81(他者視点あり)
「このグズめ!」
――少年・ザミエルにとって、家族からの暴言は日常だった。
今日もそうだ。ドジで臆病なザミエルは、畑作業中に眼前を駆け抜けた羽虫に驚いて転倒。
麦のいくつかを下敷きにしてしまい、激情家な父や三人の兄たちに叱責されている最中だった。
「命よりも大切な麦を粗末にしやがって! 今日も飯抜きだ!」
「すすす、すみません、すみませんっ……! あの、昨日もご飯もらえてなくて、僕っ……!」
「黙れ!」
父に頬を打たれる。
よろめき倒れたところで、兄たちに蹴りを入れられ、思わず蹲ってしまう。丸めた背中に容赦なく足が伸び、衝撃に揺られる。
無力だ。ザミエルは生きていることが恥ずかしくなる。こんな日常が、畑に出されてからずっと続いていた。
「なぜいつまでも仕事ができないッ! 本当に我らの家族なのか!?」
「すみません、すみません……」
抵抗できない。反論もできない。
なにせ仕事ができないのは事実なのだ。農家の子として生まれたというのに、いつまでも見習い以下の手際なのだ。
いつしか怒鳴られ嬲られることは日常になり、家族もまた、刺激に欠ける農業生活の中で、ザミエルを暴力を振るうことはいい憂さ晴らしになりつつあった。
「あぁまったく、ザミエルよ」
地に顔を伏せた彼に、父は言う。
「このノロマめっ。おまえなぞ、生まれてこなければよかったのだ!」
「ッ――すみま、せん……!」
土の味が、苦い。
これがザミエルの日常だった。
農家に生まれるも農業の才覚は一切なく、足を引っ張るだけの落伍者の、あまりにみじめで当たり前な日常だった。
「さて、飯抜き以外に何か罰でも与えてやろうか。そうだなぁ……裸で一日過ごさせてやるとか……!」
「なっ!?」
嗜虐的な笑みを浮かべる父。兄らも「それはいい」と頷き、ザミエルの服を剥ぎにかかる。
――完全に人間にする仕打ちではなかった。
気弱なザミエルが無抵抗を貫いたことで、暴力や暴言はとめどなく加速し、今や家族を家族とも思わない扱いまでされるようになっていた。
「そぉらっ、村中の笑い者になれ! 何もできないおまえは、せいぜい人を笑わせて楽しませろ!」
そうして、ザミエルが恥辱の時を迎えようとしていた――その時。
「――調子に乗るなよ、下民」
少女の声が、冷たく響いた。
そして「ぎゃッ!?」という悲鳴と共に、ザミエルの父や兄らが、屈強な美男子に引き倒される。
強烈極まる力で地に叩き伏せられ、肋骨から破音が響いて絶叫する者もいた。
「えっ、え……?」
呆然と、家族から視線を上げるザミエル。
そこには、彼らを見下すようにして――、
「領民を虐げていいのは、このレイテ・ハンガリアだけだ」
この地の女王が、そこにいた。
◆ ◇ ◆
「すまんレイテ嬢、何人か骨に罅を入れてしまった」
「いいわよ。ちょうどいいクスリになるでしょう」
あーもうまったく。レイテちゃんプンプンなんですけど。
騒いでるから駆け付けてみたら、なんか四対一で少年ボコってるじゃないの。
もうもう。――わたしのことを舐めてるのか?
「おい、農夫」
「ひっ!? ぁ、アナタは、レイテ・ハンガリア様……!?」
「気安く名を呼び、見上げるな」
護衛のヴァイスに引き倒された男。
一家の主とおぼしきその顔面を、踏みつける。
「うごぉ!?」
「農夫。おまえはこの一家の主君だろうが、あくまでも、《《借りた土地の小百姓》》に過ぎないだろう。領民を嬲っていい権利を、いつ与えた?」
領民は全てわたしの資産。
ゆえに領民を虐げていいのは、領主たるこのわたしだけだというのに。
それを破るということは。領主の資産に、手を付けるということは。
「処刑してやろうか?」
「!?」
「死ぬ覚悟があるのかと、聞いている」
そう問うと、農夫や三人の男たちは震え、顔を蒼くし、やがてグチャグチャに濡れた顔で声を吐いた。
「あッ、あっ、ありませんッ! わわッ、私たちはッ、むむっ、無知ゆえにッ、レイテ様の領民に手を出してしまいましたァアアーーーッ!」
「なるほど」
ふむ――まぁこんなところでいいでしょう。
「わかったわ。無知ならば仕方ないわよね。許してあげる。学んだんだから、もう同じことはしちゃダメよ?」
「はっ、はひぃいっっ!」
うんうん。これにて一件落着ね。
「平和に終わってよかったわ。――もしも言い訳でもされてたら、死体を見ることになってたから」
「ひ!? ひぃいいいいいーーーーーーーッ!」
農夫たちは慌てて駆けていった。
元気でいいこと。これは今年の収穫も期待できそうね。
「さて」
わたしは視線を向き直す。
麦畑の中、半脱げで呆然と座り尽くす少年――たしかザミエルと呼ばれてたかしら?
