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第5話「私という存在が消えて、彼という存在が残ればいいのに(5)」

「莉雨」


 私が一方的に握っていた蒼の手に力が入って、優しく握り返される。

 私は相変わらず蒼の熱を感じることができないのに、蒼は私の熱を感じているってところが狡すぎるよ。やっぱり。


「蒼」


 ゆっくりと、指が絡められていく。


「……俺が甘えたら、莉雨が苦労することになる」

「私も甘えたがりだよ?」


 凄く恥ずかしいけど、凄く安心する。幸せだって思う。


「蒼、今まで以上に苦労すると思う」

「そんなことない……」


 私の瞳には蒼が映って、蒼の瞳には私が映る。

 やっぱり、幸せだなって思う。


「……蒼」

「何」


 蒼が、ゆっくりと体を起こす。


「ほんの少しだけ、抱き締めて」


 そう言って、言葉のとおり私の背中に手を回す。

 私は蒼の熱を感じないけど、蒼は私の熱を感じてくれたら、それでいい。


「はぁー……」

「蒼、大丈夫?」


 私の心音は凄い速度で動いていて、蒼に聞かれるのは恥ずかしいかもしれない。

 蒼の胸に顔を埋めるようにすれば、この恥ずかしさが少しは軽減されるだろうか。


「莉雨、多分、いろいろと狡い」


 蒼の心臓の音が聞こえてくる。


「……っ」

「莉雨?」


 ような、気がした。


「ごめん、力入れすぎ……」

「ううん、大丈夫だよ」


 抱き締め合う。

 私は蒼の腕の中にいるのに、どうしてか私はちっとも幸せに思えない。


「なんかね」

「ん?」

「ハグする人の気持ちが分からないって思ったけど」


 勇気を出して、蒼の表情を覗き込みたいって思った。

 だけど、それができない。

 彼の顔を見てしまったら、私は今日の日のことを忘れられなくなる。


「いいね、こういうの」


 私は、蒼の熱を感じることができない。

 蒼の温もりも知らない。

 蒼が力を加減してくれていることも、分からない。

 でもね。


「蒼」


 名前を呼ぶだけで、彼のことが愛おしいって思う。

 思うのに、心臓の辺りがきしきし音を立てている。

 痛い。

 痛い。

 蒼が、こんなにも近くにいるのに……私の心はちっとも喜ぶことができない。


「私」


 こんなこと、言いたくなかった。

 だけど、こういう関係を望んでいた。

 こういう関係でい続けたくなかったけど、こういう関係でい続けたかった。

 私たちにとって相応しいのは、多分、こんな関係。


「蒼の願いを叶えてみせるよ」


 ただの、苦痛な言葉でしかないかもしれない。

 ただの、苦しみを得るだけの言葉かもしれない。


「最後の高校生活が充実したものになりますようにっていう私の願いも、桜の木に頼らなくても叶えてみせる」


 それでも私は、告げてしまおうと思う。

 蒼の願いを叶えるために生きていこう。


「安心して」


 蒼の腕の中にいる私。

 蒼の表情は見えないけれど、なんとなく彼が泣いているのが分かる。


「これからも蒼に、楽しい時間をたくさんプレゼントするから」


 蒼の涙が私の制服に染み込んでいくけれど、この涙もいつかは乾いてしまう。

 蒼が泣いてくれたことすら、残らなくなってしまう日が来るのかもしれない。

 でも、敵うのなら、叶うのなら。

 覚えていたい。

 ずっと、今日の日のことを覚えていたい。


「蒼の、一番の理解者になりたい」


 少し前までは、他人同士だった私たち。

 でも、私は蒼のことに関して詳しくなりすぎているって自覚もある。


「だから、私は蒼にいっぱい話しかけるね」


 誰かに心配をかけたくない。

 誰かに甘えたくない。

 蒼は、そんな気持ちをずっと独りで抱えてきた。


「頑張ったねって、投げやりな言葉かもしれないけど」


 蒼は亡くなってしまったから、人と深く関わることもできない。

 ただでさえ人には話せることと話せないことがあるのに、蒼は亡くなったことで人を遠ざけるようになった。


「頑張った、ね」


 どんな感情が生まれても、どんな想いを抱くことになっても、蒼はずっと独りを選ぶ予定だった。


「特に何が進展するわけでもないけど……これからは、なんでも話してほしい」


 それなのに、蒼は私と関わってしまった。

 関わることを選んでくれたって表現の方が正しいのかな。


「俺は……このまま終わるんだなって思ってた」


 蒼の声がかすれているのに気づいたから、彼のことを強い力で抱き締めたい。

 叶わない願いだって知っているけど、続けていくことで希望が生まれることを願って回す腕に力を込める。

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