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第1話「私という存在が消えて、彼という存在が残ればいいのに(1)」

 見慣れた風景に、彼の姿は見つからない。

 彼の背中を見飽きるほど追いかけていたはずの視線は、誰に向けるまでもなく教室の中をさ迷っている。


「有栖川は欠席、と」


 担任が出席を確認する。

 今日も有栖川蒼(ありすがわあお)は天国に向かったのではなく、欠席という扱いらしい。

 周囲の人たちは有栖川蒼が亡くなったという認識になっていないから、有栖川蒼はまだこの世界のどこかで幽霊として存在しているということ。


(蒼のことが見えなくなっただけ……?)


 蒼は、まだこの世界のどこかにいる。

 けれど、誰も蒼の姿見つけることができない。

 そんな日々が続いたら、蒼の最期は天国に向かうという展開しか待っていないかもしれない。


(意外と、私の背後にいたりするのかな)


 こっそり後ろを振り返ったところで、蒼の姿を確認することはできない。

 霊感体質ではない自分に蒼の姿を見つけることは難しくて、私は再び視線を黒板の方に戻す。


(私が、一緒に幸せになりたいって願ったから……)


 このまま、天国に向かわせてあげることが蒼にとっての幸せになるかもしれない。


(私は生きていて、蒼は死……っ)


 幽霊が現世をさ迷っていたところで、きっと良いことなんてものは一つもない。

 早く消滅して、生まれ変わった方が、きっと幽霊()のためになると思う。

 頭では理解を示そうとするけど、本当の自分はそこまでいい子にはなれない。


(生まれ変わった蒼と、もう一回、巡り合う)


 物語の世界を妄想する。

 そんなドラマや映画に出演する機会があったら、最高にいい芝居ができる気がする。


鳥屋(とや)先輩! 鳥屋先輩! 鳥屋先輩っ!」


 昼休みのチャイムが鳴った瞬間、教室にはざわめきが広がった。

 椅子の音、笑い声、席を移動する音、廊下へと向かう足音が混ざり合う。

 私も廊下へと急ぎ、光が差し込んでくる窓の向こうに希望を見出す。


「どしたの? 桝谷(ますや)ちゃん?」


 自分が思っていたよりも日差しが強いことに目を細めたけれど、希望ある人は不思議そうな笑みをう陰ながら後輩を受け入れてくれた。


「蒼のことなんですけど」

「有栖川?」


 いつの間にか、蒼に手招かれるかたちで私は居場所を手に入れた。

 ここが私の帰る場所って言い方は大袈裟だけど、私は高校という狭い空間の中で居心地のいい場所を見つけた。


「あれ? 学校休んでるって言ってなかった?」

「そう……でしたね」

「あははっ、桝谷ちゃんと有栖川はクラスメイトでしょ? しっかり!」


 そんな心地のいい場所は、もうすぐで変化を迎える。

 部長の鳥屋先輩が卒業して、顧問が定年退職されて、有栖川蒼がいなくなって、居心地のいい場所にはたった独りの生徒しか訪れなくなる。


(蒼って、本当に凄いな……)


 辛い想いを抱えてきたからこそ、強くいられる。

人間が強くいるためには、辛い経験が必要だなんて残酷すぎる気もする。

 それが人生というものだと言われればそれまでだけど、どうか蒼の人生が辛いという感情しか残らない人生ではなかったことを祈る。

 祈ることしかできない虚しさを噛み締めながら、私は電車の中から流れゆく景色に目を向けた。


(私も、あんな風に強くいられるようになりたい)


 私は蒼ではないから、私が蒼になることはできない。それでも望んでしまう。


(蒼には、希望を持ったまま旅立ってほしいから……)


 不慮の事故に遭われて、すんなり現実を受け入れることのできる人は絶対に少ない。

 未練や後悔なんてものは山のようにあるけれど、死んでしまった人間は未練や後悔を消化する術は持たない。

 それが現実ってものだと思ってきたけれど、蒼は幽霊であって幽霊でない人生を手に入れた。


(あ、夕陽……)


 死んだ後に待っている世界が、決して悲観的なものではありませんように。

 これは、未来ある死であってほしい。


(蒼みたいに上手く笑うことができたら、もっと蒼に安心感を抱いてもらえるかもしれないのに……)


 自分は、上手く笑うことができていない。

 こんな奴が芸能界に戻ったところで、需要がないことは目に見えている。

 芸能界に戻るなら、それに相応しい笑顔を作り込まないといけない。


(変わらない人なんて、いないはずだから)


 人間生きていけば、何かしら変化が訪れるのは当然のこと。

 ずっと変わらないでいるなんて無理な話で、蒼は強い自分であろうと必死に生きた。

 だから、蒼の世界は少しずつ変わり始めた。


(いきなり、見えなくなっちゃうのかな……)


 どうか、蒼の努力が無駄になりませんように。

 蒼が生まれ変わった世界にも、蒼の努力を引き継ぐことができるような何かを彼に与えてほしい。


(蒼がいてくれたから、やっと自分が見えてきた)


 蒼が次に歩む人生、そう簡単にいくわけがないのは分かっている。

 神様も、そこまで親切な人ではないと思う。

 でも、願ってしまう。

 大切な人が旅立ったあと、どうか幸せになれますようにって。


「偽らない毎日、やっと手にできたのに……」


 来年も、蒼と一緒にいられると思っていた。

 来年の卒業式、蒼と一緒に迎えられると思っていた。

 そんな希望を持って生きたいと誓った矢先に、蒼がいなくなってしまうなんて誰も思っていなかった。


(蒼は言葉にしなかっただけで、自分の不調に気づいていたのかな)


 蒼が私の人生に影響を与えてくれたのに、私は蒼に影響を与えられる存在にはなれなかった。

 それが事実。

 それが、私の迎えた現実。


「…………」


 私の中で、とても大きくて、とても心強い存在だった蒼。

 蒼は私の中で、一生大切な人であり続ける。


「……私がするべきことは」


 蒼は、勇気を出すことのできなかったクラスメイトの桝谷莉雨から解き放たれる。

 これは、別れじゃない。

 祝福だと言い聞かせる。

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