「アナタ、大丈夫かしら?」
「女神様……」
「は?」
「えっ、あっ、いいいいいいえいえいえいえすみません大丈夫です大丈夫ですっ!」
話しかけるや、彼はものすっごくビクゥッとして、慌てて服を着直そうとする。
なんともビビリっぽい子ねぇ。
「服の下」
「え」
「ずいぶんとアザだらけだったわね。そんな有様じゃ、農業も痛みでより身に付きづらくなるでしょうに」
まったく愚かよね。
わたしはドレスの袖口より、『魔の森』の霊草から練った軟膏入れを取り出した。
中身を指に取り、ザミエルくんの身体に塗り込んでやる。
「ってワァッ!? りょりょっ、領主様!?」
「貴重な労働力なんだから、わたしの許可なく傷ついてるんじゃないわよ。もう少し身を守る術を学ぶことね」
よしっと。治療完了。これからの働きに期待するわ。
え、なによどしたのヴァイスくん? 「俺も修行でところどころ打ち身してるかも」?
まぁ大変ね。軟膏貸してあげるわ。――ってなによその絶望顔!?
「変なヴァイスくんね~」
「あっ、あのっ」
ん?
「その……ありがとうございました、レイテ様……! 僕、誰かに優しくされたのは、初めて……!」
「って変な勘違いしてるんじゃないわよ」
誰が優しくしたって? まるでわたしが善良領主みたいな扱いやめて頂戴。
「わたしはアホな領民こらしめて、アナタという労働力を守っただけよ。徹頭徹尾わたしのため。優しさなんて微塵もないわよ」
「そ、そうなんですか? えと……それでも、僕は救われました。本当に、本当にありがとうございます……!」
「ふん」
勝手に感謝しておけばいいわ。
さて、村を一通り回っただけど、領地を守るのに役立ちそうな才覚持ちはいない感じねぇ。
そうそう上手くいかないみたい。
「もう行くのか、レイテ嬢? あとレイテ嬢が目を離した隙に暴漢が現れて殴られた」
「ヴァイスくん顔面がへこんでるッ!?」
急いで軟膏を塗ってあげる!
ふぅ、『魔の森』の強めな霊草の薬効で、みるみる治っていくわね。
それにしてもヴァイスくんにあれほどのダメージを与える暴漢がいるとは。まるでヴァイスくんみたいに強いヤツね。
「治った」
「なんか機嫌良さそうなのは気のせいかしら……。ともかく次の農村に行きましょうか」
あっ、そうだ。そういえばザミエルくんのステータス見てなかったわ。
はいザミエルくん、ちょ~っとわたしと顔を合わせなさい。
目が合うと一番文字がくっきり見えると気付いたからね。
「えっ、あのっ!?」
「こら、目を背けるな。どれどれ~」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・対象名:ザミエル・ヒュードル
・性質:中立・中庸
・出自:ストレイン王国・農夫クーノの子
・性能
『統率力:F』『戦闘力:F』『巧智力:D』『政治力:F』『成長力:SS』
・特記才覚
『神速の動体視力(半覚醒)』『天墜の射手(未覚醒)』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「むんむッッッ!?」
何よこの子の才覚!? なんか見たことないけどめっちゃ強そうなんですけど!?
性能こそ最底辺だけど、成長力はグンバツだしッ!
「ザミエルくんッ!」
「は、はひっ!?」
わたしは彼の肩を掴み、強く訴える!
「アナタが欲しいわ! わたしの下に来なさいっ!」
「――!」
誘うや、彼は固まった。
流石にいきなり過ぎたか。それに家族がアレとはいえ、生家から離れるのは躊躇うか。
そう思ったが……しかし。
「い……いいん、です、か?」
「ん?」
「ぼっ、僕なんかが、レイテ様にお仕えできて、いいのですか……!? 僕みたいなっ、無能が……!」
ああ。そんなことを気にしていたのね。
やれやれまったく。
「駄目よ」
「え!?」
「僕〝なんか〟とか、僕〝みたいな〟なんて、自分を卑下する言い方は駄目。――だってアンタは、これからわたしの重臣になるんだからね」
「っっっ!」
まるで溢れ出すように、ザミエルくんは涙を流し、そして力強く片膝をついた。
「レイテ様! どうか僕を、アナタのものにしてくださいっ!」




