すれ違い
「陛下」
不意に声をかけられてレオナルドは振り返る。そこには黒髪のいかにも地味な顔と装いの侍従が立っていた。
「リンツァー王太子殿下がお呼びです」
レオナルドはリリアンに一礼するとその場を後にした。
「リリアン・カタール公爵令嬢。最近あまりいい噂をききません」
侍従がそう言ってリリアンに視線だけ動かして様子を探る。
「サヴォワ王妃への夢破れた後も無理目の大物狙いを続けるのでこのところ浮き上がっているらしいです。この間もリンツァーの王太子の花嫁候補に自分をねじ込もうとして、騒ぎを起こしたとか」
やれやれといったふうに侍従は首をふる。
「殿下の御用とは?」
「あのご婦人と話しているのを見つけられましたからね、手を差し伸べてくださったのですよ」
それだけじゃないだろうとレオナルドは思った。
リリアンの望みがもしサヴォワ王妃に返り咲くことなら、減サヴォワ王妃ミリエルを蹴落とさねばならない。
ミリエルの従兄弟としてその事態は避けねばならないところだ。
「心配ご無用なんだがね」
レオナルドはそう呟く。
リリアンとの縁談をまとめたのは今は亡き母だ。リリアンは母と縁続きの娘で、母は嫁も親族とすることで、宮廷内の自分の地盤を強化しようとしたのだろう。
しかしその母も今は無くリリアンを迎える理由もない。
そして今サヴォワに必要とされているのはリンツァーとサン・シモンの経済界に深いつながりを持つミリエルだ。
国のためを思えば、リリアンを迎える理由などない。
「あの方もご苦労なさっているな」
レオナルドは苦笑すると、背後のリリアンに振り返り小さく手を振ってやった。
王族の結婚に特に幼少時の婚約に本人の意思はない。
レオナルドにとってリリアンとの婚約破棄は大した痛手ではなかったがリリアンには違ったのだろうか。
レオナルド本人ではなくサヴォワ王家に対してだが。
「まあ、おかしいとは思ったよ」
侍従に安心させるようにそう言うと、レオナルドはクラウザー皇子の待つテーブルに足を運んだ。
ミリエルは窓辺にカップ越しに耳を押し付けて周囲の音を探っていた。
「どうやらまだ騒ぎになっていないみたいね」
この離宮が少し離れた場所にあるのがまずかったようだ。
カップを手に取ると。ミリエルは外の様子をうかがう。
「警備兵の姿が見えない」
各国の王侯貴族の婦人たちが集う場、先ほどまでは窓の外に行きかう兵隊の姿がちらほらと見えていた。
「密やかに始末されたのでしょうか」
傍らの貴婦人が唇を震わせる。
「どこかに軟禁されているだけならいいんですけど」
確実に静かにするには殺すのが一番いいと知っているミリエルは楽観できなかった。
「そろそろ動いてくれると思いますが」
このまま餓死するまで軟禁するわけではないだろう。どう考えても人質だ。
「そろそろ脅迫状の一つも届けられているころよね」
ミリエルはそう言って眼下を見下ろした。