第7話 聖なる遺跡と不浄なる拳
深夜のギルドに、緊急召集の鐘が鳴り響いた。
普段なら酒場で上機嫌に騒いでいる冒険者たちも、この時ばかりは神妙な面持ちでギルドマスター・バルドの前に集まっている。暗いランプの灯りが、彼らの顔に不安の影を落としていた。
「諸君、重大な事態が発生した」バルドの声は普段にも増して重々しい。「聖域『光の神殿』に何者かが侵入し、神聖な封印石を盗み出したのだ」
会場がどよめきに包まれる。光の神殿といえば、この地方で最も神聖視される場所。
そこに祀られた封印石は、古代の邪悪な力を封じ込めるための要石だった。
「封印石が破壊されれば、封じられた古代の邪神『暗黒卿ゼフィロス』が復活してしまう。犯人は神殿奥深くの『試練の間』に立てこもっている。諸君らには——」
「任せろ!」
バルドの説明を遮って、ガルスが力強く立ち上がった。その拳は既に戦闘の準備ができているかのように握りしめられている。
「ガルスさん、まだ説明が終わってませんよ」リリアが慌てて制止しようとする。
「邪神復活阻止。拳で解決」ガルスが簡潔に要点をまとめる。
「まあ、間違ってはいませんが…」セレーネが鉄棒を肩に担ぎながら微笑む。「鉄棒でも解決できます」
「だから物理前提で考えないでください!相手は神聖な場所に立てこもってるんですよ!」リリアの叫びが夜のギルドに響いた。
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翌朝、三人は光の神殿へと向かっていた。
街道を抜けた丘の上に建つ神殿は、純白の大理石で作られた荘厳な建造物で、朝日を浴びて金色に輝いている。しかし、その神聖な美しさに反して、神殿の周囲には不穏な暗雲が立ち込めていた。
「うわあ…本当に神聖な雰囲気ですね」リリアが思わず声を漏らす。
神殿の門には複雑な魔法陣が刻まれ、聖なる力が空気中に漂っているのが分かる。
「こんな場所で暴力沙汰なんて…」
「心配ない。拳は万能だ」ガルスが神殿の石段を上りながら答える。
「でも、ここは神聖な場所です。暴力は神への冒涜に——」
「鉄棒は神聖です」セレーネが真顔で言い切る。
「どこがですか!?」
神殿の門番を務める老神官が、三人の到着を待っていた。その顔には深い心配の色が浮かんでいる。
「冒険者の方々ですね…ありがたい。犯人は『試練の間』の最奥で封印石を砕こうとしています。しかし、あそこは神聖な場所。武器の使用も、魔法の使用も禁じられています」
ガルスの目が光った。「つまり、素手か」
「いえ、そういう意味では——」老神官が慌てて説明しようとする。
「鉄棒は武器じゃありません。神聖な道具です」セレーネが鉄棒を握り直す。
「絶対武器です!」リリアが絶叫した。
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神殿内部は、外観以上に荘厳だった。
高い天井には美しいフレスコ画が描かれ、床には光る石が埋め込まれて幻想的な光の道を作っている。
しかし、その神聖な空間に響くのは、奥の方から聞こえてくる不気味な詠唱の声だった。
「急がないと間に合わない…」リリアが焦る。
三人は神殿の奥へと急いだ。
廊下の両脇には光の女神の像が並び、その慈悲深い表情が三人を見守っているようだった。
しかし、奥へ進むにつれて、空気が重くなっていく。邪悪な魔力が封印石から漏れ出しているのだ。
「試練の間」の扉の前で、三人は立ち止まった。
扉の向こうから、男の声で不吉な呪文が詠唱されているのが聞こえる。
「封印石よ、砕け散れ!暗黒卿ゼフィロスの復活のために!」
「間に合って!」リリアが扉を押し開ける。
試練の間は円形の部屋で、中央の祭壇に光る封印石が置かれていた。その前に立つのは、黒いローブを着た怪しげな魔導士。彼の手には禍々しいオーラを纏った杖が握られている。
