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平成地獄烈伝

作者: ごま団子

《起》

 20XX年、経堂のとある高級住宅街に、周囲の豪奢な家屋とはおよそ不釣り合いな一軒の古ぼけた工場があった。その名も「オーバードーズ」。「みっちゃんイカ」や「送りバントバー」などの有名駄菓子のパクリ商品を生産する駄菓子工場である。それだけ聞くと取るに足らない三流会社にしか思えないだろう。しかしなぜそのような会社がここ、経堂にあるのか? 答えはそこの社長一族にあった。オーバードーズの社長を代々務めるのは、なんとかつては関白を務めた名門華族、古本家の者だったのである。

 この華族というのは戦前はそうであったが、という意味ではない。21世紀の現在になってまで、日本は華族という特権階級を世に残していた。しかし、彼らが有する特権などせいぜい学習院への無試験入学くらいで、華族といっても後はほぼ名ばかりのものであった。


【この話においての華族制度について】

 敗戦に伴い、GHQは華族制度の廃止を指示したが、自身の家格に並々ならぬ執着を持つ家柄華族、祖先の残した功績を激しく主張する勲功華族など、華族の中でも極右に属する者達の中で華族制度廃止に対する激しい反対運動が起こり、日本政府はピンチに陥る。そして、GHQと政府内の綿密な審議とそれら一派との主張のすり合わせの結果、華族は学習院の無試験入学という特権のみを残し、後は爵位を名乗るだけの存在として戦後も残しておくことに決定した。そういうことになったというのも、政府の高官の中にも華族の地位を有する者が多くおり、彼ら存続派の意図を汲み取る必要があると見なされたからであり、また、学習院の無試験入学については、それを残すことにより一定の華族の入学を見込むことができ、それを有利と取った学習院側の判断によるものである。

 当時の古本家当主は、その運動内でも中心部にいた人物であり、古本家は華族きっての右派かつ過激派として知られていた。昭和22年5月15日、天皇は東京やその近県に住む華族二百数名を皇居に集め、「これからも先祖の名を辱めないように」とのお言葉と菊の紋章入りの煙草を彼らに与えた。なお、これより先の4月14日、明治27年3月に明治天皇結婚25週年を機に作られた、当時にして199万円の「旧堂上華族保護賜金」の元資が公卿華族にのみ分け与えられた(この二つの話は実話)。その中に古本家もおり、彼らは家柄華族の中でもいわゆる公卿華族であった。


 主人公にして現オーバードーズ社長、古本葉月は今から28年前の8月23日午前6時24分、フランスのヴェルサイユで古本家長女として生を受けた。8月に生まれたので葉月と名付けられた。古本家の者は代々、生まれた月の旧暦から名前をつけられることになっている。父は古本公爵家の長男にして次期当主であり、母も名門華族の令嬢、兄弟は三つ上の兄、なが(9月生まれなので長月から)がいた。公爵の祖父、如伸ゆきのぶは経堂で工場を経営していたが、父は一流ビジネスマンで海外赴任の最中だった為、葉月も長生も赴任先のフランスで生を受けたのである。両親は共に選民思想バリバリ、貴族意識ドカドカの生粋の華族であり、特に長生はその性質を強く受け継いでおり、幼い頃からひどく尊大な性格の持ち主であった。葉月はそのような家族に囲まれていたが、物腰は柔らか、常に周りを思いやるとても優しい少女に育った。

 彼女が6歳になった頃、嗣子である長生が病の為に夭折する。それが葉月の長く続く不幸のはじまりであった。長生がいなくなっては、次世代の古本家を継ぐ者がいない。女である葉月は当主にはなれず、当主が死亡してからは、三年以内に跡取りを据えなければその家は華族としての名を失う。それが華族の定めであった。となると道はただ一つ、養子を迎えてその者を葉月の夫とするしかない。いわゆる婿養子である。華族の養子には制限があり、養子とする当人が華族であるか、または男系の6親等以内の親族からしか取れないと決まっていた。葉月の父は父方の従兄弟の息子を養子に取ることに決めた。彼は葉月にとっては又従弟にあたり、岡山で暮らす分家古本家(平民籍)の16人兄弟の15番目の子供にして十一男のまりという男児で、葉月より一つ年下であった。葉月の父は鞠央を養子にして、フランスに連れてきて実子のように育てようとしたが、鞠央の母のマリアが、この子は甘えん坊で一人だけ家を離れることはできないと判断する。その意見に両親は納得し、それに将来夫婦となる二人を実の姉弟のように育てたらなんだかインモラルな感じがするなど色々な理由の結果、養子縁組だけを済ませ、鞠央は葉月達一家とは別々に暮らすこととなった。尤も、両親の真の願いは、自分達の間に長生に次ぐ跡取りとなる男児が生まれることであったが、その数年後、その願いは叶うことなく、葉月が11歳の時に父は永眠した。父の死亡によりフランスに滞在する意味がなくなった葉月と母は日本の如伸の元に住まいを移し、三人で日本での生活をはじめることになった。それから葉月は父の姉であり、富豪であるが平民のたいら家に嫁いだ伯母、まさ――通称「平のおばさま」と、正子の息子で七つ年上の従兄、ひとしとも親密に接するようになった。葉月は母も祖母も正子も通った名門「北横浜タラバガニ女学院」、通称「タラ女」の初等部に編入し、また、祖父と親しい裕福な武家華族である宮前家の長男、伊織と友人になった。しかし、その二年後、夫の後を追うように母も死亡し、とうとう葉月は13歳にして両親も兄弟も失ってしまったのだった。

