シロイヒガンバナ
村のはずれに祠がある。その裏には大人数で手を回してやっと届くほどの幹を持った、大きな楠が立っていた。村のどこからでも見えるそれは、特に大切にされるというわけでもなく、村人には日常の風景の一部として存在していた。
その楠の根元に男が一人腰を下ろしている。もう小一時間になるだろうか。
「遅い」男は小声でつぶやき空を見上げた。新月の日ということもあり、辺りは一段と暗く、草むらでは秋の虫が一定のリズムで鳴いている。
ザッザッザッザッー
男の鼓動は一気に跳ねた。心拍が早鐘を打つようにどんどん早くなっている。足音が止まった。
待ち人が来たうれしさを抑えきれず、男は楠の陰から飛び出した。
「遅かったね、心配したよ」刹那、男は自分の過ちを悟った。
「あーら、央一郎さんこんばんは」その声は待ち人のものではなかった。
「万里ちゃん、何しに来たんだ」男の言葉には怒りが含まれていた。
「ふふっ、そんなに怖い顔しなくても。人がせっかく苑子が来ないことを教えに来てあげたのに」女が持ってきた提灯のあかりに浮かんだ女の不敵な笑みを見て、男は愕然とした。
「苑ちゃんはどこだ」女はその質問には答えず、話し始めた。
「あなたと苑子がそういう関係だということは、わたくし気づいていましたわ。でもまさか駆け落ちを計画してるなんてねえ、ふふ」
「なんで、なんでバレたんだ」
「それはね、苑子が悪いのよ。書き置きを文箱に入れておくからよ。あの子、わたくしが時々文箱を開けているのに気づいていないのかしら」男は拳を震わせながらその言葉を聞いていた。女は続ける。
「苑子に問い詰めたらあっさり認めたわ。『お姉様、見逃して』と泣きながらすがりついてきたけれど、わたくしがそんなこと見逃すわけがないじゃない。うちは二人姉妹で、どちらも婿を取って藤角の家を継げと言われて育ってきたのよ。苑子だけが自由になるなんて許すわけないじゃない。そういうわけでわたくしが父に言いました。苑子は見張りをつけられて家から出られずにいるわ。父は鷹東の家に怒鳴り込みに行っているのではないかしら、ほほほ」女は着物の袖を口に当てて、愉快そうに笑った。そして提灯を足元に置き、棒立ちの男に近づいた。
男の胸にしなだれかかり「央一郎さん、わたくしの気持ちに気づいているでしょ。ねえ、わたくしと逃げましょうよ。わたくしその覚悟で出てきたんだから」と言った。男が女を振り払ったので、女はよろけた。
「あなたね、自分が何をしたのかわかっているの?考えてもごらんなさい、うちとあなたの家は村で1.2を争う庄屋、家同士の確執は何代も前から続いていて、その息子と娘が駆け落ち未遂を起こしたのよ。もうあなたと苑子が一緒になれないのは目に見えてる。あなたは鷹東家のたった一人の跡取り息子。あなたは自分の家にも藤角の家にも傷をつけた。苑子は傷モノのレッテルを貼られこれから生きていくのよ」「だからこうするしかなかったんだ!」男の声に悔しさがにじみでる。
「ねえ、今からどうするの?しれっと鷹東の家に帰るつもりなの?」女はあははと笑った。
「所詮、ボンボンと箱入り娘のおままごとだわ。生活なんてできるのかしら?」
男の怒りは頂点に達した。憤怒の形相で女を突き飛ばし馬乗りになった。
「君が黙っていれば、君が何もしなければ!」女は暴れ必死に抵抗するが逃げられない。男の両手が女の首に触れた。
「たすけて、ごめん、なさい、う、、あ、、」女は懇願する。
「君が全部台無しにしたんだ!」男の指が女の細い首にどんどん食い込んでいく。
「やめて!」金切り声を上げながら影が2人に向かって走ってきた。男の後ろにつき、女から引き離そうとするが、男は手を緩めない。
「やめて、やめて、ああ」数秒後女は脱力し動かなくなった。
「イヤー!」その叫び声で男はハッと我に返った。
「ワ、ワー!!」自分が組み敷く下には動かなくなった女。男は慌てて飛びのいた。そしておそるおそる近づき女の身体をゆすった。
