婚約者達の苦悩
レオナルドは一人で食事を取っていた。向かい側に坐るのは、ドレスを着た人形。
王太子の婚約者ミリエル・アレクト・リンツァーの行方不明は当座隠されることとなった。
ごまかしのため、ミリエルに似せた人形を使う。或いは背格好の似た少女にベールを被らせる。そうしてきたがそろそろ限界ではないかと思う。
パーシヴァルは、サヴォワに母方の祖父の知人がいるのでそちらに逃げ込んでないか確かめてくるといって出て行った。
パーシヴァルはミリエルが自力で逃げおおせたと信じているようだ。
しかし、レオナルドには信じられない。あのか弱そうな少女がどうやって自力で逃亡したと言うのだ。
レオナルドの考えでは、サヴォワの覇権を狙う自分以外の二人、ミリエル誘拐を試みたのは、父の弟であり、最初に反乱を起こした大公であることはすでに調査済みだ。
それ以外の従兄弟か、それともそれに順ずる貴族が、ミリエルを奪い取ったのだと。
ミリエルの消息が知れないことは、今も秘密だが、いずればれる。いやすでに水面下では広がりつつあるかもしれない。
だから自分は、ミリエルがどこにいるか一刻も早く探り当て、救いに行かねばならない。
焦燥がレオナルドの胸を焼く。
婚約式の折、彼女は一度も笑わなかった。ただ、自分は王族としての教育を満足に受けていない、それでもいいのかといった趣旨のことを真摯な言葉で語った。
いや、それはレオナルドに問いかけるというより、彼女自身が不安だったのだろう。
「そんなことに今頃気付くとはな」
苦いものを飲み下す。どれほど後悔しても足りない。どうして自分はあの馬車に一緒に乗っていなかったのか。
彼はフォークを置いて、顔を覆う。
少女に無事でいてほしかった。リンツァーの援助の件を置いても。
その頃、ミリエルは、パンと煮物という実質的な食事を取っていた。
マルガリータと差し向かいで、黙々と食べている。
「本当に美味しそうに食べるな」
ミリエルは満面の笑顔で答える。
「だって本当に美味しいですし」
ミリエルにとってはこれがまともなご飯だ。もちろんアマンダの愛の保存食はありがたかったし、山でしとめたウサギや山鳥も美味しくいただいたが。やはり手をかけた煮物は美味しい。
そして、王宮や離宮で食べたあの味は美味しいけれど、喉に詰まる豪華絢爛な宮廷料理。あれを食べている間、実家の食事がどれほど恋しかったか。
肉がまばらに入った野菜の煮物。これこそ人間の食べるものだとミリエルはこぶしを握って力説したかった。
「まあ、国許を出るまで、こんな宿屋や食堂に入ったことなどなかったからな」
ミリエルは、芋を噛みながら頷いた。確かに、こういう飾り気のない食堂に貴族のお嬢さんは来ないだろうなと。ミリエルにとっては、祖父がよく利用する居酒屋に似た雰囲気なので居心地がいいのだが。
そんな二人の横に唐突に誰かが坐った。この手の店では勝手に相席など珍しくもないので、ミリエルはわれ関せずとパンをかじりつづけた。
「久しぶりだなツェレ」
その言葉に思わずミリエルは顔を上げる。
「なあツェレ、これはお前の連れなのか、ずいぶん毛色の変わった連れだな」
「今日拾ったばかりだ」
そうやってマルガリータと会話する男は、やせたいかにも気性の粗そうな目をした中年男だ。刈り込んだ髪がサン・シモンの軍人を思い起こさせた。
「拾ったか、ずいぶん余裕だな」
男は小ばかにした顔でマルガリータを睨む。
「これだからお貴族様上がりは嫌なんだよ、といってサン・シモンの狂犬もごめんだが」
ミリエルのこめかみにピシッと青筋が浮く。
目の前の皿を男の頭にたたきつけたい衝動を必死にこらえる。
「まったくこんな耳寄り情報も知らずにこんな小娘を拾うとは、間抜けもいいところだ」
耳寄り情報、その言葉にマルガリータが身を乗り出す。
「王太子が帰国した。花嫁を連れてな」
思わずミリエルは身を引いた。
「ところがその花嫁が行方不明になっちまった。王太子側は必死に隠しているが、見るものが見ればばればれってことだ」
ミリエルは更に身体を男から離す。
「リンツァー王家のお姫様、この身柄を巡ってひと悶着ありそうだ。今のところ、どの勢力がお姫様を握ってるのか、わかっているのは王太子のところにいないってことだけだ」
ミリエルの血の気が加速度つきで下がっていく。
ミリエルは自分のうかつさを呪った。うっかり本名のミリエルを名乗ってしまった。こんなことになるとわかっていたらアマンダと名乗ったのに。後悔しても後の祭りだ。
「まあ、騒ぎの中心になるだろうな、そのお姫様は」
ミリエルはいっそ殺せといいたくなった。
レオナルド、哀れです。そしてミリエルも事態の重大さがやっと飲み込めたようです。次回はサヴォワの勢力争いの説明になると思います。