最終話 私の諦めごはん
「お待たせしました、出来……」
「わぁ、いい匂い! ありがとうございます、幸二郎さん!」
「……」
何かを作ってここまで歓迎されたのは初めてだ。
この上ない喜びを感じるのは喜んでもらえたことと、相手が由梨だからだろうか。失恋は辛いがやはり恋はいいものだ、としみじみと感じながらエプロンを外し――そして幸二郎はハッとした。
これは男物のエプロンだ。
由梨はお下がりと言っていた。
ということはエプロンを持っているほど親しい男性が居るということだろうか。
(そうだ、こんな素敵な女性ならその可能性も考慮しておくべきだった)
心底ショックを受けた顔をしている幸二郎に由梨は首を傾げつつ、早く食べましょうよと当たり前のように向かいの席を勧めた。
冷める前に食べてもらわなくては。
そして自分の好物かどうかも判断するのだ。
そう我に返った幸二郎はイスに腰を下ろし、二人で「いただきます」と両手を合わせる。香ばしいチーズの香りが立ち上り、あの日食べたものとは具材の切り方が異なるが美味しそうだった。
幸二郎は自分が一口食べる前にちらりと由梨を見る。
「ん、美味しい! 幸二郎さんって料理上手ですね!」
「あはは、良かった。でもこれはレシピが完璧だったからですよ」
「うーん? 進化AIの人ってそういうこと言いがちですよね。私はそうは思わないんですけど」
口先を尖らせた由梨は反論を続けるかと思いきや、もう一口分を先に食べてから言葉を継いだ。
「誰かが私のために作ってくれたこと、それが最大のスパイスなんですよ」
「え……?」
「ちょっと無理言って作ってもらったのも……えへへ、久しぶりに人に作ってもらった料理を味わってみたかったからなんです」
由梨は申し訳なさそうに笑うとキッチンを見る。
「私、ずっと作る側だったじゃないですか。そりゃ外食すれば人に作ってもらったご飯を食べれますけど、それはちょっと違うんですよ」
「そういうものなんですか」
「ええ。……昔は父が作ってくれたのだけれど、その父ももう居ないんで。だから今回作ってもらえて嬉しかったです」
チャンスだ! って頼んだ甲斐がありました、と由梨はガッツポーズを作った。
幸二郎は目をぱちくりさせる。
「も、もしかしてあのエプロンって……」
「? あっ、父のものです」
幸二郎は口を半開きにして固まった。
そしてホッとするより先に脱力してしまう。取り越し苦労の王様である。
その様子を由梨がまた不思議そうに見ているのに気がつき、幸二郎は取り繕うように話題を探した。
「で、でも私は進化AIです。そんな私でも『誰かに作ってもらうと美味しい』の条件を満たせるのですか?」
「満たすも何も……私の父、進化AIなんですよ」
「え」
そう、条件付きなら進化AIも子供を持てる。デザインベビーか養子かはわからないが、由梨の父親が進化AIであることは間違いないようだった。
「だから幸二郎さんのことも放っておけなくて声をかけたんです、……ふふ、でも性格は全然違ってましたけど」
「そ、そうだったんですか」
「それからあなたのことを応援したくなって……誰かと一緒に食べるご飯って美味しいじゃないですか。家で食べてもイマイチだったのなら、今はどうです?」
幸二郎はハッとしてスプーンを握る。思わず聞き入っていたが、まだ一口も食べることができていなかった。慌ててチーズドリアを口に放り込み、存外冷めていなかったことに目を白黒させながら咀嚼する。
味覚はしっかりと「美味しい」と伝えてきた。
「幸二郎さんは誰かと一緒にご飯を食べたかったし、それだけでなく自分の作ったものを食べてもらいたい気持ちもあったんじゃないですか? その、好物とはまた違うかもしれませんけど、これを足掛かりに――」
「いいえ」
幸二郎は自然と微笑むと由梨に両目を向ける。
「……いいえ、これは私の好物です。自分が作った『相手の好物』を、好きな人と食べるのが私の好物です」
「――ぇ、えっ!?」
