地図の読めない女
山間のひなびた村にパーシヴァルは来ていた。
この村の織物がサヴォワ特産で、西大陸でもかなり高位に愛好者が多い。
そのため、内乱の影響もこの村では、あまり関係ない。せっかくの特産品を潰して、後々の後悔の種にしないため、ここはサヴォワでも数少ない休戦地帯だ。
そこに、サフラン商工会サヴォワ分支局がある。
特産品の精緻を極めた織物を優先的に手に入れるために、わざわざ住み着いたのだ。
そこに陣取って一週間、パーシヴァルはミリエルを待ち続けた。
「なんだか心配になってきた」
「やっとか、やっとなのか?」
相棒の騎士がパーシヴァルに突っ込んだ。妹が行方不明になって一週間目でようやく心配になるってどういう神経してるんだ。
家主は、どこか複雑そうな顔をして、呟いた。
「まさかとは思うが」
パーシヴァルは後を聞こうとした。
その頃ミリエルは、豚の臓物と豆のスープをかきこんでいた。
あまりのがっつきようにマルガリータは茫然としている。
「有難うございます。こんなまともなご飯、どれくらいぶりでしょうか」
目に涙まで浮かべるミリエルに、むしろいたたまれないものを感じて、マルガリータは、無言で頷く。
ミリエルの着ていた服は洗濯するため脱いで、今ミリエルは、マルガリータから借りたシャツ姿だ。助けてくれたお礼に、マルガリータの分まで選択させてもらうと申し出て、二人分の衣服が、灰を溶かしたぬるま湯に浸っている。
「あの、灰を入れたら余計に汚れないか?」
「何言ってるんですか。石鹸だって灰を入れて作るんですよ、灰は立派な洗剤です」
そう言ってミリエルは、付け置きしておいた洗濯物をもみ洗いしはじめた。
「今までどうしてたんです?」
「宿屋の女中に宿代上乗せで、やってもらっていた」
一人分の洗濯で、なんて無駄なとミリエルは呆れた。
「ミリエルはどうしてあんなことになっていたんだ」
聞かれて、ミリエルはとっさに出た自分の言葉に悶絶しそうになる。
「私、人攫いにあって、やっと逃げてきたんです」
どこの世界に、旅行鞄片手に誘拐される準備のいい人間がいるんだ。と自分で自分を突っ込んだ。
基本的に嘘ではない。しかし嘘臭く聞こえることは間違いない。
しかし、マルガリータはそのまま流した。
「それで、家はどこだ」
そう言われて、正直にサン・シモンのグランデだと答えた。もちろん、近隣諸国に、グランデの治安のよさは知れ渡っている。しかしそれも流された。
「ずいぶん遠くから来たんですか」
サン・シモンの治安の良さを知らないと言うことはそう判断するしかない。マルガリータが答えたのは、東の端にある国の名だった。
ミリエルは濡れた手を拭いて、地図を指す。そして現在地を聞いた。
そしてミリエルはその場にへたり込みそうになった。
ミリエルが目指す村は、最初に地名を確認した場所から、歩いて三日ほどの場所にあった。そしてミリエルは、一週間、反対方向に歩いていたのだ。
「まさか」
ミリエルの背筋に冷たいものが走る。認めたくはない、認めたくはないが、もしや自分は方向音痴だったのでは。
ミリエルはグランデの街をほとんど出たことはなかった。たまに知らない場所に行くときはいつもダニーロとアマンダが一緒で、その事実を今まで自覚することはなかった。
しかし、初めての一人歩きでこの失態。ミリエルは地の底まで落ち込んだ。
パーシヴァルは目を瞬かせた。
「地図を読めない?」
「オリエンテーリングをやった時にな、三回に一回は反対方向に進もうとして周りの子達に止められてたらしい」
決まり悪そうな顔で、家主はそうぼそぼそと答える。
きちんと方角を見定めることができるのに、どうしてと、みんな不思議に思っていた。
「努力すれば何とかなると思うが」
その努力をする機会がなかったと。
パーシヴァルは深い溜息をついた。
灰を入れて洗濯は、古来日本で広く行われてきました。
それ以外ではみかんの煎じ汁ですね、石鹸を作るのに灰を入れるのは昔の話で、今は合成アルカリを使っています。