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苦手な方はご注意ください。

あの子と同じはずなのに

作者: 央美音

 アルネの怒りの矛先は、異母姉のナイワーネに向いた。この異母姉が全て悪い、アルネの頭にはそれしかなかった。

 自分のものだと言わんばかりに、執務室にある父親が使っていた机を挟んで対面しているのも気に食わない。


「どうして、どうして私が跡継ぎになれないのよ! 私が、お父様の跡を継いで愛し合っているコテーイ様と結婚して、貴女はどこかに嫁入りして侯爵家を出ていけばいいだけじゃない?!」


 アルネの言葉にナイワーネは心底呆れた表情も隠さず、更に彼女を馬鹿にした態度でため息を吐く。


「アルネ。貴女は勘違いをしてるようだけど、この侯爵家は私だけが跡継ぎであって、貴女に相続権はないわよ」

「嘘よ! お父様は言ってたわ、可愛いアルネがこの侯爵家を継いでくれる日を楽しみにしてるって!口先だけじゃないわよ、この手紙にもちゃんと書かれているんだから!」

「……あの男、そんな戯言を言ってたのね。ここまで悪質な男だったなんて。さっさと死んでくれて助かったわ」


 ナイワーネの言葉にアルネは激昂する。愛する父親を侮蔑する彼女に、怒りを抑えきれなくなり思わず机越しに掴みかかろうとする。

 すぐにその場にいた使用人達に取り押さえられたが、アルネは気にせずにナイワーネを睨みつける。


「お父様を悪く言うなんて、なんて酷い女なの! 自分の父親が、死んだのが嬉しいなんて、なんて、なんて酷い!」

「ちょっと、死んでくれて助かったとは言ったけど、死んでくれて嬉しいとは言ってないわよ。それに、貴女にどう思われようと私は構わないけどね、家の乗っ取りは重罪、あの男は立派な犯罪者だったのよ。今は棺桶の中だけど、牢屋に入れられないのが残念だわ」

「何が乗っ取りよ! 何が犯罪者よ! ただ私が跡継ぎになるだけでしょ! 大体、後妻の娘だからって相続権がないなんてことあり得ないでしょ! 私だって当主であるお父様の実の娘なんだから!」

「貴女があの男の子供だとかは、この家に関係ないわよ。この侯爵家は、私のお母様の家なんだから、お母様から生まれた私が跡を継ぐのよ」




 そもそもの発端は、とある貴族の跡継ぎ変更が話題になったからだった。

 侯爵の位を持つ貴族で、腹違いの娘が二人だけの家。先妻の子が婿を取り、跡を継ぐはずだった。

 しかし、突然先妻の子が他国に嫁入りをする為に、後妻の子へと跡継ぎが変更されたというのだ。

 国王からも承諾されていて、既にいた婚約者は、そのまま後妻の子と婚約し直したという話だった。

 このことを知った一部の貴族は、後妻の子を溺愛するあまり、先妻が生まれた国に邪魔になった子を追いやったのだと、元々婚約者も後妻の子の方に好意を抱いていたという話を広めたのだ。

 この話を、夜会で知ったアルネは歓喜した。アルネは異母姉の婚約者であるコテーイを愛しているのだ。コテーイもアルネを愛してくれている。

 ならば、自分の家も話題になっている侯爵家のように、跡継ぎを変更すればいいのだと、アルネは考えた。

 領地にいる父親に手紙で事情を伝え、父親からもアルネが望む返事が来たことで喜んでいた。更に、穏便にナイワーネを追い出す算段を父親に相談しようとした矢先に、王都にいたアルネ達は領地から来た使者から、父親が死亡したと報告された。

