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 1


 きっと名探偵が貴方でなければ、この事件の結末は大きく変わっていたのかもしれない。


 始まりは、高校の推薦入試が終わった2月の下旬。この日は空全体が、今にも雪が降りそうな灰色の雲で埋め尽くされていた。


 部屋の照明が一段と明るく感じる。外からヒューと吹く風が聞こえてくる。


 今日は、わたしの家で小学生からの親友たちと一緒に少し遅れたバレンタインデーチョコを作っていた。


 星型の型にチョコを流し込んで、冷蔵庫で冷やし固めている間に後片付けをしていると、末野心美(すえのここみ)がわたしの隣にやって来た。


 心美はココア色のパーカーを着で腕まくりをしている。髪型はショートカットで性格はお調子者。3人の中では元気担当。


「ねぇ、愛梛あんなは彼氏さんのチョコは作ったの?」心美がからかうように言った。


「……まだだけど」わたしは消え入りそうな声で言った。


「えっ?聞こえない」


「まだ!」


 心美の言う彼氏さんとは、2ヶ月程前から付き合っている1年後輩の赤佐雅寛あかさまさひろの事だ。


 出会ったきっかけは、生徒会でわたしが生徒会長、彼が副会長をしていて、気づけばお互いに意識していて彼からの告白のようなものを受けて付き合い始めた。


 最初は何を考えているのか分からない人だったけれど、頼れる人になって、それから……これ以上は惚気話になってしまうのでやめておこう。


 きみたちが帰ってからゆっくり作るんですよと心の中で思っていると、三幸祈李(みゆきいのり)が会話に入ってきた。


 祈李は、黒いセーターに青いロングスカート。髪型はルーズサイドテール。黒縁のメガネをかけている。性格は大人しい。いつもわたしと心美を、母親のように優しく見守っている。


「心美」祈李が優しく言った。「2人のことなんだからあまり口出ししないの」


「ありがとう、祈李。わたしの事はそっとしといてください」わたしはおどけて言った。


 祈李が笑い出すと、つられてわたしと心美も笑った。


 部屋の中の笑い声が消えかけたそのとき、心美は俯いた。


「心美、どうしたの?」わたしは聞いた。「何かあったの?」


「なんで?」心美の声は震えていた。「アイツらがいなければ今頃、祈李はわたしたちと同じ学校でこんなふうに笑ってたのに……なんで?」


「心美……」祈李は沈痛な面持ちで言った。「あの時はあれしか方法がなかったのよ。あれしか……」


 祈李は続けて、あれしかなかったのと言って、あの時の決断が最適解であることを自分に言い聞かせていた。


 ダイニングに重たい空気がながれる。わたしはどうにかこの空気を変えたいと頭の中にある言葉の引き出しを開けたが、この空気に最適な言葉は出てこなかった。


 心美は泣き出してしまい、祈李は彼女の背中を優しく擦っている。わたしはというと、「ココアいれてくる」と言うことしかできずに、逃げるようにキッチンへ向かった。


 鍋に水を沸かす音と、心美のすすり泣く声が自分自身の不甲斐なさを表しているようだった。


 ココアが出来上がって、ダイニングの方へ行くと祈李が静かに「ありがとう」と言ってくれた。


 祈李も泣き出したいだろうにとわたしは思った。だが祈李の表情は穏やかだった。まるで泣いた子どもを慰める母親のように。


 わたしは、2人の前にココアをいれたカップを置いて、向かい合うように座った。


「温かいもの飲めば、気持ちも落ち着くと思うよ」わたしは心美を励ました。


「愛梛……ありがとう」


「あと1ヶ月くらいしたらさ、わたしたち、同じ学校なんだよ。またさっきみたいにいっぱい、笑い合えるよ」

わたしは“いっぱい”を強調して言った。


「そうだよね」徐々にだが、心美の声に元気が戻ってきた。


「だから……それまでみんなで頑張ろ」祈李はわたしと心美を交互に見て言った。


「うん」わたしと心美は祈李を見て頷いた。


 ココアを淹れたカップが空になった頃、わたしたちは出来上がったチョコを1つ1つラッピングし始めた。3年生全員に向けたチョコ。4組分で合計120個の一口サイズのチョコが完成した。


