祈りの言葉
「さすがにあそこは通らないか」
もともと砦として作られた街だ。少々入り組んでいるが、王室御用達の巨大馬車が通ることのできる場所は限られている。
このあたりは結構高級品の商店街沿いの道だ。だ。ミリエルが住んでいた場所は店と店の隙間のような細い路地をかなり進んだ先にある。
「ちょっと実家に帰れるかしら」
ミリエルは見覚えのある路地が視界をよぎるのを振り返りつぶやく。
ミリエルの母親アマンダは父や兄の手紙によると、ミリエルがサヴォワに落ち着いたのを確認するとさっさと、実家に帰ってしまった。
父と兄は本当は母にいてほしかったのだろうけれど。母には母の考えがあるとミリエルは状況を見ることにした。
「一応陛下には言ってあるけど、王宮の前に神殿だからね」
サン・シモンの守護精霊を祭る神殿に最低でも三十分祈りをささげて、その後、王宮に入る。
王宮へと続く上り坂の中腹にその神殿はあった。
すでに、各国の紋章つきの馬車が、列をなして神殿前の広場に止めてあった。
サヴォワ王国の国王の馬車がまず止まり、次いで、王妃の馬車が横についた。王と王妃が並んで神殿にはいる。
この神殿は貴族以上の御用達だ。ミリエルが通っていたのは、さらに下の階層の神殿だったので、この神殿の神官はミリエルの顔を知らない。
「この神殿が懐かしいか」
「ううん、入ったのは初めて」
ミリエルは、壁にかけられた神話をモチーフにした絵を眺めながら答える。
ミリエルが普段出入りしていた神殿にもかけられてあったが、色数が段違いだ。
「ここ、おじいちゃんの家から遠いし」
それにサン・シモンを出るまで自分が貴族だと知らなかったのだ。貴族専用施設など足を向けようとすら思ったことはなかった。
壁や柱に掘られている神話の情景を描いた彫刻もモチーフ事態は同じでも、それを作り上げる技量には天地の差があった。
中央の祭壇には有翼の女神像が飾られている。その前に跪いた。
ミリエルの口から出たのは、サン・シモン古語の祈りの言葉だった。
不思議な響きのそれをレオナルドは不思議そうに聞いていた。
「何を言っているのかさっぱりだ」
「後で翻訳するね」
そう言ってミリエルは両手を組んで祈りの姿勢を取る。
レオナルドもそれに倣った。
同じように祈る。おそらく他国のものと思われる者達や、順番待ちでその場にたたずんでいる者達もそこそこの数いた。
だが、ミリエルのように、言葉の聞きとれない歌のような言葉で、祈っているものは一人もいなかった。