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第1話 拳で語る聖職者

朝から血まみれの男が冒険者ギルドの扉を蹴破って入ってきた時、受付嬢のマリアは慣れたようにため息をついた。


「お疲れ様です、ガルス様。今日も無事に帰還されましたのね」

「ああ」


男——ガルス・レイドマンは、白い聖職者のローブを血と泥で汚しながら、重い足取りでギルドカウンターに向かった。胸元に刻まれた聖印が、返り血で赤黒く染まっている。


他の冒険者たちは、彼を見ると決まって同じ反応を示す。最初は「聖職者だ」と安心し、次に血まみれの姿に困惑し、最後に彼の正体を思い出して道を空ける。


「オークの群れ、全滅させてきた」


ガルスは乱暴にクエスト完了書をカウンターに叩きつけた。紙に血痕が付くのを見て、マリアは苦笑いを浮かべる。


「魔法で治癒なさらないのですか?」

「この程度の傷で貴重な魔法力を使うか。自然治癒で十分だ」


それが彼の流儀だった。回復魔法は他人のためにとっておく。自分のことは自分で何とかする。


ギルドの片隅で酒を飲んでいた冒険者の一人が、仲間にこそこそと囁いた。


「あいつ、本当に聖職者か?オーク十数匹を素手で倒したって噂だぞ」

「聖印は本物だが…普通の聖職者があんな戦い方するかよ」

「『鉄拳聖職者』の異名は伊達じゃないってことか」


ガルスは彼らの視線など気にも留めず、報酬の金貨袋を受け取ると踵を返そうとした。その時、ギルドマスターのバルドが奥から現れる。


「ガルス、ちょっと話がある」


五十代後半の屈強な男——元A級冒険者のバルドの声には、有無を言わせぬ響きがあった。


ギルドマスター室は、バルドの冒険者時代の戦利品で埋め尽くされていた。壁には古龍の牙で作られた剣が飾られ、机の上には魔石をあしらった装飾品が並んでいる。


「座れ」


バルドは葉巻に火をつけながら言った。ガルスは椅子に腰を下ろしたが、背もたれには寄りかからない。いつでも立ち上がれる姿勢だった。


「今度、新人の教育係をやってもらう」

「断る」


即答だった。バルドは予想していたという表情で葉巻の煙を吐く。


「理由を聞かせてもらおう」

「俺は一人で戦う。誰かの足を引っ張られるのも、足を引っ張るのもごめんだ」


「お前の戦い方を見て学ぶことがあるかもしれない」

「あるとすれば『聖職者は素手で敵を殴り殺すものではない』という教訓だけだろう」


ガルスは立ち上がろうとしたが、バルドが手を上げて制止した。


「その新人、魔法学院を首席で卒業した天才らしい」

「なら俺が教えることは何もない」


「だが実戦経験がゼロだ。昨日、スライム相手に魔法を暴走させて、森を半分焼いた」


ガルスは動きを止めた。森を焼くほどの魔法暴走——それは周囲に甚大な被害をもたらす可能性がある。


「つまり、危険人物の監視役を俺にやらせようということか」


「言い方は悪いが、まあそういうことだ」バルドは苦笑いを浮かべた。「お前なら、万が一魔法が暴走しても物理的に止められるだろう」


確かにその通りだった。ガルスの得意技の一つは、詠唱中の魔法使いに拳を叩き込んで魔法を中断させることだ。味方にそれをやったことはないが、技術的には可能である。


「報酬は?」

「通常の教育係報酬に加えて、危険手当も付ける。月額でお前の普段の収入の一・五倍だ」


ガルスは少し考えた。最近、一人で受けられる高額依頼が減ってきている。新人冒険者の増加で、中級クラスの魔物討伐依頼が彼らに回されるようになったからだ。


「条件がある」

「聞こう」


「俺のやり方に口を出すな。そして、その新人が危険だと判断した場合、俺の判断で教育を打ち切る」


バルドは頷いた。


「承諾する。明日の朝、その新人を紹介しよう」


翌朝、ガルスが指定された時刻にギルドに現れると、受付カウンターの前で一人の少女が緊張した面持ちで立っていた。


年齢は二十歳前後。栗色の髪を後ろで結い、清楚な顔立ちをしている。魔法使いの証である青いローブを着込み、腰には立派な魔法杖を下げていた。杖の先端には上質な魔石が埋め込まれている——高価な品だ。


