第6話「存在することの意味を知らされるのは、幸福とは言えないかもしれない(3)」
「桝谷ちゃんは離れる決断をしたんだから、これ以上、今を生きる私たちが桝谷ちゃんの過去を詮索するのはマナー違反だよね」
思い出すことをやめてしまえば、また二人と冗談を言い合いながら会話をすることができる。
そんな自信があるからこそ、私は考えることをやめてしまう。
「ではでは、先輩は塾へと向かわせていただきます!」
せっかく楽しい時間を過ごせるような予感がしたのに、私と蒼の面倒を見てくれている鳥屋部長は一学年上だなんて寂しすぎる。
まだ出会って数日しか経っていない人に対して、寂しいなんて気持ちが湧くなんて。
よっぽど蒼と出会ってからの日々が、充実しているということなのかもしれない。
(私の日常が充実しているって言うなら、蒼の人生だって充実させてあげたい……)
蒼の未練やら後悔をなんとかしてあげたいと思っていたのに、何故か私が幸せになってしまうのはどうしてなのか。
蒼にすべての主導権を握られているのかもしれないけれど、蒼は俺様タイプの人間でもなければ巧みな話術も持っていない。
素直に凄いと思う。
彼はたった数日の間で、私の世界を変えてしまうのだから。
「莉雨はどうする? 撮られてばっかりで疲れただろ? 帰ってもいいけど」
「んー……、蒼の撮影風景でも見てる」
「寒くないか?」
「真冬じゃないから大丈夫」
クラスメイト。
友達。
親友。
私と蒼の関係が、どれに該当するかは分からない。
人は巡り合って、一つの関係を築いていくってことは分かるけど、私と蒼の関係はどれに該当するのか分からない。
全部に該当するような気もするけど、親友は望みすぎなのかなとも思う。
(まあ、友達なんてものは存在しないけど)
友達が存在しないのなら、親友なんてものは幻の関係性。
マンガの世界の話。
それこそ、ドラマの世界だけの話。
「世の中、裏切り者ばっかり」
「何が?」
「空は馬鹿みたいに美しく晴れているのに、私の過去は暗い思い出ばっかりだなって」
永遠の友情?
笑っちゃう。
いざとなったら、人は他人を見捨てていく。
所詮は、他人同士が生きていく世界。
「みんな表向きはいい人のフリをするから、一旦は仲間に入れてもらえるの」
一旦は、輪の中に入れてくれたのに。
一時だけは、私を友達と認めてくれたのに。
「でも、自分と違うものは認めてもらえない」
どこかの誰かが言っていた言葉を蒼に伝えているだけではあるけど、私にはこの言葉の意味がよく分かる。
「だから、私は子役を辞めたのかな」
「小さいときの莉雨は、みんなと一緒になりたかったんだろうな」
「子役なんて肩書を背負っていたら、友達と同じになれないってことかぁ」
屋上には、私の声とシャッター音しか存在しなかったはずなのに。
蒼は私の言葉を丁寧に拾い上げてくれて、わざわざ声まで返してくれた。
「誰だって怖いよ。独りになるって」
グラウンドに向いていたはずの蒼の視線がいつの間にか私を向いていて、彼は私を馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「言葉と表情、一致してなくない?」
「俺たち、独りぼっち同士だから」
「……今は、独りじゃないね」
「だね」
何かに夢中になるとは縁遠い高校を選んだと思い込んでいたけど、屋上には大勢の夢中の声が集まってくる。
「後悔のない人生も難しいけど、自分の存在を認めてくれる人と出会うのも、すっごく難しいね」
「社会人になったら、もっと難しくなるらしい」
「未来の私、友達を作ることを諦めちゃってるかも」
「俺も同じこと思ってた」
鳥屋先輩の言う通り、もちろん嫌で部活をやっている人もいるかもしれない。
それでも、屋上には見えない未来が集まってきているような気がする。
「写真、少しは好きになれそ?」
蒼は前かがみの姿勢になって、気軽に質問を投げかけてきた。
「無関心が、関心には変わっていきそう」
「それは良かった」
「写真を好きになったら、蒼との繋がりが増えるね」
「って、今の社交辞令じゃないよな」
大切な人の前で、社交辞令なんてとんでもない。
作り笑顔でもなんでもなく、最高に綺麗な笑みを思い浮かべながら口角を上げる。
すると、蒼は私が言葉を返さなくても、私の気持ちを理解して柔らかな笑みを返してくれた。
「蒼が私を輪の中に入れてくれたから、私の世界は変わったよ」
自分で自分のことを傷ついたと言うのは、あまりにも簡単。
そんな簡単にできあがってしまった私の心に、彼は優しくて暖かい水を注いで傷を塞ごうとしてくれる。
「悪い方向に?」
「そこで捻くれないで」
「悪い」
おかげで私の心は彼の優しさで満たされていって、ちょっとした強さのようなものを手に入れることができる。
「私のことなんて、放っておいてくれても良かったのに」
こんな愚痴というか……思い出? ただ、聞き逃してくれればいいのに。
相槌や反応を返す必要ないのに、彼は本当に本当に優しい人らしい。
「世界が変わらなかったら、世界は同じ景色しか見せなくなるだろ」
蒼の世界は、変わらないままですか?
蒼の生きる世界は、同じ景色が続いていますか?
そんな問いかけをしてみたかったけれど、そんな問いかけができるほど私の勇気は強くも大きくもない。
「ね、いい写真撮れた?」
蒼がくれる言葉が、いちいち私の心を揺らす。
そんな心の揺れに耐えきれなくなって、思い切って話題を変える。
自分ではわざとらしいと思っていたって、蒼はわざとらしさを気にせずに話を進めてくれる。
(狡いな、私)
蒼の優しさに甘えて、どんどん自分の気持ちが隠れていく。
「んー、今日はいまいちかな」
他人だから、仕方がない。
他人だから、相容れない。
それを理解しているなら、もう少し賢く生きることができるような気もする。
「確かに蒼らしさがないかも」
でも、たとえ理解できていたって、今までの私は賢く生きることができなかった。
「あー……そんな感じ。自分でも自分らしさがないなって思う」
周囲の空気に染まることだけを真っ先に考えてきた自分を、有栖川蒼は認めてくれる。
否定って言葉で、彼は人を傷つけることを知らないのかもしれない。
「今日は、もう終わりにする? それとも場所でも変える?」
私は、蒼のために何ができていますか?
私は、蒼のために何ができますか?
自分って、本当に無力な人間だと虚しくなってくる。