 アルネの母親は、知らせを聞いた時からショックのあまり寝込んでしまっている。あの気丈な母親の弱りきった姿を、アルネは見ていられなかった。

 ナイワーネといえば、義理とはいえ今まで育ててくれた母親の心配もせずに、父親の葬儀の手配やらを執事と、いつの間にか屋敷に来ていたコテーイと共に淡々とこなしていた。

 父親の死を悲しむこともせず、涙ひとつも流さないナイワーネを、アルネは軽蔑した。アルネのように、母親の側にいようとしないナイワーネが心底嫌いになっていた。

 葬儀は何事もなく終わった。こんな悲しい時こそコテーイに慰めてもらいたかったけれど、コテーイはナイワーネに付き添っていた。

 コテーイがナイワーネに付き添う姿に、アルネの心は傷ついた。コテーイは異母姉の婚約者だ。愛し合う二人の関係は、まだ秘密にしないといけないから、一緒にいられないのは仕方がないとしても、ほんの少しだけでも側にいてほしかった。

 そして、更にアルネの心を傷つける出来事が起きる。侯爵家の跡継ぎのことだ。父親に相談はしていたものの、変更の手続きはまだしていなかった為に跡継ぎはナイワーネのまま、コテーイも彼女の婚約者のままだった。結婚式を行う日も、変更しないと決まった。

 このままだと、コテーイはナイワーネの夫になる。とてもじゃないが耐えられない。

 跡継ぎは私に代えるとお父様は手紙に書いているのだ、アルネはまだ挽回出来る方法があると思いついた。この手紙を見せれば、当主の最期の遺言として跡継ぎ変更も可能かも知れない。

 彼女は、手紙を手にして異母姉がいる執務室に向かう。

 そして、アルネの想い描く理想はただの幻だったと思い知らされる。




 ナイワーネから、アルネが知らない事実を聞かされショックをうけているのに、彼女は更に追い討ちをかけてくる。

「そもそも、貴女とコテーイが愛し合っているなんてあり得ないでしょう? 彼は私の婚約者だし、貴女と二人きりになれるような時間も場所もない。彼に愛されるどころか、まともに会話をしたことはあるのかしら?」

「あ、あるわよ。夜会で、貴女がいない時に話もしたし、ダンスだって」


 アルネの言葉が途切れたことにナイワーネは気づいた、そして彼女の主張する愛されている理由が、少なかったことにとても驚いていた。


「それだけなの? 夜会でコテーイと会話をして、ダンスを踊った。それだけで、貴女は彼に愛されていると勘違いをした。貴女って、意外と純情だったのね」

「違う、違うわ。だってコテーイ様は私に」

「愛しているとでも言われたの?」

「そうよ、愛しているとコテーイ様は」

「まあ、彼が誰に愛を囁こうがどうでもいいわ」


 ナイワーネの投げやりにも思える発言に、アルネは困惑する。


「お姉様。お姉様にとって、コテーイ様はどういった方なんですか」

「え、ただの婚約者で未来の旦那様。将来私が産む子供の父親。コテーイはお祖父様、お母様の父親が決めた相手というだけよ」


 アルネは恐ろしくなっていた。愛するコテーイを縛り付けている存在だと思っていた相手は、彼をよく知ろうともしていない。

 政略結婚という言葉がアルネの頭に浮かんだ。ナイワーネには、コテーイに対して愛はないのだ。


「ちなみにだけど、コテーイには私と結婚するしか貴族として生きる道がないのよね。元々平民になるはずだった男で、お祖父様に選ばれたから将来は侯爵家当主として生きていけるの。婚約する時の契約内容も、かなり私に有利にしたのよ。私、お母様のような立場にはなりたくないから。今のままだと貴女が平民になるのは彼も知っているし、愛を囁いたところで所詮は遊び、貴女と結ばれる為に貴族から平民になるなんて、考えたこともないでしょうよ」


