2-1
雑貨屋『ココ』の事務所内は、豪華絢爛といえるほど、豪勢であった。
目に付くのは、一脚の値段を訊くのも烏滸がましいと思えるソファーの数々。ふかふかで低反発のソファーは、仮眠ではなく本眠をとっても快適、快眠を提供してくれる。
台所もトイレも、そしてシャワー室まで完備。冷蔵庫からクーラー、テレビ、パソコン、オーディオコンポなど、電化製品にも富んでおり、「ここが我が家です」と言われても疑問は湧かない。
「一女ちゃん。三色団子、食べる?」
そんな事務所内に、ココは絶賛くつろぎ中。ソファーで横寝しながらムシャムシャと二段目の白い団子を咀嚼している。
一方で、一女はテレビを静観中。時折、ティーカップに入った日本茶を啜っている。
「一本頂きます」
テレビから視線を外すことなく、皿に積まれた団子をひょいっと手にした。
現在、昼の三時。おやつ時である。
テレビで報道されている内容は、穏やかな時間に似つかない、殺人に関するものだった。
『日常的に虐待を繰り返し、死に至らしめたとして、○○ちゃんの母親である○○容疑者を―』
苦瓜を噛み締めた表情で、悲哀の色を浮かべる記者。
ココは食べ終わった後の串を使い、歯の間を掃除する。
「酷いことするもんだねぇ」
「……そうですね」
パクッと一女は一段目の赤い団子を口に入れた。
途端に。
カランコロン
店内に入店音が響いた。
一女はスっとココに視点を当てるが、横寝のままで動く気はないようだ。
「……」
残り二つの団子に目を落とす。
「誰かいないのー?」
薄い素顔を隠すような厚い化粧に、茶のウェーブ掛かったセミロング髪。ベージュ基調の黒のボーダープリーツスカートニットワンピースに身を包んだ来客人が、奥へ通るような声を上げると、中から一女がいそいそと現れた。
「あ、田井というも……」
「ふぁい」
声の詰まったような一女の返事。見たところ、口がモグモグと動いている。ハムスターとは云わないまでも、頬袋は膨れていた。
対面した客である田井は、あり得ない接客態度に唖然、呆然。
動揺を見せない一女であるが、モグモグする度に少しずつ頬が桃色に染まり出した。流石に羞恥心は持っているようだ。
ようやく、ごっくんと飲み込むと、ふぅっと一拍置き、整然な姿で「いらっしゃいませ」と一礼した。
「……」
今更、どう繕おうが、『無礼な店員』という認識は変わらない。
「ご用は……」
「……えっと。鏡を見てもらいたいんだけど」
気まずい空気の中、田井は手に持っていた長方形の袋をカウンターに置いた。大きさは縦60cm、横40cmと、比較的、お手洗いに設置されているサイズだ。
「あ、ちょっといいですか」
と一女。
「何?」
「お茶が飲みたいです」
無理に二つも詰め込んだ代償から、一女の喉は砂漠の断層並みにカラカラだった。イラッとした気の揉み上げが田井に生まれたのは、草木が息を吸うくらい、ごく自然な事であろう。
ガチャリと事務所のドアを一女は開いた。
「ん? 終わったの?」
ソファーの上で胡座を組んでいるココは、「また冷やかしかい?」と付け足した。
目も暮れずに、先にお茶を口に含んだ一女は、落ち着いてからココに告げる。
「ちゃんとしたお客さんですよ。くしびの気配があるので、霊奇品を持ち込んでいます」
「あー…。じゃあ、僕も出ようか」
そうして、ココは田井の前に着いた。
「あなた、ここの責任者?」
田井は、眉を尖らせていて、明らかな不機嫌であった。
「そうですが、何か?」
「あの接客態度は何なの!? もっと教育しときなさいよ!」
当然の文句を前に、ココは諂うような態度を一切見せない。そのまま、カウンターの椅子を引き、腰掛けた。
「お客さん、勘違いは困りますよ」
強気な発言。不満が増長していく。
「はぁ?」
「我々は別に、あなたに縋る気はありません。逆に、あなたが我々に頼りたいことがある。のではないでしょうか?」
「え……」
まさかの大言に、田井は止まる。これまでにない経験が、そうさせていた。店は客に対して慎ましい態度を取らなければならないはず。
「立場を弁えるのは、貴女の方ですよ」
だが、この男にその気概は、皆無。
「……常識外れね」
と、田井は目を細めた。
「だからこそ、信用を得られる部分があります」
ココは「例えば……」と打ち、開封されていない袋に人差し指を置く。
「コレ、なんかね」
ニヤリという笑み。
自信から織りなせる大言壮語が、半信半疑で訪れていた田井の信頼を厚くする。キュッと下唇が噛まれた。
「……この鏡、おかしいんです」
しおらしくなった田井は袋を開き、鏡を取り出した。手にしたココは覗いてみる。
「……ふむ」
映るのは、ココの姿と後部の背景。
一女も覗く。が、
「……別段、おかしいところは見当たりませんね」
鏡は、何の変哲もなかった。両名は胡乱な目つきで田井を見る。心細さから、そわそわしていた。
「それに、私の姿を映してください」
言われるがままに、ココは鏡に映した。
