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07 ウディエールの森

 * * *



 問題の森の前まで来て、愕然とした。己の目を疑い、己の記憶を疑った。だが、なにをどう考えても、疑問しか出てこない。

 ……なんだ、これは。これは、これが本当に《ウディエールの森》か!?


「なんか気味悪い感じだな」

「……こんな、ことが……」

「リデル?」


 あまりのことに、私はあえぐように声を搾り出した。

 不思議そうな視線を投げかけてくる姫とカイルは、この森の本来の姿を知らない。だから、ただ気味が悪いと評するのだ。けれど、かつての姿を知っている私は、目の前のものがそうであると信じられなかった。信じたくなかった。

 私は意を決して、森の中に足を踏み入れた。ざくり、と草を踏みしめる音さえ、不快な音として耳に入り込む。

 ……やはり、信じられない。一体なにがあったというんですか……!

 ウディエールの森は、広く深く、凶暴な野生動物もいるし、慣れない者は道に迷い出られなくなるとは言われているが、森としてはとてもきれいな森だ。木々の隙間を縫うように吹く風も、木葉の間から差し込む木漏れ日も、どこからか続いている川も、草木を支える大地すら。そのすべてが美しい。この森を構成するすべてに感謝を覚えるほど。これほどきれいなものがこの世に存在するのかと思うほど。

 少し前に過ぎ去った太陽の季節に足を踏み入れた時には、確かにそうだったのに。

 今私の目の前に在る《ウディエールの森》は、それとはまったくの別物だった。

 草木からも大地からも、以前に感じられた生気がまるでない。木に触れて、ようやく生きていることを感じる。しかし、それもずいぶんと弱々しい。生きてはいる、なのに死んでいるようだ。風もなく、まだ日暮れ前だというのに光が差し込む光もひどく弱い。まるで《闇》がこの森を包み込んでいるようだ。

 ……《闇》?


「……っ、そうか!」

「お、おい、リデル?」

「《レドネ》!」


 カイルの戸惑い呼ぶ声を無視して、左手首にあるブレスレットに意識を集中し、短い呪文を唱える。足元でかすかな光が円と記号の羅列からなる魔術陣を描き、手首のブレスレットが強く光って姿を消し、代わりに杖が左手の中におさまる。同時に、足元の図形も姿を消した。

 森の中を睨みながら、愛用の杖を強く握りこむ。


「わ、リデルの杖初めて見た!」

「持ち歩くには邪魔なので普段はブレスレットとして身につけてるんです」

「おおー」「すげー」


 暢気に仲良く感心している姫とカイルに舌打ちしたくなったが、魔術に精通していない二人が事態の重大性に気づかないのは無理もないことだ。もしかすると、魔術師であってもわからない者もいるかもしれない。


「この森のどこかで、《闇》の力を利用した魔術が使用された可能性があります」

「《闇》?」

「なんか聞くからに悪そうな感じだな」

「悪いというか……まあ悪いんですけど。しかし、自然において《闇》はあって当然のものです。問題は、《闇》によって生じる周囲への影響です」

「影響?」

「この森の空気をどう思いますか? よどんでいるとは思いませんか?」

「……そうだな。確かに、森ってのはもっときれいな空気を纏ってるもんだと思ってたけど」

「カイルの見解で間違いありませんよ。このウディエールの森もそうでした。今のこの森の空気は、明らかに異常なんです。おそらくは《闇》の力により発生した《瘴気》が広がり、この森を覆ってしまったのでしょう」


 私自身はそういった術は使ったことがないし、そもそも《闇》の魔術の使用は国の法で禁じられている。《闇》の魔術は《召喚魔術》など、空間を歪めるものが該当するとされる。禁止が明言されているのは、過去に使われたことがあるから。しかし、禁止されている今、《闇》の魔術についての詳しい情報は公開されていない。

 それでも私がその可能性に気づいたのは、過去に一度だけ、先生が国王様から許可をいただき、《闇》の魔術を実際に使って見せてくれたからだ。あの時感じた悪寒に、この森がまとっている空気はよく似ている。どちらのほうがより濃いかと言えば、迷いなく現在だと答える。先生は、私にわずかでもこの空気を体感させるために影響が少ない魔術を選んで実演したのだろう。

 《闇》の魔術は使わないように、と言いながら《闇》の魔術について詳しく説明する先生に、「どうしてそんなに詳しいのですか」と尋ねると、先生は「《闇》に正しく対処するためには、《闇》を良く知る必要があるのですよ」と答えた。当時はよくわからなかったが、今は《闇》の魔術について詳しく教え、実際に使って見せてくれた先生に感謝の気持ちでいっぱいだ。あの経験がなければ、これが《闇》の魔術の影響だなどとは思いもつかなかっただろう。