 今、この異母姉はなんと言った。コテーイに遊ばれた? アルネが平民になる? 彼女は貴族の子供だ。この家を継げなくても貴族のままなはず。

 アルネの動揺に気づいたナイワーネは、多少彼女に同情したが気にせず続ける。


「遊ばれていたことに気づいてショックなのは気の毒だけど、貴女が平民になることは、あの男が貴女の嫁ぎ先を探していなかったせいだから。既に爵位を持っている男か、将来爵位を継ぐことが決まっている男に嫁げば、平民になることもなかったのに。今回の領地行きも、お祖父様から貴女の将来についての話し合いをすると呼ばれた為よ」

 

 アルネはあと何度、傷つけばいいのだろうか。ナイワーネの言葉が真実ならば、父親は彼女のせいで死んだようなものだ。


「貴女が平民になる理由はわかった? 父親が死んで、婚約者のいない貴女は邪魔なだけ、コテーイを当主にして、私が子供を産むこの家に貴女の世話をする理由はない。それと、今も寝込んでいる貴女の母親のことだけど、あの男の妻みたいなものだったから、情けであの男の少ない遺産を分けてあげるの。そのお金で王都にある保養所へ入居できるように手配したから、彼女のことは心配しないでいいわよ」

「そんな、私と貴女は父親が同じなのよ」

「そうね、貴女とは父親が同じだけど、それが何? 今まで散々貴女の母親と一緒にお門違いな言葉を私にぶつけてきておいて、私のお父様だった男を奪った貴女達を、あの男が死んだ今、もうこの侯爵家と関わらせないと決めているの」

「私はお父様の娘よ。……なら私にもお父様の遺産が貰えるはずだわ」

「あら、まだ聞いてないのね。あの男と貴女の母親は籍を入れていないの。しかも、貴女はあの男に認知されていないから、あの女は法的には後妻と認められないの。そして、認知されていない貴女にあげる遺産はないの。不服なら裁判を起こしてもいいわよ、どうせその前に門前払いされるでしょうけど。言ったでしょう、貴女の母親には情けで遺産を分けてあげると、本当なら何も持たせず追い出すところだけど、長年あの男の世話をしてくれたのは事実。その謝礼とでも思って欲しいわ」


 ナイワーネの言葉が事実だとすれば、アルネは一体何者なのだろう。父親が亡くなってから、彼女の平穏な人生は滅茶苦茶になってしまった。


「どうして、どうして私がこんな目に、私はあの子と同じはずなのに、あの子は異母姉の代わりに、跡継ぎになったじゃない」


 その言葉に、ナイワーネはとある侯爵家を思い浮かべる。


「……あの子というのは、あの侯爵家の次女のことかしら。最近話題になっているわね」

「あの子だって後妻の子なのに、先妻の子を追い出して跡継ぎになっているのに、どうして私は」

「何故貴女と同じ立場だと思い込めるの。むしろ全然違うじゃない!」


 ナイワーネの強い否定的な言葉に、アルネは思わず俯いていた顔を上げる。


「あの侯爵家はこの家と違って、先妻は嫁入りしているのよ。当主となった父親の方が侯爵家の血筋を持っているの、その血を引く後妻の子にも跡継ぎになる資格はあるわ。それに、先妻の子が突然他国に嫁入りすることになったのは、その国で起きた王位争いのせいだから」


 アルネはナイワーネの話に驚いていた。何故彼女はそんな話を知っているのだろう。


「とある国の王太子と第二王子が流行病で亡くなったことで、王位継承権を持つ人達が後ろ盾を持たない妾腹の第三王子を排除しようと動いたの。自分達の方が王に相応しいとね。とある国の国王は王位を受け継ぐには力が足りない第三王子の為に、この国に協力を求めた。それが先妻の子との結婚。侯爵家の先妻は、とある国の公爵家の令嬢だったの。父親は王弟、母親も王族を降嫁されたことのある家出身。だから、先妻の子はこの国の侯爵家の産まれだけど、とある国では血筋的に妾腹の第三王子よりは立派なものなのよ。そんな彼女と結婚させることで、他の王位継承権を持つ人達を牽制出来ると考えた訳。第三王子のこれからの動き次第だけど、孫娘が第三王子へ嫁ぎに来たのだから、静観していた公爵家も味方になるだろうし、きっと上手くいくと思うわ」


