1-2
「茶葉、買ってきましたよ」
アンバー色の小さな紙袋を手に、一女が帰還した。
ライターの回転式やすりに手を掛けていたココは、不満気に目を一本線にすると、今までの動作を全て解除し、煙草を灰皿の淵に置いた。
一女はスタスタと客の脇を通り、カウンターへ入ると、トイレットペーパーが尽きたような顔をするココの横に紙袋を置いた。
「お疲れさん」
「珍しくお客のようですね」
「そういうこと言わないの」
一女は机に置かれている、奇天烈な時刻を指し示している置時計を一瞥する。見た目もさることながら、狂ったか、または子どもが遊んで針を弄ったかのような、滅茶苦茶な時刻や日付に年代。眺めて5秒も経たぬうちに、その異様さに気付く。
「…霊奇品ですか」
「面白いものだよ」
得意な顔を浮かべるココ。
「……その様子だと、まだ、説明はしていないようですね」
「あ、先程、〝くしび〝というモノについては…」
男は一女の容姿に少し照れを覚えていた。手を揉む動きが、緊張具合を表している。
「いえ、そちらの方ではなく、この時計の針が意味するところです」
「え?」
と、思わず視線が一女に集まる。
「あら? 一女ちゃん、解ったの?」
ココは少々驚き気味に問い掛けた。対して、一女は顔の形を口以外、一つと足りとも変えずに答える。
「いえ? ですが、ココさんなら既に解っていますよね」
ガクンとココの頭が傾いた。
「妙な信頼のされ方だなぁ。ま、解明は出来てない、憶測の段階だけどね」
会話の中にパッと出た、時計の正体の想像。男は目を見開いた。
「ど、どういうものなのですか?」
臨戦態勢のような雰囲気が漂う。
ココは下唇を上唇より前に出すと、天井を漠然と見つめた。
「うん。えっと、お客さんの名前は……」
「あ、姫路 則之といいます」
「うん。じゃあ、姫路さん。恐らく貴方、2年後に死にますね」
ココは、平淡な声でさらりと告げた。こってりとした豚骨に、爽やかな笑顔で塩を掛けたように。
「…え?」
首を傾げる姫路の反応。突然の余命宣告に、驚くのは無理もない。
「この時計は、恐らくですが、持ち主の死亡時刻を示していると思われるんですよ」
ココが指差した置時計を、姫路と一女は見つめた。
そして、ココは置時計を鷲掴むと、愛猫を撫でるかのように膝の上に置く。
「解明するのでしたら、こちらでお預かりして、調査しますが。どうします?」
「え、ちょ、ちょっと待ってください。2年後に死ぬというは…」
止まることを知らずに先へと進む対応に、姫路は待ったをかけた。
「先程も申した通り、まだ憶測段階ですよ」
実まで言わず、会話を放棄したような言葉に、姫路の顔が少しずつ青ざめていく。川の流れのような不安から、激流へと変わっていく。
「そこまで深く信じ込まなくても大丈夫ですよ。まだ、『もしかしたら』なんですから。なんでしたら、調査し、解明し次第、ご連絡を入れましょうか?」
眉を上げて言うココからは、他人事と云われる非情な空気が漂っていた。伴って、姫路は早口になる。
「それで、事態が動かなかった場合はどうなるんですか」
「どうなるって、貴方は2年後に死ぬんじゃないですかね」
何を当たり前なことを。と、ココは乾いた笑みで見せた。ドクンと、姫路の心臓が嫌に動く。
「ど、どうすれば其れを無効に…」
切迫した表情。見て取れる焦燥具合。だが、ココはほくそ笑んだ。
「無効とは、妙な事を言いますね。別に、この置時計が貴方の寿命を決定付けている訳ではありませんよ。コイツはただ、予知をしているだけに過ぎませんから」
そういって、ココは持っていた時計を一女に手渡す。焦心を鎮めることが出来ないまま、それを目で追う姫路は、復唱する。
「予知…」
両手でしっかりと受け取った一女は、時計に目を落とし、少し考えてから口を開いた。
