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雑貨屋『ココ』  作者: 春日戸
第三話【掘れないスコップ】
6/44

3-2

 一女が出掛けてから、一時間半が経った頃。

 雑貨屋『ココ』の事務所内には、もちゃもちゃという音が鳴っていた。

 丁度、三時のおやつ時で、ココは事務所内のソファーの上で寝転がりながら、大福を食べていた。


「うーん。やっぱり、漉し餡にしとくべきだったかなぁ」


 後悔を垂れつつ、大福の皮をうにょーんと伸ばし、口に取り込む。粉が顔に降りかかるが、ココに嫌気はなく、それもまた一興といわんばかりであった。

 そんな時、事務所の扉が開いた。


「お」

 と、上体を起こしたココ。

 入ってきたのは一女である。


「おかえり。ちょうどいい。一女ちゃんも大福食べる?」


 粉も滴るいい男。とは言えない、モサモサに顔を大福の粉に覆われているココは、手に持っている大福をロデオのように揺らした。


「ただいまです。……大福は後で頂きます」


 それに何ら反応やツッコミもなく、一女はショルダーバッグを台所に置く。そして、おもむろにまな板を取り出した。


「?」

 ココは何を始める気なのかと不思議そうに見つめる。

 一女はバッグに手を入れ、なんと、ロールケーキのようなボンレスハムを取り出した。


「???」

 ココは混乱に満ちた。


(このは一体、何をしに外出したのか。まさか、三時のおやつの調達を? それにしても、あの立派なボンレスハムはどういうことだ? まさか、思料の果てに辿り着いた、思料の料を料理の料と掛けた巧みなボケなのか。いや、そんな分かりづらいというか絶対に分かるはずもないネタを仕込んでくるはずはない)


 ココは混乱に満ちていた。


 胡乱に満ちた視線の中、一女は誇らしげにバッグからスコップを取り出した。

 そして、ピッと袖を巻くり上げ、スコップをガンスピンの如くヒュンヒュンと回し、ガシッと鷲掴んだボンレスハムを、ドンッ!とまな板に乗せた。

 一女はスコップを包丁に見立てて、刀身を勢いよくハムへ!

 と、その前に。


「いや、何してるの」


 と冷静に、ココに肩を掴まれ、阻止された。


「え……。掘る、叩く、乗せるを試し、効果が現われなかったので、切る……かと」


 一女は珍しくオドオドしていた。『これだ!』という核心が否定されるとは思いもしなかったらしい。

 ココは眠たそうな目を更に濃くして、少々の呆れた笑みを零した。


「……なるほど。でもそれは、違うと思うよ」


「違いますかね……」


「大胆な発想は必要だけど、流石に行きすぎだね」


「自信、あったのですが……」


 一女は落胆したかのように肩を上下させた。そして、弱弱しい動きでまな板を元に戻していく。

 ココは口をへの字に曲げて、頬を掻いた。


「悪いとは言ってないから、落ち込むことはないよ。ゆっくり考えればいいさ」


「はい…」


「店番は僕がしておくから、大福でも食べて。ハムはまぁ、冷蔵庫にでも。また食べよう」


「……分かりました」


 一女からは、陰鬱な空気が微量に流れた。霊奇品について、一般の者よりも理解を深めているはずなのに、スコップに翻弄されるのは衝撃的なもののようだ。

 再起不能ではないものの、こんなに落ち込んでいる姿はあまりに珍しく、ココは写真に収めたいなぁと愉快に思う。だが、それはあまりに非人道的な行為。あまり気に留めないが、従業員の手前もあって、ぐっと堪え、行動に移すことはしなかった。

 それでも、事務所から出て行くココの口角は、少し上がっていた。



 一女は、大福を頬張りながら、一転して、原点回帰を試みる。


「スコップの意味は確か……」


 スコップとは、小型シャベルの通称である。シャベルは土砂、石炭、雪などを掬ったり掘り起こしたりするのに用いる道具だ。


「シャベル……しゃべる……」


 一女の目がカッと開く。


「喋る!」


 駆け足気味にスコップを手にし、一女は人形に話しかける少女のように、スコップと対話し始めた。対話といっても、スコップに口などついているはずもなく、一女の一方通行的な、ドッジボールのような会話だが。

