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約束(後編)

 少年は少女の手を握って歩き出した。少女も少年の手を握り返してついていく。

 少年は、今日は道場へ行かないことにした。小さな罪悪感のようなものはあったが、道場へ行けば、少年が指導を受けている間、少女が一人になってしまう。それでは意味がない。少年は、この危なっかしい少女を自分が守ってやらなければ、という使命感のようなものを覚えたのだ。それに、実のところ、少年は道場に行くことをそんなに楽しいとは思っていなかった。友達がみんな通っているからということで少年も通いだしたのだが、基礎訓練だとか言って毎日同じことばかりで、ここのところ少年は退屈していたのだ。後で先生に怒られるかもしれないということは、考えないことにした。怒られるのは嫌だけれど、隣を歩く少女がとても楽しそうに笑っているので、これでいいのだという気がした。

 道行く人々は、手をつないで連れ立つ少年と少女のことなど、ほとんど意に介さなかった。時折微笑ましそうな視線が向けられたが、それだけだった。

 道中、少女が楽しそうに口を開いた。


「さっきのカイル、とってもかっこよかったよ! 王子さまって、カイルみたいなひとのことをいうのかな」

「ばーか、王子さまってのは生まれた時から王子さまなんだから、おれは王子さまにはなれないって」

「えぇ~……」


 少女は不満そうに頬をむくれさせたが、ふと思いついた様子で顔を輝かせて、「じゃあ」とつなぐ。


「王子さまじゃないなら、騎士さまだね!」

「キシサマ? って、騎士のことだよな? この街を守ってる……」

「うん! 騎士さまはね、お姫さまのピンチにかけつけて、守ってくれるんだよ!」

「……それ王子とどうちがうんだ?」


 少年には、少女が言う王子と騎士の違いがわからなかった。もちろん身分というものがまったく別物であることは幼いながらになんとなく理解しているが、少女の言葉をそのまま受け止める限り、大して違わないような気がしたのだ。

 少女も少女で、乳母が読み聞かせてくれた御伽噺の中のお姫様を守る騎士と、この国を守っている騎士を混同して話しているのだが、幼い少女と少年に、そんなことがわかるはずもなかった。

 少女はふと、大人びた顔を見せた。


「王子さまは、お姫さまだけを守るわけにはいかないけど。騎士さまは、主人であるお姫さまを守るんだよ。ぜったい」


 大人びていて、寂しそうだった。少年はその顔を見て、言い知れない不安のようなものを感じた。確かに手を握っているのに、少女がそのままどこかに行ってしまいそうだと思った。

 そんな顔して笑うなよ、と言えるような空気でもなくて、少年はほんの少しだけ、少女の手を握る手に力をこめた。


「なんだか、騎士さまのがかっこいいね」

「……そうだな」


 たったひとり、忠誠を誓った相手を守り抜く男。それは、男の中の男だ、という気が、少年にもした。王子さまというのはどこか軽くて弱そうな印象が少年の中にはあったから、戦い勝ち抜く騎士の姿のほうが、よほどかっこよく思えたのだ。


「ぅわ!?」

「っと! あぶねえなぁ!」


 少女がふいに、ほんの少し上へと出っ張っている石につまづいて転びかけてしまった。少年は少女の手をとっさに自分の方へひいて、体全部で少女の体を受け止めた。

 少年より一回りくらい小さい少女の体。色も白くて、つないでいる手は頼りない。こんなに近くで同じ年頃の女の子を感じたのは初めてで、女の子というのはこんなにも弱々しいものなのかと驚いた。

 そして、この瞬間に少年は決めた。一生一度の一大決心だった。


「お前、あぶなっかしいなぁ」

「ご、ごめんなさい……」

「いいけど。おれが守るから」

「ふえ……?」

「おれが、お前の騎士になって、お前を守ってやるよ」


 少女は大きな目をさらに大きくして、少年を見上げた。少年はそんな少女の目を、真っ直ぐに見つめ返す。


「……ほんと?」

「ほんとほんと」

「守って、くれるの?」

「おお。今はそんな強くないけど、ぜったいうーんと強くなって、お前のこと守ってやる」

「っ……うん……ありがとう、カイル……」


 うれしそうに涙ぐむ少女を見て、少年は照れくさくなってしまい、顔をそらして足を動かした。手をつないでいる少女は、おとなしく少年に引っ張られるまま進む。

 それから二人は、街のあちこちを歩いて回った。少女はなんにも知らなくて、少年が知っているひとつひとつに驚いて感動していた。少年はそんな少女に、もっといろんなことを教えてやりたくて、もっといろんなものを見せてやりたくて、日が暮れるまで少女を引っ張って歩いた。