「足を踏み入れた方々が戻ってこないという情報が気になります。カイルも姫も、この先警戒を解かないよう……」

「わかってる」


 カイルは腰に下げていた剣を、鞘から抜いた。姫も頷いて、護身用だろう短剣を握る。私の話を百パーセント理解したわけではないだろうが、少なくともこの森でなにかしらとんでもないことが起きているかもしれない、ということは伝わったようだ。今はそれで十分。


「とにかく、原因だけでも見つけておきましょう。……ものによっては、私たち三人では手に余る可能性があります。その場合は、一度街まで戻りましょう」

「そうね……」


 姫の了承を得て、私は杖の先を地面につけた。目を閉じ、この森と私たちを支える大地に願う。


「"どうかどうか、我が問いにお答えください。この地を覆いし闇の元へ、我らをお導きください"……《ピア・ポエト》」


 杖を元の姿に戻したときと同様に、足元に円形が描き出され、ぽわりと光の玉がどこからか浮かび、それが蝶の形を取った。姫もカイルも、それを言葉なく見守った。

 私は応えてくれた大地に心の中で感謝の言葉を述べた。顔を上げると、ふわふわと蝶の形をした光が浮かんでいる。向いている先は、やはり森の奥だ。


「リデル、これは?」

「《捜索魔術》の一種です。先生は《導きの蝶》と呼んでいましたね。大地の力を借りました。これが、今森を覆っている《闇》の根元まで案内してくれます」

「……リデルの魔術、初めて見たけど、とってもきれいね!」

「光栄です。さ、行きましょう」

「うん!」「おう!」


 私たちは歩いた。《導きの蝶》が導くまま、草をわけ、落ちている枝葉を踏みしめて歩く。先頭はカイル、その後を姫が歩き、私は後ろを守った。


「……静かだな。鳥のさえずりすら聞こえてこねえ」

「《瘴気》にあてられたんでしょうね……。馬を置いてきて正解でした。これでは、どちらにしろ森の入り口付近に置いてくるしかなかったでしょうから」

「だな」

「……ねえ、動物にも影響があるの? 人間は大丈夫なの?」

「……野生の生き物は、私たち人間より様々な感覚が敏感だそうですから。人間も、あまり長くこの空気の中にいるのはよくないそうです」


 歩きながら、警戒は解かないまま、言葉を交わす。


「……ねえ。動物たちは、その……死んでしまった、の?」

「……おそらくは」

「……じゃあ、その、…………死体、は?」

「え?」


 私の足が止まった。示し合わせたわけではないが、カイルも気になったのか歩を止め、必然的に姫の足も止まる。

 カイルが振り返った。


「そういや変だな……リデルの言うとおりなら死体がそこらに転がっててもおかしくないのに、まだひとつも見てないなんて……」


 指摘され、初めて気がついた。驚きで声が出ない。


「あ、もしかしたら、生き残ってる動物がいるのかも!」

「あー……」


 姫の推理……と言っていいかどうかわからない言葉に、苦い声を上げるカイル。続きをはっきり口にするのは憚られるのか、濁すような音になっていた。

 一理ないことも、ない。

 生き残っている動物がいるなら、それが肉食の動物であれば、死んでしまった動物たちは生き残ったものの食料となった可能性もある。

 だが、果たして生き残ることができる動物などいただろうか。これだけ《闇》に覆われたこの森で、なにが生き残っていられるだろうか。先生はなんと言っていたか。

 思い出せ……。




『通常、長時間《瘴気》にあたって生き残るものはありません。あの中で生き続けることができる生き物を、他の動物と一緒にはしません。彼らのことを、』




「……まさか……」

「リデル?」


 ざあっと血の気がひいていく。

 先生の言ったとおりなら。私の記憶が間違っていないのなら。

 この森は、もう……。


「っ、リデル!!」

「っ!?」


 カイルの声に、とっさに後ろを振り向いた。それと同時にカイルのほうへと跳んだ。カイルは声を上げたと同時に姫の手を強く引き、自分の背に回していた。すべてがとっさの判断だった。それはまったく間違っていなかったわけだが。

