることが出来なければ、自身が危うい立場に追いやられる。
一女は重々承知をしているつもりではあったが、掘れないスコップのような事例が存在し、決してこの忠告は右から左へという訳にはいかない。
一女は顔を伏せて、「はい」と、か細く答えた。
ココ 「しかし、この岬って子、エロい子だよねぇ」
一女「やめてあげてください」
ココ 「一人暮らしになってからは、週に3回も……」
一女「やめてあげてください」