「それじゃ、30個ずつにしてこの大袋に入れていこう」わたしは自分の顔の前に袋を出した。


「えっと……にーしーろーやーとー」心美が2つずつ個包装されたチョコを大袋へ入れていく。「はい。祈李、口結んで」


 祈李はチョコが入った大袋を心美から受け取ると「はいよ」と言って、赤いプレゼント用の紐でリボン結びをした。


「よし、これで完成。チョコはわたしが学校へ持って行くから」わたしは4つの大袋を持ってキッチンへ行くと、冷蔵庫の中に入れた。


「みんな喜んでくれるかな」心美は不安そうな声で言った。


「うん。絶対喜んでくれるよ」祈李は笑顔で言った。


 2


 翌日、わたしは早めに家を出た。先生に内緒の計画なので、朝礼前にみんなに配っておきたかったからだ。


 外は明るめの曇り空。日が出ていないので肌寒く、マフラーと手袋が手放せない。チョコの入った大袋4つと彼に渡すチョコを手提げに入れて登校した。


 学校に着き、自分のクラスの教室に着くと、10名程先にいたので、おはようと挨拶をして自分の机に通学バックを置くと手提げからチョコの入った大袋を取り出す。


 その様子を見ていた1人の男子生徒が「おっそれ、チョコじゃん」と言って、近づいてきた。


「これ、みんなに作ったやつだから1人1つまで」わたしは右手の人差し指を立てて男子生徒に念押しした。

「教卓の上に置いておくからみんなが来たら声かけといてくれる?」


「お前が直接言えばいいじゃん」


「他のクラスの分もあるの」わたしは手提げから他の大袋を見せた。


「ちぇ」


「文句言うならあげないよ」


「わかった。言っておくよ」と不服そうに言った男子生徒は、私から大袋を受け取ると教卓の上に置いてチョコを1つ出した。


 彼はわたしに、確かに1つだけ取り出したからなと言わんばかりに表情でわたしに近づいてチョコを食べた。


「うまい!」


「当たり前でしょ」


 わたしは他のクラスにも同様に1人1つまで。ご自由にお取りくださいと言って、教卓の上に置いた。


 2階へ行き、2年1組の教室の中を見ると彼がいた。席に着いて本を読んでいる。驚かせようと後ろから静かに近づいた。


 彼の頭越しにどんな本を読んでいるのか覗き込んだ。


 ちょうど探偵が犯人に自らの推理を披露している場面で、続きが気になり顔を近づけると彼は後ろにいるわたしの気配に気がついて振り返った。


「会長?」彼はわたしのことを“会長”と呼ぶ。わたしが生徒会長だからだろう。


「赤佐くん、ごめん驚かせちゃって」わたしも彼を名前で呼べない。赤佐くんで慣れてしまったからだ。

「ちょっと、今良いかな?」


「大丈夫ですよ」赤佐くんは本に栞を挟んで机の中へしまった。


「ここだとあれだから……廊下で」


「はい」


 廊下と言ったものの、他の生徒の目もあるので教室のある棟とは反対側の棟まで2人で歩いた。


 外は陽が出ていないので、蛍光灯が点いていない教室の前の廊下はとても暗かった。


 人気がないことを確認して、わたしは手提げの中からチョコレートの入った小さな箱を取り出した。紙の箱にリボンでラッピングした簡単なつくりだ。


「あの……これ遅れてごめん」わたしは彼の反応が怖くて目を瞑りながら渡した。心臓が飛び出そうだった。


「これ……チョコですか?」


「うん」


「ありがとうございます」


 手から箱が離れた感覚がしたのでそおっと目を開けると笑顔をこちらを見てくる彼がいた。


「推薦入試で忙しかったですもんね。合格して本当に良かったです」


「ありがとう」


 心のなかの緊張が一気になくなっていく感覚になった。


「開けて良いですか?」


「うん、良いよ。食べてみて」


 四角形や星型、ハート型のチョコが数個入ったチョコで親友2人が帰ってから両親が帰ってくるまで急いで作ったからクオリティはあれだけど、気に入ってくれるかなとわたしはじっと赤佐くんを見た。


