検死の時間
肌着だけを着けられた遺体が、台の上に横たわっている。髪は肩までで生前は、後ろでくくっていた。
長身痩躯、こけた頬。切れ込んだ目。その容姿を部下の一人が、紙に書き写している。
マーズ将軍は、遺体の傷口を注視した。
細い糸のようなものが食い込み、ほぼ喉を切断、頚動脈も切れほぼ即死だったことは間違いない。
「手際が良すぎるな」
せめて半死半生くらいで、留めてくれれば、尋問もできたものを。
「言ってもせん無いことですよ、たまたま手に取った武器をつかったようですから、そのたまたまが一番殺傷力のある武器だったのは、お互いに運がなかったと思いますが」
デニスがにべもなく言う。
「身元を確かめられるようなものは持っていないか」
レオナルドが呟く。元々期待はしていなかった。おそらくプロの暗殺者だ。
「ああ、ミリエルが言っていたな、マルガリータとコンスタンシア、二人を同時に呼び出されていたのは偶然だろうかと」
ミリエルが襲撃されていたとき、マルガリータは、マーズ将軍の下に来ていた。
「殿下私をお疑いで?」
「いや、どの道失敗する作戦を立てるほど愚かではあるまい」
マーズ将軍は、ミリエルの実力を知っている。たった一人の暗殺者では、成功はおぼつかないだろうと予想できるくらいには。
「しかし凶器がこれか」
そう言ってマーズ将軍が、手にしたのは、ガラス玉を連ねた糸に見えるもの。ぱっと見これを凶器と判断するのは不可能だ。
おそらく部下の全員が何らかの装身具だと判断するだろう。
糸は、極細の糸鋸、それを手を切らないように、通された丸い玉で操作する。玉は投擲するさいの錘としての用途もあるようだ。
おそらく相当の熟練を要する道具だと推測がつく。
「あいつはいつでも暗殺者に転向できるな」
ミリエルは、翌日には食事を普通に取っていた。
マルガリータはミリエルについて離れない。
「ええとそんなに責任を感じることではないと」
「元々私はお前の護衛だ、責任を感じて当然の立場だろう」
ミリエルは、自分で作った朝食を台所でとっていた。来ているのは下級女官のお仕着せだ。
「醜態を晒したことはごめんなさい、でも、もっと平気だと思ってた」
「それは、昔私もそう思っていた。昔、国を出る前にな。やってみれば、自分は思っていたより強くないと思い知らされたし、慣れるまでそこそこ時間がかかった」
マルガリータは遠い目をする。国を出て初めて、剣の腕を売ったとき、マルガリータは始めて人を斬った。
その時押し寄せてきたものが何であったのか自分では定かではない。ただ、その時には後に戻れる場所はないということを思い知っただけだった。
それを繰り返すしかないと。
「昔ね、初めて猪を殺したときは、こんなにたくさんのお肉食べれないとしか思わなかったの」
ミリエルの言葉にマルガリータは目を剥く。
「猪っていつのことだ?」
「十三の時」
マルガリータが眩暈と戦っているのに気付かずミリエルは話を続ける。
「人間て、食べれないから、殺したって事実がまともにのしかかるのね」
突込みどころな発言に口を挟む気力もない。
「マルガリータ、私、がんばって慣れるから、こんなこと平気になるから」
「頼むから、慣れないでくれ」
マルガリータはようやくそれだけ搾り出した。