 なら、先妻の子は、侯爵家から追い出された訳では無く、第三王子を王にする為に、その血筋を買われて、必要とされて嫁ぐことになったのか。

 国王が承諾したというのも、そもそもこの話が王命だったからだろう。婚約者のいる女性を他の男に嫁がせる無茶なんて、それくらいじゃないと出来ないはずだとアルネは思いつく。

 夜会で聞いていた話と全然違う、そう気づいた彼女は項垂れてしまう。

 ナイワーネはアルネに言い聞かせるように話し続ける。


「とある国の公爵令嬢が、あの侯爵家へ嫁入りしたのは、当時大変話題になったそうよ。あの侯爵家は、今も昔も力のある貴族だけど、彼女に相応しい相手は他にいくらでもいるのに、どうしてだろうとね。彼女が産む子供の血を薄める為とか、色々推測されてはいたけど、ただの円満な恋愛結婚だったという話よ」


 何故ナイワーネがあの家の事情を詳しく話せるのか。もう、アルネには理解できない。


「そんな侯爵家の後妻は、侯爵家の親戚筋から嫁いできたの。屋敷に女主人が必要なほどの家だったのに、侯爵は先妻を愛していたから、既に跡継ぎもいることだしと、ずっと再婚を拒否していたそうよ。成長した子供から説得されたことで、やっと再婚に頷いたの。後妻は、結婚してから子供を産んだ。先妻が生きている時に、平民の愛人との間に子供をつくり、先妻が亡くなってすぐに愛人とその子供をこの屋敷に住まわせた父親を持つ私の家とは違うわ」

 

 アルネは、もうナイワーネを見ることが出来ない。彼女がどんな顔でこちらを見ているのか、知るのが怖かった。


「あと、なんだったかしら、ああ、異母姉の婚約者と異母妹が、恋仲だったと言う話。あれはどうなのかしら、歳の差が十以上もあるしまだ彼女は幼いわ。二人の年齢を知っていたら、恋仲だと言われて素直に信じる方がおかしいわよ。……貴女は信じたようだけど、本当に純情なのね」

 

 ナイワーネの皮肉にも反応出来ないほどアルネは混乱していた。話に聞いた異母妹がまだ幼いのなら、どうして二人が恋仲だという話が出たのだ。


「跡継ぎ変更の話が出て婚約し直した時に、お互いが好意的に接していたという話から邪推でもしたのかしら。先妻の子が、第三王子と結婚した時、元婚約者は荒れに荒れたと話題になったのにね。あ、それに、先妻の子と、後妻と後妻の子は、それは仲が良いという話ね。私の家とは大違いだわ!」

「な、な何でお姉様は、そんなっに、あの、家に詳しいの、わ、たしは、そんなの、知らないっ」

「いやだ、こんな話は貴族の事情がわかる立場なら誰でも知っているわよ。知らないのは小さな子供くらいね。正しい情報を得ることは、貴族には大切なことなのよ。そしてなんと、私の家も知られているわ、悪い意味でね。あの男は当主としての能力はあったけど、それ以外が駄目すぎて、王都での評判はお祖父様の代より劣っているのよね。私の代で巻き返さないといけないわ。あの侯爵家とは家格の差が凄いけど、いつかは対等に会話ができる立場になれるといいなと思っているわ」

「待って、私、わ、たしはどう、なるの」

「だから、平民になるの。入り婿の血しかない貴女はそれしかないの。あ、あの男の実家には行けないわよ。既に叔父が当主だし、力関係はこちらが上。あの男のせいで自分の家が危うくなるなんて避けたいでしょうから、貴女のような立場の人間を、家に招き入れるほど愚かじゃないの。それに、貴女が行く場所はもう決まっているわ。貴女の母親の故郷に送ってあげる。多分親戚が残っているでしょう。口減しの為に、人買いに売った女の娘が、突然母親の故郷に戻ってくるの、優しくしてもらえるといいわね」