 その様子を、ココは扉の隙間から眺め、失笑しながら「迷走してるなぁ」と呟いた。




 10分もの間、スコップに話しかけた一女は、ようやく、この方法は間違いなのだと気付いた。既に高い塀に四方を囲まれた迷路に放り投げられたような気分に陥っていて、思考という息吹を掛けるものの、脳内は団扇でそれを跳ね除けているように、稼動を怠った。

 両手を太腿で挟んで、呆然と、脳内を真っ白、もしくは空にした状態を時計が4時を指す間、流していた。

 そうしていると、細い糸のような思考が、無意識に彷徨い、勝手にほつれ、疑問を生んだ。


「……そういえば、どうしてココさんは、『切る』の動作を否定したのかしら」


 否定が出来る者は、転じて、解を知っている者でもある。


「スコップの用途を実践してもいないのに、予測をどうやって立てたのかしら」


 一女は人差し指の第二関節を唇の間に挟む。熟考する時に出る、癖のようだ。

 思い出すのは、ココと来住のやり取り。


〝父は、小振りな湖がある、みなみと公園のことをいたく気に入っていまして。亡くなる直前に、『みなみと公園の湖を救いに行ってくる』――と〝


 眉間にシワが寄せられてから、目が見開く。


「救いに…?」


 呟いて、いや。と否定する。そうして、新たな回答を提示する。


「すくいに……湖を、掬いに…?」


 バチッと、パズルのラストピースがガッチリとはめ込まれるような音が、脳内に響いた。そして、バッと勢いよくスコップを持つと、台所の収納棚に置いてある茶葉を手にし、シャワー室へと入っていく。

 ライトブルーに彩られた4畳ほどの大きさのシャワー室。浴槽もなく、本当にシャワーという用途のみを追求した簡素な造りである。一女は入るや否や、腰を落とし、洗面器に水を溜める。

 その水盤の中に、茶葉を入れると、水は黄緑色に濁っていった。


「……」


 一女はスコップを一瞥し、水盤の中にソロリと金魚掬いの要領で滑り込ませた。そして、僅かな水圧を感じながら、水を持ち上げる。

 パタパタと零れ落ちる水がガラス玉のように水面で弾け、波紋を生んでいく。


 すると、


「……!」


 パァッと、一女の顔が、青白い光に照らされた。



*   *   *   *



 次の日。

 昼や夜とは違い、清澄な空気が流れる早朝。ゆったりと進んでいるように感じる街のざわめき。どこからともなく聞こえる鳥の声。さらりと肌を優しく撫でるかのような微風。ふんわりと漂う、草木の匂い。