「予知なら、回避は可能なんじゃありませんか?」
お。とココが感心気に漏らした。
「一女ちゃん、良い事を言うね。先見の明といえば聞こえがいいかね。占いと同じように、予知ってのは絶対的な信憑性がないから、変えが効く。ってことは、姫路さん自身が、これからどう動いていくかに係っている訳ですよ」
視線を当てられた姫路。
到底、霊奇品も、〝くしび〝も、時計の事も、信じ切ってはいない。だが、この時計に起こる〝不思議〝は、通常の箱を遥かに越える現象であることに間違いはない。凡人では決して考えられない、その境地を知る者かもしれない、ココと一女の言葉。
――持ち主の死亡時刻を示している。
信じ切れない思いは、揺らぐ。揺らぐ度に、焦燥感が募る。募る度に、身の危険を、どう確保しようかという思考が、巡る。巡る。思考の流れは水盤に垂れる水滴の如く、波紋を作っては鎮まり、波紋を作っては鎮まりを繰り返した。
ココは、未知の恐怖におののく姫路に、追撃を喰らわす。
「信じられないというのならば、この時計はお返しします。鑑定料も結構ですよ。単なる憶測でしか、物を言っていませんからね」
姫路に与えられた、決断。
霊奇品を信じず、踵を返すか。それとも、鵜呑みにし、これからの行動をするか。どうか。
これは、突飛な話。場所が違えば、単なる笑い話にさえ出来る。仲間と酒を飲み交わし、変な二人に自分の余命を宣言されたと、大口で笑えるだろう。だが、人というのは、自身に降りかかる最悪に関してだけは、異常なまでの警戒を布くものである。
弱音を見せまいという心の動きから、ギュッと拳が握られるが、直ぐに力なく開かれた。
そして、おもむろにスーツの胸ポケットに手を入れ、黒い手帳を取り出した。さらさらと記述を終えると、そのページを破り取り、ココに差し出す。
「……時計の事。お願いします」
早急であった。
2年という歳月は、あまりにも短く、切迫を要する。
ココは身体を前傾にし、紙を手にする。中には、姫路の電話番号と住所が書き記されていた。
「ええ。お任せを――」
カランコロンと音が鳴り、雑貨屋内はまた、二人の人間だけの空間となった。
ウンウンという唸りの音がやたらと耳につく中、ココは「やー」と稚拙で明るい声を上げた。
「一女ちゃんの機転のおかげかな。また、新しい霊奇品が手に入った」
ニヒルな笑みが浮かぶ。
一女は呆れた息を吐き、置時計をコトリと机に置く。
「少し、可哀想な気もしますが……」
「いいじゃない。たった2年だったんだ。それが今日になったって、変わりはないさ」
捻くれたような時刻を示す時計の針は、またもや得手勝手な挙動を見せていた。刻々と逆回転に周り、ピタリと止まる。
示した時刻は、15時ジャスト。日付は4月の26日。そして年代は、12の所へ。
「まさか、予知がこうも簡単に覆るとはねぇ」
頬杖を付いたココは、皮肉交じりに鼻で笑った。
「こういう言葉を聞いたことがあります」
「なんだい?」
「人というのは、行動を起こす度に、表裏が『生』と『死』のコインを投げ続けている。というやつです」
「生きるも死ぬも、半々か。産まれた時から投げ続けて、ここまで生き続けるのは、正に奇跡だねぇ」
「姫路さんは、もうすぐ、その奇跡が途絶えるんですね」
携帯を取り出し一女は、デジタルの時計に目を落とす。
【14:59】
「危機感は焦りを産む。人ってのは焦りすぎてもダメ。冷静すぎてもダメ。一番いいのは、警戒しているってくらいの気の持ちようだ」
彼は剣呑性を患っていたのかもしれないね。と顧みながらココは付け加えた。
「確かに、彼は見た目と違い、臆病で、焦りすぎましたね」
羊頭狗肉。そんな言葉を一女は脳内で描く。
そんな折。
――――!