 跳んだその直後、私が立っていた場所が抉られた。まるで地震のように揺れる地面の反応に、相手は高く跳んで仕掛けてきたのだということがわかった。

 必然的に、視界に相手の姿が映る。大きな爪、大きな前足、そして後ろ足だけで立つ、人間の倍以上の大きさがある狼のような生き物。

 その姿を認め、衝撃が走る。


「《ゴル・ウルフ》……!?」

「これが!? なんで《魔獣》がっ……おいリデル! この森にゃ《魔獣》まで生息してんのか!?」

「いいえ!」


 驚いた響きでその生物の名称を口にした姫。カイルは驚き焦りながらも姫と私を背中にかばうように立ち、剣を《ゴル・ウルフ》に向けて構えた。

 《魔獣》は、その目撃例こそ通常の野生動物ほど多くはないが、それでも知名度の高い生物だ。なにせ、一度出現すれば被害が半端ではない。《ゴル・ウルフ》はその《魔獣》の中でもっとも有名な種と言える。姿形は狼のそれによく似ているが、人間の倍以上の大きさで、二本の後ろ足で立って動き回る。完全な肉食。あまり賢くはないが、動きは俊敏で、力も強い。目撃例が多く、被害情報も多い。つまり、食われた被害者の数がそれだけ多い、ということだ。姫やカイルだけでなく、一般の市民だって、《ゴル・ウルフ》のことは知っている。リオールが《ゴル・ウルフ》の襲撃を受けた記憶はないから、私を含めて全員、実物を見るのはこれが初めてになるはずだ。おそらく姫は私同様、書物で見てその姿形を知っていたのだろう。興味があればその程度のことを調べることは可能だ。

 けれど、なぜ彼らが《魔獣》と呼ばれるのかは、どんな書物にも載っていなかった。




『通常、長時間《瘴気》にあたって生き残るものはありません。あの中で生き続けることができる生き物を、他の動物と一緒にはしません。彼らのことを、総じて《魔獣》と呼ぶのです。中には自ら《瘴気》を発する《魔獣》もいます。有名な《ゴル・ウルフ》もそうですね。彼らが居着いた場所は、ひどい《瘴気》に覆われてしまいます。彼らがいたなら、それは早急に排除しなければなりません。そうしなければ、その一帯が死んでしまうからです』




 先生の教えを繰り返し思い出して、ほとんど無意識に杖を構えた。《ゴル・ウルフ》の戦闘能力とタフさは驚異だ。仕留めるなら、一撃で決めるのがいい。急所は、頭と胸の中央部分だったはず。


「《ザキ・クレスタ》!!」


 魔術で作り出した三本の氷の刃が、《ゴル・ウルフ》の頭を躊躇いなく貫く。目の前にいたカイルが「げ」と呻いた。


「おっまえ……シルヴィア姫様がいんだぞ!? ちったぁ気を遣え!」

「あ! す、すみません! なんというか、反射的に……」

「まあ、気分のいいものじゃないけど……平気よ、一応」


 頭を貫かれた《ゴル・ウルフ》は、その傷口から黒い煙を噴きだし、倒れると身動き一つせず、そのまま全身が煙になってしまった。

 私たちは、その光景から目を離すことができなかった。


「……なんだか、幻みたいだね」


 跡形なく消えてしまった《ゴル・ウルフ》に、寂しげな表情の姫はそうこぼされた。姫の言いたことは、私にもなんとなくわかる。しかし、今はそのことについて悠長に考えている場合ではない。


「……《ゴル・ウルフ》はそれ自体が《瘴気》を発生させます。この状況を作り上げた原因の一端ではあるでしょうが……」


 進んでいた方向を見る。蝶の姿はすでにないが、それを具現している私にはその現在地が手に取るようわかる。《導きの蝶》はまだ奥に向かって移動を続けている。ということは、先ほどの《ゴル・ウルフ》は根元ではないということになる。


「……《魔獣》なんて、ウディエールの森にはいなかったはずです」


 むしろそんなものが元からいたのなら、この森はとっくに死んでいたに違いない。前回私がこの森を訪れた、その後から今日までの間にこの森に現れたはずだ。


「移動してきたのか?」

「……その可能性もあります。それならまだ救いがありますね……《ゴル・ウルフ》は群れて行動することは滅多にないそうなので、この森にいるのも一、二体といったところでしょう。……けれど、《召喚》という可能性もあるんです」

「召喚?」

「《ゴル・ウルフ》のような《魔獣》は、魔術師の間では《闇の眷属》とも言われているんです。魔術による召喚が可能なんですよ」

「そうなの?」

「どうやって見分けんだよ、それ」

「……わかりません。ですが、《導きの蝶》がこの場を意に介さずに移動し続けていると言うことは、《闇》の根元は別にあるということです。《召喚魔術》は使用後、その場所にひどい《瘴気》を発生させることがあると教わりましたから……もしかしたら……」

「……召喚のが可能性高いってわけか」


 この事態が《召喚魔術》に起因するとするなら、召喚を行った術者がいるはずだ。そしてそれは、間違いなく人間であるはずだ。

 いったい誰が、こんなことを……。


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(現在「番犬が行く!」絵一枚掲載中)
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