バズるって、池に石を投げたら目立っちゃったってことかな。
子供の頃、時々思った。
近所の池に石を投げたら、どれくらい大きな波紋が出来るんだろう。
実際に試すことは無かった。
その池は小さくて、でも綺麗な水が流れてて、鯉も複数匹泳いでいたから。
じゃあ、鯉が居なくて汚いただの水たまりだったら、石を投げてたか?
投げてたかもしれない。
あんまり、綺麗な波紋は作れなそうだけど。
SNSのバズるというは、池に石を放り投げて綺麗な、大きな波紋が出来たことに似ている、と思う。
バズとは『Buzz』のこと。
蜂がブンブン飛び回る音であり、一つの場所で噂話がざわざわする、という意味だ。
池や庭の上辺に、大量の蜂が集ってゆく。
益虫ならよいけれど、害虫なら堪ったものではない。
無害であっても羽音が集まり過ぎると、騒音苦情も漏れだすだろう。
それから僅かな銭を求めて蠅まで集まってくるのだから、見るにも耐えないことになる。
かつての情報交換所、俗語で公衆落書きの場であった2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)掲示板。
其処はインターネットの黎明期~SNSが発達するまでのコミュニティとして、ちゃんと区分化されている場所だった。
それからニコニコ動画、YouTube、Twitter(X)、インスタティクトクフェイブクなど多岐に広域の情報交換・発表場が展開された訳だが……正直、広域になり過ぎて専門外の情報が流れた時への反応がいたたまれない。
ニュース速報の類はあの頃でのバズりが発生すれば板を問わずに貼り付けられたり情報共有されてきたけど、鬼女(きじょ。既婚女子板の略称)の愚痴が実物として流れてきた時にはうわぁとドン引きしたものだ。
それは、ただの汚い大きな水たまりの飛沫を突然掛けらせられたみたいだ。
殆ど不意打ちで、その飛沫を生じた側はこちらへの配慮が全くない。
本当に酷い時は、金魚鉢を床に叩き付けて、ソレを周りに称賛されると誤解しているようなものを見せられる。
もちろん比喩だ。少なくとも私は実際に金魚鉢を割った奴などインターネット上では見たこともない。
具体的に置き換えれば、調理場で裸踊りをしたのを撮影したり、コンビニのアイスケースで寝転がったり、寿司屋の醬油口を舐めたりといったバカでしかない行いのことだよ。
良い事も一応あった。
アンチの声より、ちゃんとしたファンの声が大きいし可視化されてきたからだ。
2ちゃんねるだと余程の過疎ジャンルでない限り、アンチの声は回数として大きく、粘着質な特性もあってマイナスなコメントが目立ったのだ。アンチ専用のスレッドがあるのに、本スレを汚染する嫌がらせの為に度々沸いてきた。
対策としてID抽出しそのコメントだけ空白化は出来たが、明確な排除、今でいうBANは出来なかったのである。
アレが嫌いだから、面白くなかったからと正直にぼやくのは当人の好きにすれば良い。こちらの気分を害する代物はそっとミュートにしよう。余りに過激な内容ならば通報すること。ましてや当人に面と向かって毒を吐くような真似をすれば、囲まれて棒で叩かれても仕方ないし、自然の摂理だと思う。
匿名性が薄くなったことで、かつ個人または団体への、野次を超えた誹謗中傷を行えば、情報の開示請求も成立するようになった。
時代と共に法律が整っていく。廃棄汚染物は根元から絶つに限る。
主題からややズレたような、けど関係なくもない。
だって、嫌がらせで池にゴミを放つような行為なのだから。
当人にとっては取るに足らないかもしれない。
けれど最悪、その人が保有している池を汚されて壊されたかもしれない話だから。
自分の好きなものに、石を投げられる、そこから発する不快感は、奴らには分からない。
彼らは悪口を言っただけだ。その汚い文字が言葉が、交流の庭を穢していると分かってて。
たくさんの林檎の実が成ったら少しぐらいと盗みを働くもの、大きくなった池を管理すると豪語して奪うもの、これらのような恥知らずと変わらないのだ。
アンチコメをわざわざ本スレに書く奴らと、バカッターをする奴らは本質的に同じなのかもしれない。
一つの池をわざわざ絵の具を垂らして、目立ちましょう。
大きな石を投げて、大きな波紋を出して、みんなを驚かせよう。
その結果、どうなりましたか?
人の振り見て思い留まる。
ああ、やらなくて、よかった。
いつぞやか、家族とこんな雑談をしたことがある。
「閲覧回数ってまた余計なものが入って来たね。けど結局はファボ(いいね)とRTの回数が肝だよ」
「確かに」
「ただ一万回も誰某のTLに表示されているってのはちょいビビった。だけど表示されているだけだから、ファボもRTも十数ちょいだし所詮はこんなもんかとホッとしている」
「バズるのそんなに怖い?」
「めんどくさいしアタオカに目を付けられたら堪ったもんじゃない。呟きはあくまで呟き、思い付いてもあ、これ燃えるかバズるなってのとか公式の目に届く可能性はネットでも放流させんわ」
「そこまで警戒する程か?」
「言っておくが、わたしに自己承認欲求があるとでも?」
家族は肩をすくめて首を振った。
まだ、池に色取り取りの紅葉が浮かんでいた絵を偶々撮れたから、称賛されたり。
ビー玉を事故で池に落としたら更に事故で鯉が食べちゃったことに、周りが心配したり。
汚れてた池を掃除したことで、少しだけ褒められたり。
このくらいが、丁度良い。通りすがりに眺めるだけの人にとって。
最近羨ましいのは、憧れるのは。
自分だけの池を、庭を、作った人。作り続けている人。
あまり派手ではない、独創性もない、在り来たりな池でも、完成させた人。
そういうのを、目指している。