 多くの始まりと出発を担う時間。みなみと公園に、3つの影が歩いていた。

 ココと一女、そして来住である。

 呼び出して集めた一女は、演説会場への案内を行なうかのように、綽綽と先頭に立っていた。

 街路樹に住むシジュウカラや、雀が何事かと見つめる中、遅々と歩く来住は、深刻そうに尋ねた。


「あの、スコップの使い方が分かった。というのは本当でしょうか」


 昨日の今日。というあまりにも期間が早いため、信じられずに居る来住。対して、一女は力強く「はい」と答えた。


「…もしかして、今から実践するのかい?」


 両手を紺色のオーバーオールのポケットに突っ込んで、気だるそうに追尾するココがそう質問すると、一女は得意げな顔を見せてきた。

 やる気満々の様だ。

 ココはその勇ましさ香る姿に、頭を掻く反応を示した。


 歩きながら、一女はバックからスコップを取り出して、来住に見せた。


「まず、このスコップは、来住さんのお父様が話していた通り、すくうためのモノでした」


 来住は真顔で聞き入れてから、「はい…?」と阿呆らしい顔をした。


「すくうといっても、助け出す方ではなく、掬い上げる方です」


「…ですが、掬うというのは土に刃先を立て、掘るを経てこそでは……」


 採掘に対して、『掘る』の仮定を飛ばして、『掬う』に至ることはまず無理。実現可能領域は、乗せるという行為に等しいものとなってしまう。

 一女はそこで微笑みを見せた。


「確かに、固体を掘ることなく、掬うことは出来ません。しかし、液体相手なら、どうでしょう」


「……まさか」


 来住の驚いた表情。

 伴うように、一女は不敵な笑みを浮かべた。


「そうです。つまり――」


 言い以って、一行は湖の前に到着する。

 朝日を吸い込み、ハスの緑が強調される絨毯に目を落とし、一女は確言する。


「――この湖の水を、掬うんです」


 両名が見守る中、一女は膝を折って、スコップを湖の中に滑り込ませた。


「見ていてください」


 ゴクリと来住は息を呑み、ポリポリとココは頬を掻く。


 波打つ水面から怪獣でも現れたかのような飛沫を上げて、スコップが顔を出して息を吸う。

 パタパタとスコップから零れ落ちた水玉が、水面に弾けて混ざっていく。

 来住には、それがとても不思議な光景に映り、一女の容姿も相俟ってか、まるで女神が妖精の雫を湖に与えているように見えた。

 そこに、変化が起きた。


「……!」


「おー…」


 来住は驚愕。一転して、ココは楽観的な声を上げた。

 スコップから落ちた雫が水面に波紋を作ると、そこからパァと青白い光が毛細血管を流れる血液のように広がったのだ。


 水面下から光が発せられ、ハスの合間から木漏れ日が窺える景色は、神秘と云う他なく、来住は絶句を強いられた。

 眼前に佇む湖は、来住の父が軽快に語っていたような、とても綺麗なもの。

 見てみると、濁っていた水は透明度のある浄水に変わっていて、散乱していたゴミさえも、無くなっていた。

 小走り気味に来住は駆け寄り、両手で水を掬う。


「……この量でさえも、濁っていた水が……どうして」


 戸惑う来住に、ココは一歩近づいて、語りかけた。


「掘るっていうのは、地中にあるものを取り出すという意もある。しかし、このスコップは掘ることが出来ない。だから、水を掬うことで、水中にある汚染物を取り出す役目を与えられたでしょうねぇ」