 アルネはもう何も考えたくなかった。貴族の父親と、平民で愛人の母親から生まれた娘だったなんて知りたくなかった。

 それも、母親は人買いに売られた女、どこに買われたのかなんて知りたくもないし、父親との出会いも考えたくない。

 母親の親戚に会ったことがないのも、深く考えていなかった。この家に来る前の暮らしもあまり覚えていない。

 父親と母親に愛されて育ったことしか、アルネには必要がなかった。そんな自分を疎ましげに見つめてくる異母姉に優越感を持っていた。

 違ったのだ。この侯爵家の邪魔者は私達三人で、厚かましく居座り続けていたことに、異母姉は憤っていただけと、やっと気づいた。

 

 


 茫然自失なアルネを自室に戻すように使用人に命じたナイワーネは、とても疲れていることに気づいた。

 いきなり押しかけて来たかと思えば、自分勝手な主張を叫ぶアルネ。半分とはいえ血の繋がりを否定したくなった。

 だが、ナイワーネとアルネは似ていた。どちらも父親似だった。母親に似たかったナイワーネとしては複雑な気持ちだ。 

 ナイワーネは、執事にお茶を頼みながら椅子に座り直すと、今までのことを思い返した。

 母親が亡くなったのは、ナイワーネが七歳の時。

 葬儀の時に父親は、ナイワーネの側にいてくれなかった。一緒に悲しんではくれなかった。

 そんな父親が、あの女と自分に少し似ている少女を連れて来た時、ナイワーネの心は壊れてしまったのだろう。父親を含めてあの三人が屋敷にいることに、強い違和感を覚えるようになった。

 アルネと呼ばれている少女が、どうして我が物顔で家の中を歩いているのだろう。

 母親より少し若いがとても野蛮な女が、どうして母親の代わりに、的はずれな指示を出しながら、家を取り仕切ろうとするのだろう。

 父親だった男が、どうして二人に愛を囁き、私には何も言ってくれないのだろう。

 ふと、ナイワーネはあの男に、愛していると言われた覚えがないのに気づいてしまった。きっと母親にも口先だけの言葉を送っていたのだと思った。

 それからのナイワーネの行動は、七歳なりに頑張った方だろう。まずは先代当主、つまりは自分の祖父に連絡を取り、自分の状況を伝えてこれ以上あの男の好きにさせないように動いた。

 あの男は、連れて来た女とはまだ籍を入れていなかった。自分の立場を多少は理解していたらしいが、それならこの屋敷に連れてくるなとナイワーネは思った。

 アルネも、貴族の血を引くとはいえ、正式な子供ではない。二人の立場は危ういものだった。

 入り婿であるあの男は表向きは当主とされているが、実際の所はただの中継ぎだ。侯爵家を自分の都合の良いように動かそうものなら、親戚達が黙ってはいない。

 現に、あの女を後妻として籍を入れることで親戚、特に義父から睨まれたくはないので、女主人が必要だからという言い訳をして、二人を屋敷に住まわせた。それでも十分に非常識な話だった。

 ナイワーネを害さないことで、あの男の我儘を今まで祖父は見逃していたのだろう。

 あの二人は、自分達が侯爵家とは何の関係のない間柄だと気づいていない、だから厚かましくも図々しくこの屋敷で暮らしていた。

 婚約者のコテーイは、祖父が選んであの男と私に紹介してきた。コテーイと婚約するのは決定事項で、拒否なんて許されなかった。

 孫娘に有利な婚約になるようにと、祖父が選んだ男と初めて会った時、ナイワーネは十四歳になっていた。

 



 ナイワーネと初めて会ったのは、コテーイが十九歳の時だった。本来なら伯爵家三男の彼は、長男が伯爵家を継いだ時に家を出て、少し裕福な平民として生きていくはずだった。コテーイの家には、次男に渡す爵位しか余裕がなかったのだ。

