ミリエルメイドさんになる 2
たまたま廊下を歩いていたのだろう。彼は、ミリエルを不思議そうに見下ろしていた。
「お前、急にいなくなったと思ったら何でこんなところに?」
あまり表情の動かないウォーレスがミリエルに詰め寄る。
しかし驚いたのはミリエルも同じだ。
「お願い、聞かないで、それと、あたしが知り合いだって誰にも言わないで」
ミリエルはウォーレスの腕にすがってそう訴える。
「わけありか?」
言われてミリエルはぶんぶんと首を振る。
「でもウォーレスは何でここにいるの」
「決まってるだろう、出稼ぎだよ」
商人兼傭兵として働く人間はサフラン商工会では珍しくもないが、ウォーレスが、傭兵として働いていたことはミリエルはあまり訊いたことがなかった。
無論、サフラン商工会最強の男として、傭兵働きすれば、相当稼げることは、間違いない。
「黒獅子のお達しだよ、黒獅子はサヴォワ問題で王太子に味方するつもりらしい」
その言葉にミリエルのこめかみに冷や汗が浮かぶ。
まさかと言う声が聞こえる、しかし、おそらくという声のほうが強い。
黒獅子アルマンはミリエル、サヴォワ王妃就任をサフラン商工会のビジネスチャンスと捉えた可能性が高い。
となれば、腕利きの傭兵たちが、王太子レオナルドの下に集うことになる。
それもミリエルが、王太子の妃の地位にあればこそだが。
またか、と思う二度目ともなると怒る気にもならない。それはアルマンという人をよく知っていたからかもしれない。
ミリエルは、版図を広げる一方の額を持つ人間の臓腑をえぐる暴言を呟くと。ウォーレスに聞いた。
「サフラン商工会から何人来ているの」
「今のところ俺だけだ。まあ、様子見だな、そうそう人材派遣はしない」
ウォーレスの言葉にミリエルは考え込む。
「それはそうと、他人の振りをしてほしかったんじゃないのか、このままだと誰かに見られるぞ」
慌ててミリエルは、ウォーレスから離れる。
そのまま、再び廊下を進む後姿を見送ったあと、ミリエルは女中頭に教えられた部屋に向かう。
数分後、ミリエルは、井戸で水汲みに精を出していた。
水汲みが終わったらその水で廊下の掃除。いちいちモップを手で絞らねばならないのが面倒だ。
サン・シモンなら、モップには、モップの水きり笊付きバケツがあったのだが。そこまで考えて、ふとリンツァーにもそれはあったのだろうかとミリエルは考えてみた。
おそらくなかったろう。王宮や貴族達にとって女中はさして気に留める存在ではない。そんな女中にわざわざ金を出して設備投資という便宜を図るはずもない。
「おそらく売り込んだとしても、買わないでしょうねえ」
ミリエルは溜息をついた。
水拭きが終わったら、乾拭き、乾いた雑巾で丁寧に廊下を磨く。
どうやらミリエルの仕事は掃除に限定されるらしい。飲食物を扱う仕事はさせてもらえないようだ。
当然の用心だとミリエルも思う。今、この館を取り巻く状況を考えれば素性のわからない人間に飲食物を扱わせるとしたら相当の馬鹿だ。
しかし、目に付いた限りでは女中の数は館の規模とあっておらず、ずいぶんと少ない。やはり秘密が漏れるのを恐れてのことだろうか。
ミリエルはかがんだ状態から立ち上がり腰を伸ばしつつそう思案した。