今そこにある危機
ミリエルがいいかげん煮詰まった頃に、レオナルドの使いがやってきた。
一緒に仕事をしていた文官は日に日に殺気だっていくミリエルに怯えていたので心から安堵した。
ミリエルは基本的に真面目で、地道な作業を嫌がらない。
そしてまたミリエルは計算が速いのが自慢なようで、検算の必要な作業を振り分ければ嬉々として手伝ってくれる。
木製の計算機は念のため使うだけで、これくらい暗算でできるというのでためしにやってもらったら、見事正解。拍手喝采と思わぬ息抜きになったが、そんなときに決まって現れるのがディートリヒだった。
ほんのつかの間和んだ時間が一気に凍りつく。
ミリエルは、彼がサヴォワの王族ということもあって、表面上は礼儀正しく振舞っている。
それを何の勘違いか、やたらとまとわり付いてミリエルを苛立たせるのだ。
張り付いた笑顔の向こうの殺気に気付かないのは、ただ一人彼だけだ。
その鈍さにはいっそ尊敬ものかもしれない。
ディートリヒの姿を見るたびに、マルガリータは凶器になりそうなものをミリエルの傍から放す。
実際にはミリエルは常に凶器を携帯しているので、余り意味はないが、それでも念のための用心だ。
そしていつもどおりミリエルの机の脇に陣取ってひっきりなしに喋り捲るのをはらはらしながら見守っている。
こっそり、最近では別の女官に待機してもらっていて、その女官にパーシヴァルを呼びに行くよう、こっそり合図を入れるのが習慣になっている。
パーシヴァルはいかにも温厚そうな柔弱な容姿とは裏腹に、有無を言わさずディートリヒをミリエルから引き剥がし、別の場所に誘導してくれるのだ。
今回はパーシヴァルは呼びに行く前に来た。
どうやら最近のディートリヒの行動を分析してくるタイミングを見計らっているようだ。
「ディートリヒ殿、ここにいらしたのか。実は確かめておきたいことがありますので、少々お時間をいただけますか?」
「以前にも同じようなことを行っておられたな、貴殿、少々要領が悪いのではないか」
いいところを邪魔されたと不機嫌そうに言うディートリヒに、パーシヴァルはひるむこともなく笑いかけた
「ええ、このような場所に来たのは初めてで、普段は仕事をまとめてくれる補佐官も連れてくることができませんで」
柔和に笑うパーシヴァルは、ディートリヒの背後の書記が、お前が言うなと唇だけで呟くのを見ていた。
「まったく、手のかかるお方だ、リンツァー国王の甥ごだそうだが、血筋だけでその地位におられるようだな」
パーシヴァルは余りにも自分を棚に上げた嫌味に少々呆れた。
だがそれをおくびにも出さずその態度を崩さない。
「ええ、ディートリヒ殿はどのような質問にもお答えしていただけて、有能な従兄弟が補佐についてくれてレオナルドは幸せですね」
むろん、ぱーしヴぁるはディートリヒが答えられるであろう範囲でしか質問をしていない。そのことに気付かず無駄に鼻を高くしている。
ミリエルは、兄に対するディートリヒの態度に、スカートの腿のあたりをまさぐっている。
自分の命を守るために奔走しているとも知らず、ディートリヒはパーシヴァルの横槍に憤懣やるかたないという表情で睨みつけている。
マルガリータは、いっそミリエルに始末してもらって海に流そうかと一瞬思った。
そんな時にレオナルドの使者はやってきたのだ。