 その後、葉月はタラ女中等部、高等部と進み、大学では女子校では数少ない理学部の数物科へ進む。大学一年が終わった春休み、分家古本家から、鞠央を学習院へ進ませ、経堂の家に住まわせて欲しいとの要望が来る。鞠央はこの年まで一度も本など読んだこともない底無しのアホで、岡山でも最も偏差値の低い桃太郎大学への進学もできないというのだが、華族であるならば学習院だけは問答無用で入学が可能なので、これを機に経堂へ赴き、葉月と結婚させて欲しいというのである。年を重ねた如伸は、その時すでに病の床にあった。自分の命があと残り少ないことを知っていた彼は、孫娘の花嫁姿を一度見てから死にたいと思い、それを承諾する。そうして経堂へやって来た鞠央は、葉月と式を挙げて正式に夫婦となった。夫18歳、妻19歳の若いカップルであった。それから数ヶ月後の5月、如伸は親族や友人達に見守られ、静かに息を引き取った。そうして爵位を継いだ鞠央は、弱冠18歳にして古本家16代目当主となったのであった。


 それから8年後、大学を卒業した葉月は祖父の工場を受け継ぎ、三代かかっても返済不可能といわれる、三億もの莫大な借金を返す為、工場の経営に日々奮闘していた。しかし鞠央は夫であるにも拘わらず彼女の仕事を全く手伝わない。だからといって他に仕事をする訳でもなく、毎日毎日株三昧で損をし、逆に家の借金を増やすばかり。幼い頃から賭け事が大好きだった彼は生粋のギャンブラーであった。そんなダメ亭主を抱えながらも、常に葉月のことを心配してくれる平親子や、ナウルから来たデブだが有能な青年Aくんをはじめとする頼もしい工員達と共に、葉月は毎日を力強く生きていた。

 そんなある日、彼女の元に一通の手紙が届く。それは高校三年次のクラスのクラス会のお知らせであった。その日は運良く休業日。期待に胸を膨らませて出かけた葉月は、山田佐知代、鈴木和江、佐藤弘美などの懐かしい旧友達と再会を喜び合う。そこに当時の担任であった数学教師、悪虫徳栄あくむしやすはるも顔を出す。彼は偶然にも三年間葉月の担任を務め(彼女は三年間ずっと薔薇組であった)、葉月も三年になっても選択授業で数Ⅲを取っていた為、二人はお互いのことをよく覚えていた。数学は葉月の最も得意とする科目であり、試験では常に学年トップであった。また、悪虫はこの世に二人といない超美男子であり、身長も188㎝という長身、体格も素晴らしいムキムキマッチョ、常に生徒の身を案じる優しい性格の持ち主で、国内でも有数の名門国大(サン)ポアンカレ大学卒、加えてバツグンのオシャレと完璧な人物であり、常に学校で一番の人気教師であった。そんな彼の姿を見られて葉月も内心ドキドキである。だが日頃の無理がたたったのか、そろそろ宴も終わりという時、疲れがたまってフラフラになり、椅子に座り込んでしまう。それを心配した悪虫は車で葉月を家まで送っていってやったのだった。

