123:贄の羊は選ばれた
な、なによ今のは……!?
「――悲鳴、か。何かが起きたようだな」
突如として響いた絶叫。声のしたほうからざわめきが伝播する中、生徒会長セラフィムは立ち上がった。
わたしへの質問を中断し、ティーカップを静かに置く。
「――状況が変わった。俺たちも様子を見に行こう。レイテ殿、本日は馳走になった」
「……いえ。粗末なお茶しか出せなくて申し訳なかったわ。侍女はしっかり教育しておくから」
極悪令嬢としては恥ずかしい限りだわ。嫌味なほど有能な使用人に給仕させて、相手を嫉妬させたかったのに。
わたしがそう思うも、しかし。
「――いいや。彼女の心遣いは、まさに至高であったぞ。レイテ殿は最高の侍女をお持ちだ」
「えっ」
生徒会長は、過剰なほどの口ぶりで給仕を褒めた。あんな子供が淹れたようなお茶で、どうして。
「――腕は稚拙だが、我が『ルクレール聖国』が王宮流の淹れ方をしていた。ああ……稚拙だからこそ……ふふ……」
そうしてセラフィムは侍女を――気まずそうにする『おぞましきエルザフラン』を見て、淡く微笑んだ。
「むかし、兄さんが淹れてくれた茶を思い出したよ」
◆ ◇ ◆
異変の起きる、数分前。
「くっ……おい、一般生徒たちよっ。ボクに道を開けるのだ!」
――『法務大臣の子』ハイネ・フィガロは、腹立たしげに廊下の中心を歩いていた。
休日ではあっても学園は全寮制。クラブ活動をする者はもちろん、無意味に校内を散策する者もいる。また好成績を取るよう親から命じられ、自習に励む生徒も多く、校舎にはそれなりの数の生徒が出入りしていた。
そんな中を、ハイネ・フィガロは細い肩で風を切って進んでいた。当然ながら顔をしかめる周囲。だが当人は輪をかけて不機嫌であった。
「くそっ、くそっ……! あの悪党ジャックさえいなければ、ボクだって聖女様と一緒に生徒会入りできてたかもなのに……っ」
爪を噛みながら呻くハイネ。一週間前の敗北の記憶が、いつまで経っても脳裏から消えない。
あの仮想世界大戦のあと――ハイネは、自身を後釜に据えてくれた生徒会のセルケトに、謝られた。そしてこう言われたのだ。
――すまねェ。やっぱハイネっちの生徒会入り推薦、現状だと無理かもだわ――と。
「くそぉっ!」
壁に拳を叩きつける。周囲の生徒がさらにハイネを疎むも、そんなことはどうでもよかった。
低能な者たちからの悪感情など、知ったことか。
「ボクは……ボクは能力だけなら、『アリスフィア統合生徒会』に十分入れるんだ。なのに……」
セルケトは申し訳なさそうにハイネへと説明した。
曰く、
〝馬鹿にしていたジャックに負ける姿が、あまりにも無様すぎた〟
〝どんなに優秀だろうと、生徒たちからのオマエへの印象はまさにピエロだ〟
〝コケにされている者を、生徒会に入れるわけにはいかない〟――と。
「チクショォオォオ……ッ!」
人目も憚らず項垂れるハイネ。彼は今や、独りである。共にジャックを虐めていた取り巻きたちも、自然と距離を置くようになってしまっていた。
入学から数週間は優秀だと持て囃されていたのに――聖女により父親が法務大臣に選ばれ、さらに尊敬を集めていたのに――そしてついには生徒会入りメンバー候補に選ばれたのに――どうしてこうなった?
いつから人生にケチがついた? どうして自分は、無様になった?
「……決まっているッ……」
顔を上げるハイネ。その両目は狂気の憎悪に燃えていた。
「『殺人鬼の子』ジャックゥ……ッ! あっ、あいつさえいなければァアアアッ……!」
堕ちた尊厳と孤独に巡らせ続けた思考。それは一週間の熟成を経て、究極的な答えに至る。
「あの男をッ、殺してやる――!」
そう覚悟して、ハイネは駆け出そうとした。
それは短絡的で幼稚な思考で――きっと相手を思い切り殴れば、ある程度満たされてしまうような――所詮は『子供の殺意』であっても、もう我慢できなかった。
あの男を徹底的に痛めつける。そんな悪意を胸に、彼が一歩を踏み出した時だ。
「――ギャァアァァアアァアアアアアーーーーーーーッッッ!?」
誰かの絶叫と同時に、ビシャリッ、と。
「……へ?」
たまたま近くにあった法務科の授業準備室。
その窓に内部から、おびただしい量の血がかかった。




