⑯本当に運がいい
「え? で、でも」
マミリアは改めて家の外観を見あげる。オレンジの屋根に白っぽい煉瓦の可愛らしい一軒家。ごく小さめだが前庭も付いている。これを借りるとなれば、そこそこのお金がかかりそうだ。
「……無理です! こんな立派な家の家賃なんて払えません!」
「ああ、酒場で働くかわりに寝床とまかない付きって条件だったでしょ? だからここの家賃は要らないよ。ここなら夜もぐっすり眠れるだろうし」
門をくぐったデーツは次に別の鍵を取り出し、家の錠を開けた。
「さ、見てみて」
「わぁ……」
確かに一人暮らしには少し広い。寝室に使える個室がみっつ、さらに食堂とリビング、バスルームもある。キッチンは全く使っていなかったのか、とても綺麗だった。
日当たりもいいし、庭でハーブや薬味を植える程度の小規模の畑もできそうだ。
「素敵な家……ホントにここに住んで良いんですか?」
「もちろん! ずっと空き家だと家が傷んじゃうし、むしろ住んでくれたらありがたいってボスは言ってたよ」
「嬉しいです! あ、でも……」
「やっぱりイヤ? 確かにギルドからはちょっと遠いもんね」
「いいえ、それは全然! でもちょっと心配で」
「心配?」
マミリアはもじもじした。
「こんなに広い家、初めてなんです。贅沢を覚えそうで怖いなって」
デーツはそれを聞いて明るく笑う。
「あはは、可愛い贅沢ね。広すぎるなら誰かと住んだりペットを飼っても良いそうだから、好きにしなよ」
◆
夕方から再びマミリアの仕事が始まった。
酒場はダンジョンから戻ってきた冒険者が酒を飲み食事を摂るだけでなく、交流や情報収集をする場でもある。
そして、ダンジョンから戻ってきたと言うことは傷ついているか、無傷であっても疲弊している者がほとんどだ。
昨日無料でお茶を飲んだ客たちの内、数人がお茶を注文してくれる。全員が魔術師や魔法剣士など魔法を使うジョブだ。
「このお茶が魔力を回復してくれるから、ジグロの実は街では食う必要がなくなったんだぜ!」
「え、そうなのか? じゃあこっちにもひとつくれ!」
そして昨日の出来事を知らない人間にも、知っている人間が情報として伝えることで、お茶の注文はそこそこ入った。
「はい、これがマミリアちゃんの取り分ね」
仕事が終わったあと、デーツから42枚の銅貨を渡されたマミリアは驚いた。確かに14人分のお茶は淹れていたのだが、実際にお金を手にするまでは実感が湧かなかったのだ。
「こんなに……」
「今日は初日だから少ない方かもね。明日からはもっと注文が入ると思うよ?」
「え?……あ、ありがとうございます。おやすみなさい」
「うん、明日もよろしくね」
マミリアはデーツや酒場の同僚たちに夜の挨拶をして、部屋に戻る。まだ新しい家に必要なものが揃っていないので、今日までは宿屋で寝ることになっていた。
髪を軽く洗い、体を拭いて寝間着に着替えるとベッドに潜り込む。寝床の横にある机が目に入ると、自然とその引き出しの中の銅貨について考えてしまう。
(明日の昼休みに雑貨屋に行って、まずはお財布を買わなくちゃ)
山賊に奪われてしまったので、今マミリアは財布すらも持っていない。
(あと、ベッドに敷くのと掛けるのとでシーツが二枚必要よね。そしたらほとんどお金は残らないかも。でも明日もデーツさんが言うように同じくらいお給料が貰えれば……)
横になったまま指を折りながら一所懸命に計算をしてみる。その計算に間違いがなければ、酒場で十日も働くとアイビー伯爵家での月給を超えてしまうかもしれない。必要なものを順次揃えていく内はカツカツだろうが、それが済めば充分な余裕ができるだろう。
(……私って、本当に運がいいわ)
マミリアはまたもやそう考えたが、今回ばかりは彼女が正しい。山賊に攫われたのに無傷で済んだだけでなく、モードレに来たことで自分に治癒魔法の能力があると知れて、更に充分な待遇の仕事まで見つかったのだから。
「……あ!」
そこで彼女は大事なことを思い出した。今までの二日間の目まぐるしい出来事に、たった三日前の事件を忘れかけていたのだ。
彼女の頭の中に、ロルフの言葉が蘇る。
”でも、俺が街で安穏と過ごす間、彼女は同じように無事で過ごせている保証は無いんだ“
「……」
マミリアはベッドの中で目をつぶった。明日朝早く起きるため、一刻でも早く寝ようと考えたのだ。今日は隣の部屋からはうるさい声は聞こえてこなかったが、彼女は彼らのことを考えるとなかなか眠れなかった。
◆
翌朝。マミリアは宿屋の女将に相談して、今の部屋で使っていたシーツと毛布を譲ってもらった。お金はそこそこ払ったが、新品のシーツや毛布を万屋で買うよりは値段を抑えられたはずだ。
そしてシーツだけを持って、仕事前にアダマンから貸してもらった家に行く。窓を開けて空気を入れ替え、ベッドにシーツを掛けてみた。
「うん。ぴったり。これで今日からここで寝られるわ」
本当は部屋の隅々まで掃除したかったが、彼女は諦めて家の鍵を閉めギルドに戻る。あまり長居をするとランチタイムの仕事に遅刻してしまいそうだったのだ。それにデーツにお願いごともしたかったし。
「うう〜ん、でもマミリアちゃんひとりであそこの山に入るのは危ないと思うよ? ロルフとザクスは愛しの彼女を探しに行っちゃったから今は居ないし……」
案の定、マミリアのお願いに対してデーツは渋った。それもそのはず。マミリアは「山賊から助けてくれた恩人に御礼を言うため、今日の昼休憩の間に山に入りたい」と言い出したのだ。
「すみません……でも、ロルフさん達でも一緒には行けないんです。私を助けてくださった方は少し変わっていて、知らない人に会いたがらないので、私ひとりで行かないと」
「ええ? それじゃますます難しいよ。山賊の残党もいるかもしれないし、それに動物も冬ごもり前で気が荒くなってる可能性があるんだから!」
「深入りはしません。必ずお昼休憩が終わるまでには戻ってきますから! お願いします!!」
「はぁ……もう〜」
必死に説得するマミリアに、デーツは根負けした。
「じゃあ方位魔石を持っていって。それなら帰り道は迷わないから」
デーツが差し出したのは魔道具だった。手のひらにすっぽり収まるサイズの丸い石板の上にガラスのドームが被せられ、ドームの中では瑠璃色の針状に尖った石が小さく揺れている。しかし揺れながらも常に同じ方向を指しているようだ。デーツは石板の縁に付けられたボタンを押した。
「今、ここの位置を記憶したから常に針はここに向かうようになったわ。これを見てまっすぐ帰ってきて」
「え、これ、魔道具ですよね? 高いんじゃ……」
デーツは赤い瞳を細めた。
「そ。結構高いから失くなったり、マミリアちゃんが返さなかったら大損失なの。必ず戻ってきて返してね?」
「は……ハイ!」
マミリアはデーツのプレッシャーに震えながらも、絶対に無事に魔道具を返そうと心に決めた。




