第3話「私という存在が消えて、彼という存在が残ればいいのに(3)」
「蒼の、お母さん……?」
蒼の両親と鳥屋先輩が、蒼を忘れていないなら大丈夫かもしれない。
私は、まだ私でいられるかもしれない。
蒼は、まだこの世界のどこかにいるかもしれない。
「もしもし……」
「桝谷さん?」
自分の非力さに言葉を失いかけていると、聞き覚えのある声が返ってきた。
「久しぶりね」
蒼のお母さんが、背中が丸まってしまいそうだった私を見つけてくれた。
「お母さん! お父さん! 友達のお見舞いに行ってくる!」
ちゃんと自分の足で、蒼の家に向かうことができるように足に力を込める。
でも、足が竦みそうになる。
でも、私が最後に会った彼は笑っていた。
最後の、最期まで。
(行かなきゃ)
それは、蒼の強がりから生まれた笑顔だったかもしれない。
他人に心配をかけないようにと、必死だったかもしれない。
そんな努力を積み重ねたおかげで、彼は私の気を引く天才へと変わっていったのかもしれない。
そう思うと、自然と自分の足に力が入る。
自分の体なのに、その力が入った瞬間に驚いてしまった自分が少し情けなくなった。
「こんな遅くに、わざわざありがとう」
「いえ、むしろ風邪だって教えてくれて、ありがとうございました」
すぐに柔らかな笑みを浮かべた蒼のお母さんは、風邪で休んでいるという設定の蒼の元へと私を案内してくれた。
「蒼の進路相談のことで、本当に迷惑をかけてごめんなさい」
「先生たちって忙しくて、なかなか電話も繋がらないって本当なんですね」
二学年に進学したばかりの私たちは、両親と一緒に進路相談を行うという時期を迎えていた。
二学年の段階で、両親と一緒に進路相談を行うのは珍しいのか。
それとも当たり前のことなのか、ほかの学校の事情は知らない。
でも、まだ早いんじゃないかなって思ってしまう。
まだ、未来を決めるのは早いんじゃないかって。
「蒼がいなくても大丈夫って聞いて、安心したわ」
桝谷という苗字の私は、まだまだ先に予定を組まれている。
有栖川蒼という名前の蒼は、不運なことに進学してすぐに進路相談が組まれていたらしい。
「蒼は二階」
「ありがとうございます」
蒼が住んでいる家には、もう二度と訪れることがないと思っていた。
蒼に招かれたときとは違って、今度は一人。
隣に誰もいない状況で他人に家に踏み入れるって、少しどころか凄く怖いと思った。
「蒼、入るよ」
自分から声をかけて、蒼から了承の声が聞こえてくる。
何も変なところはなくて、それはごく自然で当たり前のことなのに、蒼の部屋に入ることが急に恥ずかしくなってしまった。
(どうしよう)
まだ、蒼に甘えていいときではない気がするのに、蒼に会えることが凄く嬉しい。
「莉雨?」
蒼の声が聞こえる。
ただそれだけのことに、大きな幸福感を抱いてしまう。
「今、入るよ! 今、行く!」
ドアを開ければ、そこには当たり前のように蒼がいる。
特別なことなんて何一つないのに、大好きな人が当たり前のようにいてくれるだけで安心する。
「どうした? 返事したのに入って来ないから」
「あー、うん、なんでもない」
蒼のお母さんに託されたスポーツドリンクを小さなテーブルの上に置いて、自分の鞄を本棚の傍に置かせてもらった。
「……俺のこと、意識してる?」
「蒼、物凄く自意識過剰的なセリフでかっこ悪い……」
違わない。
蒼の言葉は見事に大当たり。
蒼を物凄く意識してしまったから、部屋に入るのを躊躇った。
そんな恥ずかしいこと、絶対に言葉に出せない。
「それは残念だなー」
蒼は、そんなことを言って私のことをからかってくる。
「元子役は、洗練されたセリフとお付き合いしていましたから」
「プロを引き合いに出すなよ。益々、かっこ悪くなる」
「かっこ悪いっていう自覚はあるんだね」
蒼が眠っていると思って、控え目な声を発していたはずなのに。
蒼の瞳が開いていると分かると、声がいつもの調子に戻っていくのを感じる。
私は、私を取り戻し始める。
「眠れない?」
「いっぱい寝すぎて目が冴えているって感じかな」
思っていたよりしっかり喋ることができていて、少し安心する。
それでも、それだけでは蒼の具合を判断できない。
近くにあった体温計をベッドの上に置いて、その体温計を手に取るように蒼を促す。
「幽霊が風邪、引くなんて……誰も信じてくれないよ」
「悪い……」
謝ってほしいわけではないけど、幽霊が風邪を引いて学校を休んだという展開に私は戸惑っている。
「俺も、驚いた」
俺も驚いたって言葉を受けて、幽霊の蒼が風邪を引いたっていうのは初めてのことかもしれないと思った。
(蒼が、消えちゃう日が近づいているのかな……)
口には出さない。
口には出さないけど、体調不良の幽霊は私に不安をもたらす。
その不安を解消する術を持たない私は、いつも通りを装う。
「熱、どれくらい?」
体温計の音が鳴って、私は蒼から体温計を受け取ろうと手を伸ばす。
けど、私は蒼から物を受け取ることができないことを思い出す。
「下がったよ、朝よりは」
申し訳ない顔をしてしまった私に配慮してくれたのかもしれないけど、私に体温計を渡そうとしない蒼に違和感。
どうしても体温計を見せたくない理由なんて、一つしか思い浮かばない。
「熱、何度あった?」
「秘密」
「蒼!」
これだけ話せているのならそう高い熱は出ていないだろうけど、人に心配をかけるような体温であったことだけは間違いない。
「医者に診てもらうわけにいかないだろ」
「熱、高いんだね」
「なんか、こんなときばっか生きてるって変な実感がある」
蒼から触れることはできても、相手に触れられたら彼は透けてしまうだけ。
こんなに気を遣いながら蒼が生きているんだから、不用意なことで蒼が亡くなったことをばらしてはいけないのかもしれない。