 昔から優秀だったこともあり、今は役所で文官見習いとして働いている。数年ほど立派に勤めていれば、文官になれることだろう。

 ナイワーネとの縁談は、コテーイにとって千載一遇のチャンスだった。彼女と結婚することで、コテーイは中継ぎとはいえ、実家よりも位が上の侯爵家の当主になれるのだから。

 婚約したとはいえ、文官見習いの仕事は続けている。侯爵家当主の座はまだ先の話なのだから、真面目に働いていた方が、相手にも良く見えてくれるだろう。後のことは、その時に考えればいいのだ。

 歳下のナイワーネとの交流はつまらないものだったが、それを隠してナイワーネに優しく接した。

 ナイワーネは、どこか達観した様子がある子供だった。コテーイを呼ぶ時は基本呼び捨てで、会話もおざなりだった。歳下に呼び捨てにされることに戸惑いはあったが、立場は彼女の方が上だと気にしないようにした。おざなりな会話も、続けていればまともに会話が出来るようになった。だが、贈り物をしても、何処ぞに連れ出しても、彼女の反応が薄い。お礼はきちんとされている、なのにどこかコテーイに対して興味がない気がするのだ。

 一方、ナイワーネの義妹として紹介されたアルネは、好奇心いっぱいの表情でこちらを見てくる。それに侯爵家当主と後妻もコテーイに、好意的だった。

 あまりにもアルネがコテーイに構ってもらおうとするものだから、彼が侯爵家を訪れた時には、使用人達によって彼女を接触させないように気を配っていると感じた。

 王都の社交場で時折話題になるこの家の事情は、普段は地方にいる貴族達にも知られている。社交場では、先妻が亡くなった直後に後妻となった愛人とその連れ子を屋敷に招いたという話になっている。籍を入れていない愛人と、認知していない子供を屋敷に置いているのは、侯爵家の更なる醜聞になるので徹底的に隠した。貴族の裏事情などを知る術もないコテーイは、彼女達を侯爵家当主の後妻とナイワーネの義妹だと誤認していた。そのことに彼は一生気づくことはない。

 ナイワーネとの婚約を知った職場の人達の反応は様々だった。心から祝福してくれる者、僻み混じりの皮肉を言ってくる者、厄介なのが上辺は祝福しているが、婚約が駄目になるように仕向けてくる者。要するにハニートラップを仕掛けてくるのだ。

 コテーイだってナイワーネと婚約する前は、それなりの付き合いはあった。ナイワーネには絶対に言えないが、そういう店で体の関係を買ったこともある。それだって、数回だけしか行っていない。婚約後は出来るだけ近づかないようにしている。

 ナイワーネとの婚約では、こちらに不利な契約が並んでいた。それでも婚約したのは出世欲もあったが、他にも優秀な候補は居るはずなのに平民になるしかなかった自分を、孫娘の婚約者にと選んでくれたナイワーネの祖父に恩義を感じたからだ。 

 だからこそ、慎重に生活していた。飲みに行くついでにそういう店に誘ってくる男や誘惑してくる女をするりとかわす。 

 何処で、誰が、見ているのか分からないのだ。油断をすると足を掬われ、自分には何も無くなる。

 今の文官見習いの立場も無くすだろう。だから婚約した時に、ナイワーネ第一に生きていこうと決めたのだ。

 そんな努力をしながら早二年、ナイワーネも社交場に出られる年齢になり、コテーイがエスコートを当たり前のように毎回している。 

 成長したナイワーネと腕を組んだりダンスを踊るのは、今では楽しみの一つになっていた。彼女も楽しんでくれていると良いなとコテーイは思う。

 ナイワーネとは、彼女が二十歳になった春の季節に、結婚することになっている。コテーイは、もう少しで彼女と侯爵家で暮らせることを喜んでいた。

 そんな風に仕事をこなしながら、ナイワーネと茶会や夜会に出ていた時に、アルネが夜会に参加するようになった。そして彼女は、コテーイに積極的に話しかけてくるようになった。