「来たか、愚かな冒険者どもよ!もう遅い!封印石はもうすぐ砕け散り、我が主・暗黒卿ゼフィロスが復活する!」
魔導士が高らかに笑う。封印石にはひびが入り始め、そこから暗黒の力が漏れ出している。このままでは本当に邪神が復活してしまう。
「阻止する」ガルスが一歩前に出る。
「ちょっと待ってください!ここは神聖な場所で暴力は——」リリアが制止しようとした時、魔導士が杖を振り上げた。
「邪魔はさせん!闇の呪文・絶望の鎖!」
黒い鎖がガルスに向かって伸びる。しかし、ガルスはそれを素手で掴み取った。
「魔法は拳で受け止める」
「受け止めるって何ですか!?物理法則に反してます!」
セレーネも鉄棒を構える。「鉄棒なら、呪文も叩き落とせます」
「それも意味が分からない!」
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戦闘が始まった瞬間、部屋全体に神聖な光が満ちた。
光の女神の加護が働いたのだ。しかし、その光に包まれたガルスの拳は、なぜか金色に輝き始める。
「おお…これが神聖な拳…!」ガルスが感動する。
「神聖な拳って何ですか!?」リリアが混乱する。
セレーネの鉄棒もまた、聖なる光に包まれていた。「鉄棒も、聖なる力を得ました」
「鉄棒に神様が宿るって設定、どこから出てきたんですか!?」
魔導士は困惑していた。「な、なぜだ!?神聖な場所では暴力は禁じられているはず!」
その時、部屋の壁に刻まれた古代文字が光り、老神官の声のような響きが聞こえた。
『真に正しき心を持つ者の行いは、それが拳であろうと鉄棒であろうと、全て神聖なり』
「やはり!拳は神聖だった!」ガルスが嬉しそうに拳を振るう。
「鉄棒の神聖さが証明されました」セレーネが微笑む。
「なんで古代の神様まで物理推奨なんですか!?」
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神聖なる拳と聖なる鉄棒の前に、魔導士は為す術もなかった。ガルスの一撃で杖が砕け散り、セレーネの鉄棒で黒いローブが破れる。
「うわああああ!こんなはずでは!」
魔導士は逃げ出そうとしたが、その時リリアが立ちはだかった。
「逃がしません!魔法拳・神聖雷撃掌!」
リリアの拳から、今度は金色の雷が走った。
神聖な場所で放たれた魔法拳は、邪悪な魔導士を見事に気絶させる。
「おお、リリアも神聖拳を!」
「やはり拳は万能でした」
「だから!なんで私まで拳なんですか!魔法使いなのに!」
封印石のひびは神聖な力によって修復され、邪神復活の危機は去った。神殿に平和が戻る。
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事件解決後、老神官が三人に感謝を込めて語った。
「皆さんのおかげで神殿の平和が守られました。特に、『神聖拳法』という新たな戦闘技術を目の当たりにできて感動いたします」
「神聖拳法?」リリアが首をかしげる。
「ええ、神に愛された拳による戦闘術です。これは新たな聖戦士の技として神殿に記録させていただきます」
ガルスが胸を張る。「やはり拳は神聖だった」
「鉄棒神学も確立できそうですね」セレーネが嬉しそうに鉄棒を磨く。
「ちょっと待ってください!私は魔法使いです!拳使いじゃありません!」リリアが抗議するが、既に老神官は『聖女リリアの神聖拳法』として記録を取り始めていた。
神殿の鐘が平和を告げる中、リリアの絶叫だけが美しい夕暮れに響き渡った。
こうして、邪神復活の危機は去ったが、新たに三人の物理戦闘技術が神聖視されるという、予想外の事態が起こったのだった。
「もう魔法使いに戻れないじゃないですか…」
リリアの嘆きを他所に、ガルスとセレーネは既に次の冒険に向けて歩き出している。
「次は何を殴りに行くか」
「次は何を叩きに行くか」
「だから物理前提で考えないでください!」
三人の冒険は、今日も平和に(?)続いていく。