「料理を通して失恋の辛さを忘れ、恋を諦めることが出来ました。私もこうして克服することができるとわかりました。なので、由梨さん」
かつての恋人を想って泣いていた日々からは想像も出来ないような、穏やかで満たされた気持ちで幸二郎は言った。
「突然こんなことを言われて不愉快でしょう。私の気持ちに無理に返事をしなくても大丈夫です。私は二度と失恋には負けません。ただ……この気持ちを知っていてもらうことだけ、許してもらえるでしょうか」
「し……」
「し?」
「進化AIの人ってホンットそういうこと言いがちですよね……!」
イスから立ち上がりテーブルに両手をついた由梨は勢いよくそう言ったものの、言葉が続かず口をぱくぱくさせ、結局赤い顔をして座り直す。
怒られたのか嫌がられたのか拒絶されたのか。
そのどれもが判断できないもので、幸二郎は意味もなくあたふたとした。
由梨は深呼吸して「私が断りやすくなるようなことを言うのはやめてください」と幸二郎を見る。
「まるで私が断ること前提みたいじゃないですか」
「す、すみま……、え?」
「幸二郎さんならいいですよ。ずっと頑張っていたのを見て、心配して、その……いつの間にかそれを抜きにしてもあなたのことばかり考えてたので。それに」
由梨は勢いよくチーズドリアを口に運んだ。
「――す、好きな人と食べると、美味しいんですよね? ……いつもより更に美味しいので」
そういうことです、と。
真っ赤な顔をして言う由梨を目に映し、幸二郎はぱあっと面を輝かせると自分ももう一口チーズドリアを食べる。
幸二郎は自分の好物を知った。
そして料理を通し、食事を通して失恋を乗り越え、誰かと心通わせられることを知った。
その効果の大きさも。
(けれど――)
諦めるためにやけ食いする必要は、もうなさそうだ。
***
AIの料理は機械的だと言われる風潮が強い。
しかし進化AIである幸二郎の料理は人の心に寄り添っているから好きだ、というのがここ最近の評判だった。
食べる人間のことを考え、工夫を凝らし、日々進化し続ける味。
時に作り手の感情の変化で僅かに揺れる味。
そんな変化のある部分を好んでもらえると『変わっていくこと』を受け入れてもらえていると感じられるのだと幸二郎は言う。
AIには不変が求められがちだ。幸二郎をこの世に生み出した女性のように。
しかしそれを覆せたことが嬉しい。
――そう雑誌のインタビューに答え終わった幸二郎ははにかむ。インタビュアーの男性は「ありがとうございます」と笑みを返すと再び口を開いた。
「諸星幸二郎さんはかつて辛い失恋を経験したと聞き及んでいますが、その経験もお店の料理に活かされているのですか?」
「ええ、とても大きな影響を受けました。それに由梨さんと出会ったこと、この店で働かせてもらうようになったことのきっかけでもあるんです」
「きっかけですか」
「失恋の傷を癒すため、そして恋を諦めるためにやけ食いをしにきたので」
それは凄いきっかけですね、とインタビュアーは笑う。
本当にそうですよと相槌を打ったのは幸二郎の隣に座った由梨だった。
「しかもやけ食いのための好物を必死になって探してたんですよ。そういうところに惹かれたんですが」
「ゆ、由梨さん……」
「ははは、これは良い記事が書けそうです。では最後の質問を」
インタビュアーは少しばかり身を乗り出すと幸二郎と由梨を交互に見て言う。
「恋を諦めるための料理――諦めごはんと呼びましょうか。幸二郎さんにとっての諦めごはんは何だったんですか?」
進化AIと人間のカップルが営む料理店。
そんな珍しい店として徐々に注目されるようになったのを機に、料理の質や店長の人柄で人気が高まり、こうして雑誌のインタビューを受けるようになった。
受け答えはたどたどしいところもあり、即答が叶わない質問もあったが――これなら即答できる。
幸二郎は幸せそうに微笑むと、由梨の手に自分の手をそっと重ねた。
「私の諦めごはんは……彼女と一緒に食べる、チーズリゾットです!」
END