 コテーイは、いつも近づいてくる女性をかわすように、アルネを扱うのは良くないのではと躊躇してしまう。婚約者の義妹を、今までかわしてきた女性と同列に扱ってもいいのかと考えたのだ。

 彼女は未だに婚約者がいない、このままでは平民になるとは聞いているので、優しく接していた方が侯爵家の印象は良いのではないのかと考えた。

 その心の隙をアルネは都合の良い方に解釈した、異母姉の婚約者は彼女に気があると浮かれた。今まで夜会で会った男性達は、アルネには素っ気ない態度だったから余計に好感が持てた。

 そもそも、アルネと親しくする理由がない男性達は彼女に素っ気ない態度をとることで、彼女と深く関わる気はないと、そう周りに見せていただけだった。

 そうして、夜会で度々会うようになってくると、アルネは大胆にもナイワーネが側にいない時を狙って、彼女はコテーイからダンスの相手に誘われたいという態度をとった。

 そのアルネの態度を見てコテーイも、婚約者の義妹だからと礼儀としてダンスに誘う。勿論いつも一度だけ、常識的な範囲の行動をしただけだ。

 アルネはそれを好意と受け取った。自分からダンスに誘うように仕向けていたのを、いつの間にかコテーイが自分に夢中になってくれたと勘違いをしていた。

 

「コテーイ様、私は貴方をお慕い申しております」


 コテーイは、とある夜会に参加していた時にアルネに告白された。彼女が、コテーイに好意を抱いていたのをこの時に初めて気づいた。そして、彼女の自分勝手な告白に対する彼の答え方次第で、立場が危うくなることを悟る。


「そうか、ありがとう。アルネ嬢とはもうすぐ家族になるからね、これからも仲良くしよう」


 そうとしか言えなかった。婚約者の義妹に好きだと言われたとして、それは家族的な意味の好意なのだと、コテーイはそう捉えたとアルネに気づかせたかった。

 アルネは気づかない、そして告白を受け入れて貰えたと喜んだ。むしろ、コテーイは彼女と結婚したいのだと勘違いを加速させた。

 コテーイはこの出来事を、ナイワーネの祖父に手紙で相談した。

 流石にナイワーネには相談出来なかった。ナイワーネ達は同じ屋敷に住んでいるのに、こんなことで彼女を困らせたくはなかったのだ。

 ナイワーネの祖父から、こちらで対応するので心配するなとの返事が来た時は、助かったと胸を撫で下ろした。

 ナイワーネとの婚約で知り合ったアルネに、恋愛的な意味の好意を持たれるとは、思ってもいなかった。

 コテーイが、アルネに対して不適切な対応をしていたのではないかと叱責される覚悟もしていた。

 しかし、コテーイだけで解決できるような問題ではないと、そう判断してくれたのだ。

 ナイワーネと別れずに済むと安心した彼は、ナイワーネの祖父へと感謝の手紙を出した。

 その後は、どんな時でもナイワーネからあまり離れないように気をつけた。これで、アルネも近づかないだろうと安心していた。

 そうして日々を過ごしていると、ナイワーネ達の父親でもある侯爵家当主が亡くなったと知らされた。

 慌ててナイワーネに会いに行くと、彼女は気丈にも一人で父親の葬儀の為に動いていた。

 後妻と義妹の姿が見えないことに、コテーイは気付き、使用人に彼女達はどうしたのだと聞いた。何と二人とも悲しみのあまり部屋に閉じこもっていると言うではないか。

 いくらなんでもナイワーネだけに、全てを取り仕切らせるなんてとコテーイは驚いたが、婚約者である自分が手伝えばいいだけだと思い直して、ナイワーネにそう申し出てみた。

 ナイワーネは驚いていたが、ありがたい申し出だと少し笑みを浮かべて、コテーイをこき使ってくれた。

 結婚した後、こんな風に侯爵家で過ごすのも悪くはないなと、コテーイは葬儀の準備を手伝う中、不謹慎にもそう思ってしまった。

 