「万里ちゃん、万里ちゃん」女の反応はない。男は自分のしでかした事の重大さに気づき「僕はなんてことを…」と絶句した。
そして男は気づいた。さっきから自分の背後に何者かがいる。
見られた!頭の中に閃光が走った。後ろを振り向き「お前は誰だ」と叫んだ。たたずんでいる人影はビクッとしておそるおそる顔を上げ男を見た。
「お前は藤角の家の…」年の頃は16.7歳の娘である。恐怖に怯えた表情を崩さず、こくんとうなづいた。「どうしてここへ」男が尋ねると娘は懐に手を入れ、封筒を取り出した。
「そ、苑子お嬢様より預かって参りました。ここに鷹東の央一郎様がいらっしゃるからと」娘はおそるおそる男に近づき封筒を渡した。男は急いで封を切る。提灯に近づく。
―央一郎様、ごめんなさい。わたくしは行くことができなくなりました。父に知られてしまいました。見張りをつけられ家を出ることができません。無念です。今、わたくしが一番悲しいのはあなたと逃げられなかったことではなく、もう一生あなたと会えないという現実がわかってしまったことです。ほんとうにごめんなさいー
手紙には続きがあった。2枚目を読もうとしたその時、ひゅーっと風が吹いて2枚目だけが飛ばされてしまった。慌ててその方を探したが見当たらない。娘も目をよく凝らして一緒に探したが、暗くて全くわからない。
すると遠くの方でざわざわと声が聞こえてきた。声の方を見ると提灯の灯りが3つ見えた。先ほどの悲鳴を聞きつけてきたのだろうか。何とかして手紙を探し出したいが、声がだんだん近づいてくる。
「ええい、ままよ」男は娘の腕を引っ張った。
「一緒に来るんだ」娘は足を踏ん張って腕を振りほどこうとするが、強引に引っ張られてしまった。
男はこの時手紙を探し出さなかったことを後々ひどく後悔することになる。
この一瞬の選択が男の人生の舵を大きくきった。運命に逆らってしまったのである。
「なんでこんなことになってしまったんだ」男はそうとも知らず、足がもつれる娘の腕を引き、あてもなく暗闇へと飲み込まれて行った。
村は何も言わなかった。
村の女A「ねえ、ちょっと聞いた?」
村の女B「聞いたわよ、大楠で死体が見つかったって」
村の女C「藤角のお嬢様だろ。まだお若いのに何があったんだろう」
村の女A「首を絞められてたらしいよ」
村の女B「あらあんた、ずいぶん詳しいね」
村の女A「まあね、いたずらもされてたって噂だよ」
村の女B「本当かい、なんてむごい」
村の女C「犯人は捕まっていないんだろ、こんな小さな村なのに、怖いねえ」
村の女A「そうそう、藤角様の使用人の女の子がいなくなったって聞いたよ」
村の女B「本当にあんた何でもよく知ってること」
村の女A「小番頭さんが一軒一軒訪ねてるよ。あんたのとこには来なかったかい」
村の女B「いいや来ないね」
村の女A「あたしはその子が犯人だと思うんだけどね」
村の女B「でもいたずらされてたんだろ」
村の女A「そっか、やっぱり犯人は男か」
村の女C「早く捕まってくれないと安心できないよ」
村の女A「藤角様の奥様がこの騒ぎでお倒れになっちまったって。お気の毒に」
村の女B「ほんとになんでもよく知ってること」
村の女A「それに比べて鷹東様は安泰だねえ。近々お坊ちゃんがご婚約だもの」
村の女C「どんな人が来るんだろう、楽しみだねえ」
Aの子「かあちゃんかあちゃん、これよんで」
村の女A「何だいこれは」
Aの子「ひろった」
村の女A「どこで」
Aの子「おおくすのちかく」
村の女A「こら、今日は大楠へは行くなって言っただろ。もうこの子は」
Aの子「だって、ぶんちゃんがみにいこうって」
村の女A「もう仕方がない子たちだねえ、・・・ おまえかあちゃんが字が読めないの知ってるだろ。そうだ誓恩寺の和尚さまに読んでもらいな」
Aの子「わかった!」
村の女A「ちゃんとあいさつするんだよ。早く帰ってくるんだよ」
Aの子「はーい」
村の女C「それにしてもこの村も物騒になったねえ」
村の女AB「ほんとだねえ、ああ怖い怖い」




