困惑
思索を続ける時間はさして取れない。最低限の治療を施し、クライストはそそくさとその場を後にする。
襲撃者自体の数は多くない。ざっと二十人ほどだろうか。
こちらに集められた傭兵はクライストと先ほど置いてきた男を入れて十人ほど。有利とは言いがたいが、それでも何とかなりそうだ。
館の外に出たとたん。物騒な破壊音が聞こえた。
手足が曲がるはずのない方向に曲がった男達が倒れていた。
「おや、クライストさんじゃないですか」
叩き折られた剣を踏みにじりながら、柔和な笑みを浮かべて、男が近づいてくる。
名前は知らない。なのに何故この男は自分の名を知っているのか。
そんな疑問が顔に出たのか、ニコニコと笑いながらその男は答えた。
「サフラン商工会の情報網は優秀ですからね、一度関わりあった人間の似顔絵も会誌で出回るんですよ」
嫌な思い出を引き出されてクライストの表情が強張る。
「サン・シモンの狂犬か」
小さく苦笑して、彼は、呟く。
「ずいぶんな渾名を付けてくれますね」
それを見ながらクライストは内心呻く。だからサン・シモンの狂犬はたちが悪いんだ。
そのたちの悪さの一角が一見すれば普通の人間にしか見えないと言うことだ。
どこにでもいる平凡な町民。その皮を被っている凶悪な戦闘集団。それがサン・シモンの狂犬だ。
実際、目の当たりにするまで目の前の男が傭兵の一人だとまったく気付かなかった。
彼らはどんな場所にも簡単に入り込んでしまう。
何しろ堅実な商人と言う隠れ蓑を持っているからだ。
「こちらの獲物はもういないようですね。それならばあちらにもう少しいるかもしれません」
そう言って立ち去っていく。足元に点々と行動不能にされた男達を残して。
とり合えず、攻め込んできた者達の制圧は終了した。それが確認され、逃げ散ったものは深追いせず、行動不能になった者達は、最低限の治療だけを与えられて拘束された。
マルガリータは、女中頭による身体検査を終えると、そのままミリエル姫の使っている客間のすぐ傍の部屋に移ることになった。
ミリエルは、最初の部屋のままだが、今までやっていた廊下磨きや、庭掃除は免除され、マルガリータの世話だけしていればいいということになった。
あの部屋で寝起きし、それ以外の時間は丸余りになる。
ミリエルは、暇があるときは申し出て、廊下磨きでも銀器磨きでも何でも磨くと申し出たが、余りはかばかしい返事はなかった。
まあ、マルガリータと同室でないだけいいかとミリエルは楽観的に考えた。
何しろ、暗器の手入れをマルガリータに見つからないようにするのはなかなか大変だったので。
ミリエル姫は、そのことにどこか不満そうだったが、本当のことは言えないので、無言を通していた。
ミリエルはやっと一人自分のベッドに戻るとそのまま大きく息をついた。
「あー疲れた」
身体はともかく。気疲れは妙にした。
それに自分が厄介ごとを背負い込んだ自覚もあった。
あのミリエル姫、明らかに自分から名乗り出たようには見えない。つまり裏に黒幕がいる。
その黒幕をどうにかしなければならないだろう。
しかし、あのミリエル姫は、おびえきっているゆえに口が堅そうだ。
あの様子では詳しい話をする可能性は低そうだ。
制服を脱ぎ捨てると、ミリエルは、ハンガーに引っ掛け、そのまま毛布に潜り込む。
すべては明日考えよう。