「……!」
ココは静かに「おおっ……」と歓声を上げた。
鏡に映り込んでいるのは、見たくないものを見るように、逸らし気味に鏡を見る田井の姿。――それも、上下反対の逆さま状態で。
「……一女ちゃん。お客さんの横について」
「はい」
一女の姿も鏡に映るが、通常の映り方で、やはり、田井だけが、逆さに映し出されていた。まるで、古来の穴つるしという拷問でも受けているのではないかと思える。
「少し前まで何ともなかったのですが、ある日突然、私の姿だけが逆さに映るようになったんです」
と異常を訴えかける田井。
「逆さ……ね」
眉を顰めるココ。
『逆』は方向、順序、位置などが反対であることの意。照らし合わせるが、いまいち見合った結論は出ない。
蟻の行動を観察するような沈黙の中、一女は閃きを口にする。
「タロットで云うなら、逆位置ですね」
ココの人差し指が大気を弾くように上がった。
「あー…うん。悪や陰の意味を持つね。善くないことの示唆とか、暴走、争いとかねぇ」
詳説に、田井は汗を一つ垂らした。
「……私に、何か善くない出来事が起きるってことですか?」
「合点を急いちゃいけないよ。持ち主だけを逆さに映しているだけかもしれないし。善くない事を、既に貴女がしでかした。という線も、ないとは言い切れませんから」
憶測は憶測に過ぎない。結論付けは思慮を深めてから、とココは暗に告げる。田井の表情は怪訝なものへとなる。
「…もし、私が何か犯罪をしていたとして、何故、その様なことを鏡が判るんですか」
「この鏡は霊奇品でね。形而上の存在である〝くしび〝と云われる気が宿っていて、特異な力や役目を、この鏡に与えているんです」
甚だ、突飛な話だが、田井は〝くしび〝の存在を信じざるを得なかった。不思議、いや、不気味な鏡が『在りしモノ』と、物語っているからだ。幽霊に額の温度を確かめられているのに、その存在を否定するなど、現実逃避以外の何者でもないのだ。
ココは鏡に目を落としつつ、敷衍を続ける。
「中には、力や役目を発揮させるために、条件を踏まえなければならない。という面倒なのもあるんでね。だから、罪を犯した記憶を持っている人間だけを映し込む鏡。という想定も抜かす事は出来ない」
一女は容喙せず、ココの語りが終えてから、揚々と開口する。
「あとは、死に様を表している。とか、どうでしょう」
新たな可能性。ココは感心する。
「今日は冴えているねぇ。近々、落下したり滑落したりして、命を落とすかもねぇ」
気楽交じり、はたまた楽観視しているような二人のやり取りに、田井の疑いは濃くなっていった。
「さっきから、こじつけが多くないかしら……」
問題は、この二人が真剣に取り組むかどうかだ。中学生の家庭科の授業のような適当加減で流されては堪ったものじゃない。
「まあ、そう思われるのも仕方ないですねぇ。何せ、人智を超えるものを相手にしてますから。そう簡単に解明は出来ませんよ」
「専門なんじゃ……」
「詳しく調べるには、鏡をお預かりして、様子を窺わないと、どうにもね…」
ココは手の平を上に向けた。降伏か、やり切れない感を全面的に出しているようだ。
預けるかどうか。田井は少し迷う。が、考えは簡単に傾いた。
自分だけを逆さに映し出す、気色の悪い鏡。
情報があまりになく、何より危険を孕んでいるかもしれないモノを、身近に置いておこうとは思わない。専門家であろうココでさえ、小首を傾げる代物なのだ。
「……お調べして、もらえますか」
転げるように、流れのままに、願い出る。
ココは両手を顎の前で組んで、笑って見せた。
「ええ。お任せを」
まるで元気付けられたかのようで、田井は胸にあった一抹の不安を払った。
「じゃあ、また日を改めて伺います」
すっと玄関へ歩いていく。その最中。
「あー…、少しお待ちを」
と、ココに呼び止められる。ビクリと田井は背筋を微動させると、ゆっくりと振り返った。
「何?」
「一つ、お渡ししたいものが」
そういって、ココは商品の陳列されてあるひな壇へと歩いていき、左見右見すると、五指であるものを掴んだ。
「お手を」
「?」
田井は言われるがままに手を開く。
ポスッと手のひらに置かれたのは、狛犬の姿をした小さな像。片手サイズで、土産品のキーホルダーという印象の安い作りをしていた。
「これは……?」
「もしも凶兆の現れでしたら危険なので、魔除けにどうぞ」
狛犬は魔除けとして社殿などに置かれている代物である。獅子の姿によく似た霊獣である狛犬は、魔を噛み千切らんとせんばかりの迫力がある。
しかし、どうにも手渡された像は頼りない。大きさもあれど、造りがあまりにイマイチだ。素人が見よう見真似で模倣した出来損ないの陶器のようだ。
「はぁ…まぁ…、ありがとうございます」
突き返すのもなんだし。といった苦い茶を飲んだような渋々な反応。それでもココは、ニッコリという笑みを保っていた。それを横目で見る一女は、綺麗に均された平地に出来た窪みのような訝しさを覚えた。