 彼は1つチョコを出して食べると、とても美味しそうに食べてくれた。


「おいしいです」赤佐くんは満面の笑みだった。


 しばらく2人で話をした。チョコを食べ終えた頃、空き箱を手提げの中に入れて教室のある棟へ向かった。


「じゃあね」わたしの声は弾んでいた。


「それじゃ、また」赤佐くん笑顔で頷くと自分の教室の方へ歩いていった。


 3階へ上がって、自分の教室に着くと教卓の上にあった大袋は空になっていた。他のクラスも同様だった。


 急いで大袋を回収して、帰ってくるとちょうど担任の先生が教室に入ってきた。


 朝礼も終わり、2時間目の授業が始まってすぐ、時刻は10時頃だった。同じクラスの生徒が1人、体調不良をうったえて保健室へ向かった。


 3


『3年1組の緑愛梛さん、職員室まで来てください』

校内放送から優しい女性の声が聞こえた。保健室の先生からだった。


 放課後、帰ろうと思っていた矢先の校内放送だった。何事かと1階へ降り、職員室に入ると室内は、今まで感じたことのない緊張感に包まれていた。


 黒いカーディガンに茶色のパンツの年齢は50代くらいの女性が保健室の教師と話をしている。


 保健室の教師がわたしに気づくと、数回頷きながら手招きしてきた。わたしが近づくと一緒に話していた女性が自己紹介してきた。どうやら保健所の職員らしい。


「あなたがチョコを作った……」


「緑さんです。緑愛梛みどりあんなさん」保健室の教師がわたしを手で指しながら紹介した。


「あの……何があったんですか」わたしは恐る恐る聞いた。


「あなたのクラスで1人、体調不良をうったえて保健室へ行ったでしょ」保健室の教師が言った。

「他にも3人、うちに来たの」


 保健室の教師によると、1組から4組1名ずつ、合計4名の生徒が保健室へ来たのだそう。全員に共通する症状は食中毒のような症状だった。


 そこで保健所に連絡をして、生徒から朝から何を食べたのか聞いたところ、4人に共通したのがわたしの作ったチョコだったのだ。


 誰からもらったと聞いて、わたしの名前を聞いたので校内放送で呼び出したのだと説明してくれた。


 昼間頃に救急車の来る音が聞こえてきたので何事かと思っていたが、どうやら食中毒をうったえた4名の生徒を搬送するために来たのだと自分の中で納得した。


「チョコを勝手に持ってきた事は今は怒らない。でも1つだけ聞かせてほしいの」保健室の教師が優しい口調で言った。

「チョコの保存はしっかりやった?傷むような保存状態だったりしなかった?」


「いえ、昨日作ってすぐに冷蔵庫に入れたので傷むことは……ないと思います」わたしはチョコが出来上がった後のことを思い出しながら言った。


「そう……」保健室の教師は考え込むような声で言った。


「幸い、先生の早めのご対応で病院に搬送して、病院からも治療中ですと聞いているので明日になったら良くなっているでしょう」保健所の職員がその場を収めるように言った。


「そうですね。明日になったらまたご連絡します」保健室の教師が申し訳なさそうにお辞儀をした。


 それでは、と言って保健所の職員は軽く一礼して職員室から出ていった。


「ごめんね、驚かせちゃったね。大丈夫、きっとみんな良くなるから」保健室の教師は不安そうな表情から笑顔を作ってわたしに言った。


「はい」わたしは言った。「あの……体調不良になった4人の生徒って誰なんですか?」


 少し驚いたような表情のあと、えっと……と言って答えてくれた。


 保健室の教師が言った氏名を聞いてわたしは、心臓のあたりがドクっと音が鳴るのを感じた。


 その4名は、わたしの親友、三幸祈李みゆきいのりをいじめていた生徒たちの氏名だったからだ。



 

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