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第2話「馬鹿正直に愛をくださいと叫んだ、その結果(2)」

(みんな)


 蒼の表情は、ほんの少しだけ嬉しそうに見えた。

 それが、私の都合のいい錯覚じゃないといいなと思った。

 校庭に植えられている木の種類は、どこの学校も桜だと思い込んでいた。

 でも、この日本地図には掲載されていない光野原(ひかりのはら)高校に植えられている木は楓。


(誰もが、自分の存在を認めてほしいだけ)


 紅葉との違いが分からない残念な私は、窓から見える楓と呼ばれている木に何かを感じることができない。

 こんな感性で幼い頃に役者をやっていたなんて言っても、もしかするともう誰も信じてはくれないかもしれない。


(自分の居場所が欲しいだけ)


 校庭に咲き誇る花が桜だったら、桜が咲き誇る姿の美しさに感動していたかもしれない。

 なんだか泣きたくなりそうな衝動に駆られてしまうくらい、心を揺さぶられていたかもしれない。でも、視界に入り込んでくるのは楓。


「大切な人がいれば、人生それでいいのかもしれない」


 実際に涙が溢れてくるわけではないけど、この泣きたくなるくらい人の心を衝き動かす花は咲いていない。


「何、突然」

「大切な人が、生きる価値になるんじゃないかなって話」


 懸命に命を咲かせているのは楓で、その楓は私に演じなくても大丈夫だよって呼びかけているような気さえ感じてしまう。


「大切な人って、俺?」

「だといいね」

「なんだよ、それ」

「大切って言葉の意味、よくわからないの」


 もう、誰が登校してきても可笑しくない時間帯。

 でも、これは、ただのクラスメイト同士の会話だからいいやって思えるようになってきた。


「でも、言葉を交わしてくれる相手がいるって、すっごく心強い気持ちになれるみたい」


 ただのクラスメイトとして、世間話をしているだけ。

 誰かが教室に入ってくれることがあったら、そんな話をして誤魔化してしまえばいいって思った。


「初めて気づいたの」


 だって、私は蒼と過ごす時間を優先したいと思ってしまっているから。

 誰かの視線よりも、蒼の視界に入りたいと思ってしまっているから。


「幽霊になってみるもんだな」

「幽霊にならなかったら、私に話しかけなかった?」

「んー、どうだろ。事故に遭う前から、莉雨のこと知ってたからなー」


 実は私が勉強できないフリをしているっていうのに気づくには、普段から桝谷莉雨のことを観察していないと難しいと思う。

 それだけ、蒼に注目されていたことに気づかなかったのは恥ずかしい。

 けど、自分の知らないところで、自分の頑張りを見てくれる人がいたことは嬉しいとも思ってしまう。


「どっちにしても、話しかけてた気もする」

「それは光栄です」


 有栖川蒼(ありすがわあお)が亡くなったことは悲しむべきことのはずなのに、会話をしている互いの声は沈んでいない。

 暗い会話にならないように、互いに気を遣っているのかもしれない。

 でも、そういう気遣いが存在しているおかげで、今日も私たちはクラスメイトという関係を維持できている。


「この高校に入学して、初めて楓の花を意識したかも」

「楓の花……?」


 クラスメイトとして蒼の秘密を共有していた中、蒼は窓向こうの木々へと視線を向けていた。

 一体なんの話が始まるんですかと、一緒に同じ方向を見つめる。

 そんな光景ですら、なんか青春っぽくて気恥ずかしくなる。


「二学年の教室って大抵は二階なのに、どうして俺たちのクラスだけ三階なんだろうって思わなかった?」

「思った。遅刻ぎりぎりに登校できないなって」

「でも、こんなに綺麗な空を見られるなら、三階でも我慢できそうだなって」


 空の移りゆく姿を美しいと感じるとか、四季を彩る花の終わりと始まりとか、心を揺さぶられるような現象が毎日起きているはずなのに、それらを感じることができないまま私は高校生になった。


「蒼は、感じることができる人なんだね」

「感じる?」

「私には持ってない感性を、蒼は持ってるってこと」


 空を見上げる余裕がなかった。

 花を見る時間がなかった。

 それは仕方がないことでもあるけど、そんな毎日を送っていた自分を寂しく思ってしまう。


「蒼は知っていて、私は知らないこと。たくさんあるんだなーって」

「他人同士が関わり合うって、面白いな」

「その、面白いってところに気づけるのも、凄いことなんだよ」


 なんで、蒼は亡くなってしまったのか。

 なんで、私は一時でも、芝居の世界で成功してしまったのか。

 なんで、なんで、なんでって、問いに囚われていく。

 けど、その答えを教えてくれる人がいたところで、その答えが見つかったところで、私たちの心はすっきりしないんだろうなって勘づいてしまうから、生き辛いなって思う。


「今年も同じクラスに蒼がいるって思うと、安心するかも」

「俺も、莉雨と同じクラスになれて安心する」


 クラスメイトとの会話なんて適当に流してくれても構わないのに、蒼は口角を上げて言葉を返してくれる。

 その、ひとつひとつの動作が、私の心を喜ばせているってことを、きっと蒼は知らない。


「私たち両想いだね」

「両想いって大袈裟……」

「大袈裟じゃないよ。喜ぶところ」


 悲観することなく現実を受け入れながら、小さな花を咲かせた楓の木と、雲を見つけることすら難しい真っ青な空を鑑賞する。


「莉雨?」


 背中に、目でもあるんですか?

 窓から蒼に視線を向けた瞬間、蒼が振り向いて私を見た。


「黒板、見てただけ……」


 私の視線に気づかないでほしかったのに、蒼は気づこうと努力をしてくれるから恨めしい。


「っていうのは嘘で!」

「莉雨?」


 自分の世界が変わり出しているのに気づいているけど、その気づきを受け入れたくない自分がいることにも気づいている。


「ありがとう。気づいてくれて」


 黒板を見ていただけだと、自分の気持ちを誤魔化すのをやめた。

 蒼が真っすぐな言葉を向けてくれるのに、私だけが、その真っすぐさから逃げたくないと思った。


「莉雨、感傷的すぎ」


 私が幸せだとしても、蒼が幸せになるとは限らない。

 自分の幸せが蒼の幸せとは限らないってことを、自分に言い聞かせていく。

 誰もが大切な人の力になりたいって気持ちを抱くんだろうけど、現実の自分にできることなんて限られている。

 世界はやっぱり生き辛くて、息を吸うのも吐き出すのも苦しくなる。

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