 ナイワーネとコテーイは何事もなかったように、予定通りに結婚した。

 結婚式の場に、後妻と義妹の姿がないことに招待客達は気付いていた。

 夫の死亡の知らせに、ショックのあまりに寝込んだ後妻は、夫の遺産を使って王都の保養所で暮らしていると、この場にいるほとんどの者は知っている。

 けれど保養所でかかる費用は、贅沢をすれば数年分しか持たないということは知られていない。

 数年もあれば、あの図太い女は自分を養ってくれる男を見つけだすだろうと、ナイワーネは考えている。

 後妻では無かったことに腹を立てて部屋に閉じこもっていただけなのに、子供と世間には夫の死に耐えきれずに寝込んでしまったのだと悲しむ女を演じていた。

 養ってくれる男が見つからなくてもきっと何とかするだろう。

 アルネのことは、あまり詳しくは知られていない。

 彼女は保養所には入れない為、母親の故郷にいる親戚を頼ることにしたという話だ。

 父親の死後、母親もいない侯爵家に平民になった自分が、侯爵家に図々しく居座るのを恥じたのだろうと招待客達は考えた。

 とある夜会で、アルネがナイワーネの婚約者に告白まがいのことをして、するりとかわされていたのは知られている。

 けれどアルネが父親を使って、侯爵家と婚約者をナイワーネから奪おうとしていたことは知られていない。

 ナイワーネも、アルネを故郷に送った後のことは、知る必要がないので知らないままだ。アルネの母親と同じような図太さがあるので、案外上手く生きているだろう。

 アルネのことを何となく考えていると、余計なことまで思い出した。

 事実とは違うでまかせ話が広まっていたあの侯爵家の事情を、ナイワーネはずっと前から知っていた。

 ただし、アルネが同じだと感じたのとは反対に、ナイワーネは違うなと感じていた。

 想い合う二人の間に産まれて、父親と、後妻と、その子供とも仲が良く、婚約者とは良好な関係だった先妻の子。

 その血筋のせいで他国の王位争いに巻き込まれなければ、きっと良い関係のまま幸せに暮らしていたのかもしれない。

 そんな侯爵家と自分達の家は同じだと言い切ったアルネを、ナイワーネは一生理解できない。

 ナイワーネもあの男の子供、あの子と同じはずなのに、彼女のことはずっと分からないままだろう。

 もう、分かり合える機会がない彼女を、ナイワーネは忘れることにした。




 ナイワーネは気づいている。

 あの男は祖父が殺した。誰かに命じれば簡単に殺せたはずだ。娘可愛さに自分の立場を忘れた男を、侯爵家の血筋を軽んじた男を、祖父は絶対に許しはしない。

 まあ、そんな男を選んだのは祖父なのだから、ちゃんと自分の失態に気づいて反省して欲しい。

 ナイワーネは気づいていない。

 コテーイがナイワーネのことを真剣に愛しており、侯爵家を共に盛り上げていきたいと考えているのを知らない。

 愛おしげに彼女を見つめる姿に気づかない。

 ナイワーネは、出来れば子供は三人ほど産みたいという野望がある。コテーイは祖父が選んだ男だ、こちらに有利な契約書はあるが、ナイワーネの父親のようにならないとは限らない。

 祖父の死後、そして彼女が子供達の成人より早くに死んだ場合、コテーイがどういった行動をとるのかが分からないので、子供達が結束して侯爵家を守ってくれると良いなという考えがあった。




 ナイワーネの警戒は無駄に終わり、愛妻家と子煩悩になったコテーイとの生活は案外楽しかった。

 幸せな人生だったと、しわくちゃになったナイワーネは今際の際で笑って見せた。

誤字報告がありましたので報告内容を適用しました。

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