「あの、ガルス・レイドマン様でしょうか?」


少女は丁寧にお辞儀をした。育ちの良さが滲み出ている。


「そうだ。お前がリリアか」

「はい!リリア・エルフィードと申します。今日からよろしくお願いいたします!」


元気の良い返事だった。だが、ガルスは彼女の手が微かに震えているのに気づく。緊張しているのだ。


「早速だが、今日は実地訓練を行う。森でゴブリン討伐だ」

「え?もう実戦ですか?」リリアの声が上擦った。「その前に、戦術の打ち合わせとか、お互いの能力の確認とか…」


「戦場で理屈は通用しない。体で覚えろ」

ガルスは踵を返してギルドの外に向かった。リリアは慌てて後を追う。


「あの、私、まだゴブリンと戦ったことがないんです!」

「今日戦えば経験者になる」


「そういう問題ではなくて…」

「お前の魔法はどの程度使える?」


「基本四属性の初級から中級魔法は一通り。上級魔法も火属性なら三つほど使えます!」


なるほど、確かに優秀だ。だが——


「実戦で使ったことは?」

「…ありません」


「なら初級魔法から始めろ。上級魔法は危険すぎる」


リリアは不満そうな表情を浮かべたが、反論はしなかった。賢い判断だ。


ギルドから徒歩で三十分ほどの場所にある『初心者の森』は、その名の通り新人冒険者の訓練場として使われている。魔物のレベルも低く、森の規模も適度で迷子になる心配も少ない。


「ゴブリンの生態は知っているか?」

歩きながらガルスが尋ねると、リリアは即座に答えた。


「はい!身長一メートル程度の小型亜人種。知能は低いですが狡猾で、集団で行動することが多いです。武器は棍棒や石などの原始的なものを好み、魔法に対する耐性は——」


「実戦では役に立たない知識だ」

ガルスの言葉にリリアが言葉を詰まらせる。


「大事なのは一点だけ。ゴブリンは臆病だから、一匹でも大きなダメージを与えれば残りは逃げる。つまり、最初の一撃で確実に仕留めることだ」

「な、なるほど…」


理論派のリリアには、そうした実戦的な知識の方が新鮮に響くようだった。

森に入って十分ほど歩いた時、ガルスが足を止める。


「来たな」

「え?何も聞こえませんが…」


その時、茂みがガサガサと音を立てた。緑色の小さな人影が五匹、警戒するようにこちらを覗いている。


「ゴブリンです!」リリアが杖を構えた。「魔法の準備を…」

「待て」


ガルスはリリアの前に歩み出た。ゴブリンたちは彼の姿を見ると、キーキーと鳴き声を上げて威嚇する。だが、その声は震えていた。


「お前たちには二つの選択肢がある」

ガルスは拳を握りしめた。関節がポキポキと音を立てる。


「一つ目は大人しく立ち去ること。二つ目は——」


彼は右拳を前に突き出した。

「俺の拳と語り合うことだ」


ゴブリンたちは一瞬怯んだが、すぐに数の有利を思い出したのか、棍棒を振り上げて突進してきた。


「ガルス様、危険です!魔法で援護を——」

「必要ない」


ガルスは一歩も引かず、最初のゴブリンを迎え撃った。ゴブリンが棍棒を振り下ろす瞬間、彼の右拳が相手の顎を捉える。


鈍い音と共にゴブリンが宙に舞い、三メートル後方の木に激突した。そのまま地面に落ちて動かなくなる。


残りの四匹が一斉に襲いかかってきたが、ガルスの動きは的確だった。左のゴブリンには回し蹴り、右のゴブリンには肘打ち、背後から迫るゴブリンには振り返りざまの裏拳。


わずか十秒ほどで、五匹のゴブリンが全て地面に転がっていた。


「し、信じられない…」

リリアは呆然としていた。聖職者が素手でゴブリンを瞬殺するなど、魔法学院では絶対に教わらない光景だ。


「これが実戦だ」ガルスは拳についたゴブリンの血を拭いながら言った。「理論より行動。言葉より拳。これが俺の信条だ」

「でも、あなたは聖職者でしょう?なぜ回復魔法や補助魔法を使わないのですか?」


ガルスは振り返った。その眼に宿る光は、鋼鉄のように硬く、炎のように熱かった。


「魔法は人を救うためにある。敵を倒すのは拳の仕事だ」

彼は歩き出した。


「今日の授業はこれで終わりだ。明日からが本当の修行になる。ついてこられるか?」


リリアは一瞬躊躇したが、すぐに決意を固めて頷いた。


「はい!よろしくお願いします!」

彼女の声には、朝とは違う力強さが宿っていた。

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