 そう言って視線を一女に送ると、大きく頷かれる。


「……。そう…だったのですか」


 来住の手の平でゆらゆらと揺れる水。その上に、ポタリと一粒の涙が零れた。

 その事を知っていた者が、今際の際にスコップを持って此処に来たかった理由。


「――父は、最期に。この美しい景色を見たかったのかも…しれませんね」


 過去という深甚を混ぜ返す来住から、陶然的な言葉が落ちた。

 チュン、チュンと細く鳴く鳥の声と、ただ美しく佇む湖が、虚しさを呼んだ。

 風が吹いて、街路樹の葉が一枚、二枚とハスの上に落ちては、大きな波紋を作った。


「こういうのも悪くない」

 と、ココは呟いて、目を閉じた。


 その直後。


ゴロゴロゴロ――……


 まるで、雷鳴が轟くような音が響いた。


 えっ。と来住は空を見るが、雲一つない晴天であった。

 ココは目を開き、「あーあー…」とうな垂れ、呆れた顔をした。

 そうして、横目で音の発生源を視界に入れる。


「う…うぅ…」


 涼しげな顔の似合う一女に似つかわしい脂汗が、これでもかという程に滲み出ていた。両手は腹部を抑えていて、脚は極限的な内股で、全身は小刻みに震えていた。

 その前駆症状たるやは、女性ならば大概の者に訪れる、便秘の後の大波を防ごうと抗っている様によく似ていた。


 突然の腹痛。それも、極めて強烈。

 一女の顔は歪み、ドンドンと背筋が丸びを帯びていく。


「と……トイレ……」


 苦しげな声で、ゆらりとトイレに向かっていく。その動きは、両足の骨が折れているのではないかと思える程に、安定の無い歩き方だった。

 その様子を見て、来住は苦い顔でココに尋ねた。


「あの、どうされたのでしょうか……?」


 先程まで何ともなかったのに、と付け足された質問。ココは顎鬚を撫でて、「ああ」と先に打ち、口角を持ち上げた。


「代償……。いや、洗礼を受けたんですよ」


「洗礼……?」


「ええ。キツいお灸とも云えますがねぇ」


 ココは煙草を取り出し、火を点けて、陽気に百害を持つ雲を作り出した。来住は眉を曲げる。


「ああ、そうそう」

 と思い出すようにココは言った。


「この件の調査費用は結構です」


「え、いいのですか?」


「ええ。面白いものが見れたんでね」


「面白いものとは……?」


「彼女の苦しんでいるところですよ」


 ニヘラと満足げで恍惚な笑みのココ。来住は嘆かわしい表情で一女の後ろ姿を見つめた。



 一女が事を済まして戻ると、既に来住の姿はなくなっていて、ココが湖を眺めながら煙草を吸っている姿だけがあった。


「お待たせしました」


「長かったね。もう大丈夫なのかい?」


 大体10分程度、待たされたココの足元には、吸殻が2本落ちていた。


「はい。もう、大丈夫で……っ!」


 答え終える前に、またしても波浪警報が腹部から発令され、一女はそそくさとトイレに向かっていった。

 満面の笑みで見送るココの足元に、もう一つ、二つ、吸殻が加わった。




 さらに10分後。ココたちは公園を後にし、雑貨屋へ帰ることにした。

 途中、一女がトイレ休憩を3分に一度は挟んで、コンビニ、スーパー、ゲームショップ等の施設を点々とし、公園を出てから1時間が経った頃でも、雑貨屋の姿は蚊ほども見ることが出来ない状況であった。

 一女は腹部を抑えて歩いていた。

 何度も待たされる立場に追いやられるココであったが、嫌気はなく、寧ろドンドンと笑みに鋭さが増していた。


「あの……ココさん。この現象はやっぱり……」


「うん。あのスコップを使った代償だねぇ。いやぁ、君の献身ぶりにはときめいちゃったよ」


「〝魔具〝……だったんですか……」


「そういうこと。掬うだけで汚染物を全て取り除く程の力だからねぇ。考慮しなかった一女ちゃんが悪い。僕なら、あのじいさんに使わせていたよ」


「う…うぅ……」


「さて、ここで問題。取り除かれた汚染物ってのは、何処に行ったと思う?」


「……」


 一女は無言で自身の腹部に視線を落とした。そして、ヒクリと頬が嫌に持ち上がる。


「良かったね。小さな湖で。もしも琵琶湖とか、海とか掬っていたらと思うと、ゾッとするだろう?」


 愉快軽快に話をするココ。一女はまたもや腹痛が襲ってきて、両手でTの文字を作る。タイム。またはトイレを表すジェスチャーのようだ。


「いっといで。僕はそこの薬局で痔の薬を買っといてあげるよ。あと、柔らかいトイレットペーパーも買っといてあげる」


 一女の鞄を受け取ったココは、親指で薬局を指した。その場所を一女は見て、「要りません」と否定の言葉を吐こうとしたが、そうも言っていられない状態。女性が恥部であるお尻を気遣われるという羞恥心をかなぐり捨てて、頭を下げた。


「すみません……。お願いします……」


「ま、あと10分くらいで帰れるから、頑張っておいで」


 一女はすぐそこの本屋に吸い込まれるように入っていった。

 ココはその背を見ながら顎を擦って呟いた。


「ラバーカップ、要るかなー。事務所のトイレを詰まらされたら困るからねぇ」



 一女の激烈な腹痛は、1週間もの間、鎮まることを覚えなかった。


ココ 「汚染物だけあって、臭いキツイね」

一女「恥ずかしい限りです」

ココ 「色とか大きさはどんな」

一女「もうやめてください」

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