それぞれの怒り
夜も更けてきたが、宿泊する施設がない。
かつては軒を連ねていた。貴族や豪商の館は、真っ先に略奪にあったのか、無残な姿を晒している。
ミリエルは馬車の中で休むように言われた。
マルガリータは小さな天幕で一人で休むことになった。
介添えの騎士も、数人の見張り以外は、天幕を張って休むという。
野外でそうした宿泊は何度かしたが、一応市外でそのような休み方をする事態になったのは初めてだった。
ミリエルは野宿を経験しているので、馬車の座席で寝ることになったくらいでは動揺はない。
天幕で寝ることになっても、荷物に、ふかふかの寝袋を用心深く用意していたパーシヴァルも平然としている。
そこで大いにごねたのは、ディートリヒだった。
「宿泊する場所がないだと」
その場で周囲のものを叩き壊しそうなくらい荒れ狂った。
「どうして手配していないんだ」
ミリエルでもわかる無茶を言い出した。
周辺の様子を見ていれば、お屋敷という建物はすでに幽霊屋敷のような外観に成り果てている。
そんな屋敷に留まるわけにも行かず、かといって人の住んでいそうな建物は、住んでいる住民がおそらく危ない。
いきおい野宿ということになる。
しかし、そんな常識を真面目に説いてもどうしようもない人間というのはいるもので、ここにいるディートリヒがまさにそういう人だった。
当然周囲の困惑など知ったことではなく。とことんまで駄々をこねる。
どうしたってディートリヒの望むような宿泊施設はどこにもないのは明白なのに、ごねればどうにかなると思っているらしい。
ミリエルは馬車を降りて、ディートリヒに近づく。
「姫、姫もさぞご不満でしょう、まったくこの無能の輩は」
そう続けようとした相手の言葉は、ミリエルの平手打ちで遮られた。
「五月蝿い」
一言そういうと身を翻す。
何故張り倒されたのか理解できないディートリヒは、茫然とその背中を視線で追っている。そして周囲をあわただしく見回した。
まわりの騎士も、ただ一人付いてきた女官のマルガリータも誰一人ミリエルを咎めない。
理不尽だとディートリヒは怒りをつのらせた。
「なんなのあいついったい」
ミリエルは苦虫を噛み潰す。
これから数日、余計に頭痛の種が増えた。見れば分かるこの状況下で、あの調子で非常識な言動を繰り出され続けたらこっちのみが持たない。
「母親がサン・シモンの貴族で、サヴォワが政変が起きてすぐ、祖父母のところに戻ってそのまま甘やかされ放題に育てられたらしいからね」
パーシヴァルがそう補足を入れてくれる。
「可哀相な子だって、私が可哀相だっての」
ミリエルは吐き捨てた。
「こうなったら、拳でしつけるからね」
ミリエルの宣言に、パーシヴァルは頷く。
「ちゃんと、どれだけあいつが非常識だったか証言するよ」