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第4話「私という存在が消えて、彼という存在が残ればいいのに(4)」

「……蒼」


 蒼は最後まで体温計の数値を見せないまま、布団に潜り込んでしまった。


「蒼」


 この言葉だけは。

 最後に、この言葉だけは伝えたい。


「……私の前では、無理しなくていいから」


 蒼に届いたかどうかは分からない。

 頼りない独り言になってしまったかもしれないけど、この気持ちは本物だから。

 いつも蒼に優しくされて、甘やかせてもらってきたから、私は蒼の力になりたいと思う。


「無理するよ」


 ドアノブに手をかけたとき、蒼の声がぼそっと聞こえた。

 独り言なのかなって聞き逃すこともできるくらいの小さな声だったけれど、私は迷うことなく蒼の方を振り返った。


「無理したい」


 布団から顔を出して、もう大丈夫だよって笑顔を見せる蒼。


「残された時間がどれだけあるかわからないからこそ、無理したい」


 ご家族に心配をかけないように、蒼はいつも無理した生き方をしてきたんだと思う。

 そんな蒼の力になりたいなんて、差し出がましい考えだったのかもしれない。

 蒼は、私のことを完全に拒絶している。


「俺は、いつかはいなくなっちゃう人だから」


 私は、言葉に詰まった。


「だから、莉雨の前でも精いっぱい無理したいんだよ」


 蒼の断定した物言いを受けて、蒼から目線を逸らそうとしている自分がいた。

 まるで、未来が確定しているような感覚に怯えてしまったのかもしれない。


「……俺は、母さんの未来には存在しない親不孝な息子だから」


 ここで私が蒼から目線を外したら、蒼と私の瞳は一生合わさることはない。

 そんな気がした。

 だから、私は逸らしたら駄目。

 蒼がこっちを向いてくれなくても、私は蒼を見ていなきゃ駄目だ。


「……だから、無理をするの?」

「人生最後の足掻きってやつ?」


 天井を見ながら言葉を零す蒼。

 明らかに私から目を逸らしているような、そんな蒼の態度に心が痛い。


「未来は決まっているから」


 私の視線は蒼に向いているのに、蒼は私の方を見向きもしてくれない。


「学校行きたい。部活やりたい。バスに乗って登下校したい」


 私が蒼のことを呼んだところで、蒼は一方的な言葉を紡いでいく。


「莉雨と同級生らしいことしたい。莉雨と言葉を交わしたい。莉雨と青春したい」


 それらの願いは、私には叶えてあげることができない。

 それらの願いを叶えることができるのは、蒼の寿命を把握している神様だけ。

 そんな現実に、凄く心細くなった。寂しくなった。悔しくなった。


「やりたいこと、ありすぎる」


 蒼が私のことをずっと見てくれなかったとしても、私が蒼のことを諦めてはいけないと思った。

 下を向いて俯くことなんて簡単だけど、今はその簡単な道に逃げてはいけない。


「俺の存在しない未来が正しいとか言われたって、納得できるかよ」


 唇に手の甲を当てて、蒼は瞳を閉じた。


「まだ……わかんないよ。まだ未来なんて、わかんないよ!」

「俺は、死んだ。火葬された。それが、事実なんだって」


 それ以上、言葉を紡ぐことができなくなってしまった。

 確かに蒼の言う通り、蒼の存在しない未来という表現は正しい。

 だけど、蒼に直接言われると、悲しいって思った。辛すぎるって思った。

 そんな小学生でも使えるような簡単な言葉しか思いつかないけど、本当にそう思った。

 蒼がこの世からいなくなってしまう未来なんて、私にとっては悲しくて辛いだけだった。


「……悪い、卑屈になりすぎた」

「ごめん……」

「莉雨が謝ることないって」

「ごめん……」


 ベッドに近づいて、蒼の左手をぎゅっと握る。

 でも、私は蒼に触れることができない。

 それが当たり前。

 それが現実。

 有栖川蒼は、事故で亡くなってしまったから。


「莉雨……」


 私は蒼に助けてもらいながら生きてくることができたのに、私には蒼に対して何もできることがない。


(今までの毎日だって、何もできなかった……)


 何かをしてあげることのできなかった自分は、今日も相変わらず何もしてあげることができない。

 ただ、蒼の手を握るフリをすることしかできない。


「私にも、託して……」


 お願いだから、それ以上、蒼がいない未来の日の話なんてしないでほしい。

 お願いだから、それ以上、蒼がいなくなった日の話なんてしないでほしい。


「同情しなくていいよ」


 何か、言葉を返さないといけない。


「俺を認識してるからって、それに応える必要はない」


 何か、言葉を返したいのに見つからない。


「莉雨の幸せな未来に、俺はいない」


 天井に向けられていた目線が私に向けられて、やっと蒼と瞳が重なる。

 蒼の瞳には私が映っていて、私の瞳には蒼だけが映っている。

 とても幸せなことのはずなのに、私を見る蒼の瞳はただ寂しそうに見えてしまう。


「蒼……」


 名前を呼ぶので、精いっぱい。


「私には……蒼が、生きたいって言っているように聞こえる」

「違う……違うんだって! 俺は……」

「生きるために、弱くなってもいいんだよ」


 自分の声って、こんなにも弱かったかな。

 自分の声って、今にも泣きそうな声だったかな。


「弱いところを見せて、何が問題なの?」


 でも、どんなに弱々しい声だとしても、声を震わせたらいけないと思った。


「私、蒼に弱いところ、見せてばっか」


 私が握りたいはずの蒼の手が、私の手の中から逃げ出していきそうになる。

 手を離されそうになるけど、私は両手で蒼の手を包み込む。

 たとえ彼の手がすり抜けたとしても、私は彼の手を包み込む。

 こんなときでも、相変わらず蒼の熱を感じることはできない。

 それでも、私は蒼の手を包み込むフリを続ける。


「ちゃんと弱音、吐いてほしい」


 こんなことしかできないけれど、こんなことしかできない私だけど、蒼の笑顔を見られるように力になりたい。蒼の傍で、蒼の笑顔を見て生きたい。


「無理してもいいよ。それは、蒼の人生だから」


 相手のためになりたいって思っていても、それを言葉にすることは難しい。

 相手のためになりたいって思っていても、それを行動に移すことは難しい。

 自分の気持ちなのに、相手に上手く伝えられているか分からない。


「でも、せめて、私の前では無理をしないでほしい」


 手に力を込めて、気持ちを伝える。


「私は、蒼の秘密を共有している味方だよ」


 ただ、それだけ。

 ただそれだけの感情が、私のことを動かしていく。

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