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「ギャハッ――ギャハハハハハハァッ! おいおいおいおいおいッ、なんだァあの王子様!? あんな芸当が出来たのかよォッ!」
暗雲の下、オーブライト領が屋敷の屋上で、ザクスは王子の雄姿を見ていた。
超人的な騎乗テクニックだ。馬の性能も相当いいのだろうが、異能を一切使わずにあれほどの機動ができる男が、この世にどれだけいるだろうか。
「ククッ。第二王子曰く、ヴァイス・ストレインは剣を振るう以外、なにもできなかったそうだが……」
そんな男が変化していた。
約三か月前に半殺しにした青年。べらぼうに強かったが、強い以外の感想は特に思い浮かばなかった王子。それだけではほんのわずかに味気ない。ただ正当に強いだけなら、より強いザクス・ロアが勝つのは必然だからだ。
だが――今やればどうなるかわからない。
ヴァイス・ストレインは、新たな技術や新たな一面を魅せながら、こちらに向かって駆けていた。
今の王子は輝いていた。開花していた。技術以上のナニカを得ていた。
「……よかったな。この三か月、そうとう旨い空気を吸ったんだろう」
戦士として判る。
今のヴァイス・ストレインは心身共に結実し、比べ物にならないほどの進化を遂げているのだと。
おそらく、それを成したのは――。
「地獄の領地を変革した女――人呼んで『極楽の聖女』レイテ・ハンガリア。あの嬢ちゃんに違いない」
銀髪青眼の姫君を思い返す。極悪デュエルと喚きながら中指を立ててくれたとんでもない少女だ。
朱に交われば赤くなるという。あんな面白い女の側にいれば、面白い男になるのも頷ける。
「時に男は、女を想って一晩で変わる。――あの王子、イイ趣味してるじゃねぇかよオイ」
そう言ってから、ザクスは「あぁ」と思いついた。
「ナニカを得ることで、あの男は新たな味を獲得したんだ。ならば」
――その上でナニカを奪ってみせれば、さらなる味が出るんじゃないのか?
◆ ◇ ◆
降り始めた雨に辟易しつつ。わたしと彼は前を見据えた。
「――来たわね、ヴァイスくん」
「ああ」
オーブライト領。その首都。今や決戦の地と化した場所だ。
「わかってたけど、人っ子一人いないわねぇ」
暗雲の中に佇む街は、完全にヒトの気配が失せていた。
まるでセピア色に凍り付いたようだった。高くそびえる建物の窓ガラスは埃にまみれ、誰もいない景色だけを鈍く反射している。かつて賑わいを見せていただろう通りには、今や人影すらもない。
「以前にわたしが大量の領民を引き抜いた後も、少しは民衆はいたはずなのに」
……『地獄狼』の連中に遊び殺されたのかもね。
「レイテ嬢、ここからは徒歩で行こう。――ザクス・ロアがいつ襲ってくるかわからない」
「そうね」
国王号から颯爽と降りるヴァイスくん。
……わたしの背丈だと地面までの距離が遠いため、腰を掴んで降ろしてもらった。
くっ。いつかわたしも馬からシュバッて降りてやるわ。
「レイテ嬢の眼力には期待している。どうか周囲を注意深く見てくれ」
「わかってるわ。……ザクスのやつ、屋敷で待ってるって言ったくせに、道中で普通に攻撃してきたもんね」
「そういうヤツだ。戦闘狂など、いくら言葉を尽くしたところで、所詮はその場のテンションが全てだ。信用したっていいことはない」
荒涼とした街の中心を一歩ずつ進んでいく。靴底がアスファルトを踏むたび、わたしたちの乾いた足音が周囲に虚しく広がった。
ほかに聞こえるものがあるとすれば、どこかの古びた看板が風に揺れ、きしむ音だけか。それ以外の音はなく、静寂が街全体を覆い尽くしていた。
……まるで死都ね。
いえ、『地獄狼』総帥が巣食ってしまった以上、まさに死都であるのかしら。
「……今のところは異常なしね。周囲にザクスはいないわ。それと『五大狼』――ザクスの最後の幹部も」
「ああ。そういえば一人、まだ姿を見せていない者がいたな」
フードを被った仮面の青年だったかしら。
幹部連中の中ではひときわ寡黙そうな感じだったわね。なんとなく、ヴァイスくんと雰囲気が似ていたかもしれない。
「ヤツも街の襲撃に加担しているやもしれんが、もはやここまで来たら、仲間を信じるのみだろう。俺たちは敵将を討つことに専念するぞ」
「そうねっ、その通りよ!」
ここまで来たら進むのみ。
わたしたちは警戒を維持しつつ、街の中央にある領主邸へと向かっていった。
「さぁ、レイテ嬢パンチでザクス・ロアを抹殺だ」
「それは無理よ!?」