 街が橙色に染め上げられた頃には、さすがに少女は疲れきってしまって、石でできた階段に二人並んで座って休んでいると、街の喧騒のほうから、誰かが必死に誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。喧騒に邪魔されてその声はよくは聞こえないのだけれど、少女にはそれで十分だった。


「……ばあや……」


 少女は呆然とこぼした。いつも少女に優しくしてくれた乳母が、少女を探して呼んでいる声だった。

 少年にはその声はよく聞こえなかったが、少女のその呟きで、街の喧騒の中で張り上げられている声の主が少女を必死に探していることはわかった。


「……さがしてんのな」

「……うん」

「すっげえ心配そうだぞ」

「……うん」

「ダメじゃん、心配かけちゃ」

「……そう、だね」


 少女は俯いて顔を曇らせる。心の底から帰りたくないと思った。少年と一緒に歩く街はとても楽しくて、ずっとずっと、それこそ死んでしまうまでそうしていられたらいいと思うほどだった。けれど、帰らなくては、とも思うのだ。優しくて大好きな乳母が、あんな必死な声で少女を呼んでいる。声だけで、とても心配させたのだということがわかる。駆け寄って、ごめんね、と言いたい衝動にかられる。二つの感情で板ばさみになって、少女は決断できずにいた。

 少年はそんな少女を見て、石段から立ち上がって、少女の前に立った。

 少女は座ったまま、目の前に立った少年を見上げた。


「さっき約束しただろ」

「カイル……?」

「おれは、ぜったい強くなって、お前のこと守ってやる。だから、安心しろ、シルヴィア」

「っ……うんっ、ありがとう、カイルっ……」


 少年も、少女との別れは名残惜しかった。けれど、あんなに必死に少女を探しているひとがいるのに、知らない振りはできない。少女がなにを嫌がって家出してきたのかは少年にはわからないから、少年の言葉はもしかしたら的外れだったかもしれない。けれど少女は、うれしそうに、さびしそうに、少年に笑ってみせた。


「……ばいばい……」


 最後にぎゅうっと手を握って、少女と少年は別れた。

 少女は喧騒の向こうの乳母のもとへ駆け寄り、心配かけてごめんなさい、と泣いて謝った。

 結局、父も母も兄も姉も親戚たちも、小さな世界の中はなにも変わりはしなかったけれど、負けるもんか、と少女は心に決めて、あの世界で生きていくことにした。それは、守ってくれると約束してくれた少年のキラキラした姿を見たからだ。あんなにキラキラしている少年が、こんなにも疎まれている少女を守ってくれると言う。けれど少女は、今までそれに見合うほどの努力をしただろうか。それを考えたら途端に自分が情けなくなって、せめて少年に自らを誇れるような自分になろうと決めたのだ。

 少年は少女を見送った後、全速力で走って道場に向かい、まだ道場にいた先生に、稽古をさぼったことを頭を下げて謝った。

 少女のことは話さなかったけれど、明日からはこんなことは絶対にしないと誓った。うんと強くなりたいのだと先生の目を見て言った。道場の先生はしばらく黙って少年を見下ろしていたが、やがてしゃがみ込み、少年と目線を合わせて、明日からビシビシしごくからな、ととてもいい顔をして笑った。それにいくらか不安を覚えたが、少年は強くなるため、それを迎えうった。寂しく笑う少女が、そんな顔をしなくてもいいように、どんなことからも守れるくらい、強くなってやろうと決めたのだ。




 そのまま少女と少年が再び出逢うことはなく、季節は八度巡り、そして。


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