後日談
ミリエルは、ぼんやりと自分の前で平べったくなっている男を見ていた。
「妃殿下とは知らず大変なご無礼を」
この館の領主は、床にはいつくばってミリエルに廊下磨きや雑草むしりをさせたことをひたすら謝っている。
ミリエルの視界からは、後頭部しか見えない。
ミリエルとしても自分が本当のことを言わなかったせいだし、別に女中仕事は苦痛ではなかったのでそれほど気にしていなかった。
それはミリエルの背後にいる、パーシヴァルやレオナルドも認めている。
しかし、彼にとってはそうではないらしい。
仮にも王太子妃に対して、洗濯や掃除を命じてしまった。
その自責の念に駆られている。
「ほっといたらこのままずうっとここで土下座しているよ、ミリエル、君が他に行ったほうがいい」
さすがに疲れたのかパーシヴァルがそう提案した。
ミリエルは、女官たちに囲まれて、別室に下がることになる。
そして、その別室に戻るとさくさく女中の制服に着替えた。
「あの、このまま殿下とご一緒するのでは」
女官の一人が怪訝そうに尋ねる。
「あ、自分の部屋に荷物をとってくるだけよ。あの格好で女中部屋に入れないでしょう」
錦織の豪華なドレスで女中部屋に入れば、いらない耳目を集める。
そして、かさばるあのドレス姿では、膨らんだスカートが引っかかり物理的に女中部屋に入れない。
ミリエルは結い上げてあった髪をほどくと無造作にボンネットに押し込む。
そして足早に、自室へと向かった。
何しろあれを置いていくわけには行かない。
母の心づくしだけでなく。大切な暗器もあるのだ。やはり、どうしてもあれが手の届くところにないと落ち着かない。
ミリエルは、最近ではすっかりなじんでしまった小さな自室に戻ると、荷物をまとめ、それから簡単に掃除し始めた。
といっても、小さめの雑巾で床や棚をからぶきするくらいだった。
荷物といっても、元々黒鞄に収まる程度、掃除を含めてもかかった時間はせいぜい五分。
ミリエルは、鞄を片手に、その部屋を後にした。
マルガリータは、マーズ将軍の使っている部屋に通された。
マルガリータの部屋よりやや大きいが、この館の内装はどの部屋でもそう変わらないようだ。
「それで、これからどうするつもりだ」
部屋に入ったとたん、率直に聞かれた。
それはマルガリータが聞きたいことあるいは今考え中のことだった。
この館に滞在していた理由はもうない。
王太子は、別の場所に向かうし、領主も、傭兵を雇い続ける気がなくなってしまったらしい。
マルガリータは新しい雇い主を探さねばならないだろう。
ミリエルは、王太子と行くことになるのだろう。
ミリエルに今後を頼む気はなかった。
おそらく、頼みさえすれば、ミリエルはいくらでも骨折ってくれるだろう。その程度にはミリエルのことを理解していると思っている。
頼まないのは、マルガリータの矜持だ。
「実は、妃殿下の護衛官を募集している」
その言葉に、マルガリータは、顔を上げた。
「女性の護衛官がいれば、色々と助かる」
マルガリータは苦笑した。
マルガリータは苦笑した。
「それはミリエル姫のご要望ですか」
「いや、私の判断だ」
咳払いしてマーズ将軍は話を続けた。
「コンスタンシア・ベル・サザウィーの墓を暴いた者達からの報告だ。棺には、腐敗が始まっていたが、若い女と思われる遺体が入っていた」
マルガリータは息を呑んだ。
「いくらサヴォワが荒れていたとしても、果たして若い女の死体がすぐに調達できるものだろうか」
マルガリータは将軍の言外の意味を悟った。
「無論、身寄りのない病死した女の遺体であってほしいとは思うがな、つまり、妃殿下を取り巻く状況はあらゆる可能性を考えねばならぬほど危険だということだ」
「お話お受けします」
マルガリータはしばらく考えて、そして了承した。