近くで、激しい衝突音が鳴り響いた。
それは、車か何か、硬いモノに当たったような、鋼鉄の不協和音だった。
天を仰ぐように、雑貨屋の両名は音を聞き入れると、薄っすらと笑みを零した。
「必要、なくなったねぇ」
ココは紙切れを持つ手を握り締め、くしゃりと潰した。そのまま灰皿へ捨てると、淵に置いたあった煙草に火を点し、先端を紙に当てる。徐々に火は移り、燃え滓となっていった。
綿菓子を焦がしたような独特な香りが漂う中、ココは陽気に考える。
「この時計の名前は、先見時計にしようかな」
「安直ですね」
煙草の煙を避けながら、一女は茶葉の入った紙袋を手にし、事務所へ向かう。
「じゃあ何がいいかなー」
喜色満面で、時計をあちらこちらの角度から見るココの様は、まるで子どもが玩具を買ってもらったような、止められない好奇心に満ち溢れていた。
こういう時の彼は、人の話は聞くものの、意見を繁栄させることはしない。一女は無言のまま、お茶を淹れにいった。
その僅か3分後、時計に変化が起きた。
「ん?」
針が刻々と進み、ブレーキの壊れた新幹線のように止まらないのだ。
同時期、お茶を淹れ終わった一女が、トレイにティーカップを二つ乗せてやってくる。
「どうしました?」
「いやー…。まいった事に、時計がまた予知を始めたようなんだ」
頬に汗を一つ垂らし、ココは苦笑い。一女はトレイを机に置くと、激しく回転している時計を見て、顎に親指の腹を当て、考え込む。
「持ち主が変わったから……でしょうか」
「そういうことになるのかねぇ」
ココは、湯気と茶柱が昇るティーカップを手に持ち、ズズッと口先で啜る。
「だとしたら、ココさんの死亡時刻を?」
「そうとも限らないよ。一女ちゃんかもしれないし、或いは、この店かもしれないからね」
対象はこの店含む全員ということ。
時計の針は、程なくして、ピタリと静止した。両名は覗き込む。
「40年後…ですか」
「意外と長生きだなぁ」
「どれに当てはまろうと、私たちはいい老人になっていますね」
「ま、このまま変わらなければ、だろうけどね」
「些細な事で、長くなったり短くなったり…ですか」
一女もまた、ティーカップを手にし、ふーふーと息を吹きかけ冷ましてから、ゴクリと飲む。ココはうーんと眉を顰め、ポツリと言う。
「一長一短時計…」
「ネーミングセンス、ないですね」
口を挟む一女は、時計の名前に関して、無頓着な訳ではないようだった。没を食らうココは、しかめっ面になっていく。
「思い浮かばないねぇ」
「そう、焦る必要はないじゃないですか」
と、一女は言い、冷笑が交じる。
「酷い当て付けだ」
「ほんのジョークですよ」
両名は、お茶を啜った。ほっ…と同時に肩を撫で下ろす。レトロな店内ではあるものの、その姿は縁側がとてもよく似合う。
そんな中、ココは頭に電球を灯した。
「ああ、そうだ。もう一つ、可能性があったなぁ」
「?」
「持ち主がいない状態なら、この予知は、世界の滅亡を示唆しているのかもね」
「世界滅亡時計ですか?」
一女は、目を瞑ったまま、醒めた声でそう言った。ココはぶすっと河豚のような顔をする。
「……却下のようだね」
発案するのは一苦労。しかし、蹴落とすのは、あまりに容易である。
一女は、空になったティーカップをトレイに置くと、時計を手にする。
「もう一つ、あるじゃないですか」
「はて…?」
ココの頭は傾く。一女は得意げに鼻を一つ鳴らす。
「この時計の、寿命ですよ」
そう言って、ひな壇の傍に歩み寄り、時計を陳列する。奇抜に映っていた時計も、多くの物に囲まれると、輝きを失ったかのように、背景に溶け込んでいった。
「うん。……成る程ね」
発想に至ることが出来なかったココは、悔しそうに顔を崩した。
「自爆時計……」
ポツリと言うと、一女は「ないですね」と即断した。
ウンウンと唸るシーリングファンの音が、「うーん……」という悩ましい声にかき消された。