 それだけなら二人の再会はそれっきりだったのだが、偶然にも機会は再びやってきた。それからいくらか経って、悪虫の家に近くに新しいスーパーのオープンを告げるチラシが届く。その場所には以前は成城石井が建っていたのだが、彼の住む土地の安い川崎の僻地にはおよそ似つかわしくない高級スーパーであった。しかし、新しいスーパーは安さをウリにしていて、悪虫にとっても期待できるものに感じられた。早速足を運んだ彼であったが、そこで衝撃的なものを目にする。なんと、そこには新製品の駄菓子を売り込みに来た葉月が、ベビードールと見まごうほど露出の高い過激なドレスで営業を行っていたのである。義憤に駆られた悪虫は相手が仕事中にも拘わらず、葉月に自分のジャケットを着せると表の喫茶店に連れ込んで説教をする。いくら仕事といえ、若い娘が人前でそんな格好をするものではないとキツく叱りつける悪虫であった。葉月は何度も謝り、それから二人は別れたが、その後、悪虫は葉月にジャケットを貸したままなことに気づいた。それは葉月も同様で、その日の夜に悪虫の家の電話に、葉月からジャケットは洗濯してから返すという留守電が入っていた。タラ女の名簿には全職員の住所や電話番号が載っていて、葉月はそれをわざわざ部屋の奥から引っ張り出してきて彼の家に連絡したのである。悪虫はそれに電話を返し、二人は葉月がジャケットを返しに悪虫の家を訪ねる日にちを決める。数日後、約束の日に葉月が悪虫の家を訪ねてきた。悪虫はジャケットを受け取ると、まあ入れと彼女を家の中に促す。実は悪虫はクラス会の時から葉月のことをずっと心配していたのだった。彼の知る学生時代の葉月は、両親も兄も亡くして寂しい環境にあるのにも拘わらず、勉学にも部活動にも精一杯取り組み、友人達とも円滑な関係を築く立派な少女であった。彼は教師の身でありながら、生徒である彼女を尊敬していたのである。それが、クラス会で見た時は違った。いきいきとした目の輝きは失われ、生活苦に喘ぎ、老けてやつれきった、周りの反応を窺うような卑屈な顔になっていたのである。そんな彼女を見て悪虫はひどくショックを受けていた。卒業して10年、一体彼女に何があったのか。それを何となく聞き出そうと、悪虫は葉月に世間話を持ちかける。他愛もない会話を交わした後、二人はケータイの番号とアドレスを交換する。別れる際、悪虫は困ったことがあれば何でも相談してくれと葉月に告げるのだった。

 それから何度か二人の間で相談のメールが交わされ、葉月は再び悪虫の家に足を運ぶ。そこでとうとう彼女は悪虫が心配していたクラス会での豹変の理由を話す。厳しい仕事、能無し亭主、華族の女の生き辛さ……はじめて聞く葉月の苦悩に、悪虫は胸を痛める。その話に彼は自分の気持ちを抑えきれなくなり、葉月に愛を告白する。それに葉月も自分も同じだとこたえる。葉月もまた、男尊女卑だといわれる九州から上京しながらも、男女平等を掲げて女子教育に邁進し、自身の科目への勉強を怠らず、生徒に深い愛を以って接する人格者である彼を慕い、尊敬していたのだという。当時では気付かなかったが、それは二人共恋心であった。しかし、悪虫は教師と生徒という立場から来る自制心、葉月は幼い頃から決められていた許婚の存在から、無意識に自分の感情を押し殺していたのである。当時から、お互いに気付かずに相思相愛であった二人だが、二人共自分自身の感情にすら気づいていなかったのである。そうして、当時では気付きもしなかったお互いの気持ちをしっかりと確かめ合ってしまった二人は、とうとう元師弟の一線を越えてしまうのだった。


《承》

 そうしてはじまった秘密の恋。不倫ではあるが、それは葉月にとっては生まれてはじめての恋であり、彼女は幸せの絶頂にいた。悪虫も葉月が愛しくてたまらない。二人はディスコに行ったり、居酒屋で数学の話をして盛り上がって大将を困らせたり、お揃いの半纏を着て悪虫の家でちゃぶ台に数学の問題集を広げて数学の問題を問いて先生と生徒ごっこをしたり、ゴチャゴチャの悪虫の家を葉月が掃除してやったりと、とにかくラブラブで甘い日々を過ごす。

 そんな秘密の関係を隠しながら葉月は自分の生活を送る。クソ夫の鞠央、甘ったれで童貞の伊織、キモオタだが案外しっかり者の等、なんでもすぐ「クズざます!」と切り捨てる正子、片腕のAくんなど、華麗にて波乱なる華族ライフが続く。

 一方悪虫もタラ女教員としての生活があった。元教え子で今は同僚の六反園ろくたんぞのちえりに、学院長でシスターでもあるシスター千登勢、女性教職員の中で唯一タラ女のOGでない養護教諭の松下(あきら)、彼のクラスの生徒で実技以外の授業は全て寝ている問題児の田中信子など、ドキドキワクワクの学園ライフを満喫するのであった。


《転》

 葉月と鞠央は結婚して8年になるが、未だに子供ができない。結婚して最初の3年間はまだ葉月も学生だった為、妊娠して休学するのを危惧して避妊していたが、それからは積極的に子作りにも励んでいるにも拘わらずさっぱりであった。とうとうそれに我慢のならなくなった正子は二人に不妊症の検査を勧める。結果、葉月は何ともなかったが、鞠央は無精子症であった。そういえばと思って思い返してみると、鞠央は幼い頃におたふく風邪にかかり、それが原因で精子を作る機能を失っていたのである。あまりにも子供が多いため、マリアは誰がおたふく風邪になったのか覚えていなかった。それを自分の責任だと感じたマリアは何か自分にできることはないかと訊く。これは鞠央だけでなく彼をとりまく全ての人達にとって重大問題であった。古本家存続の死活問題である。だが、幸運なことに解決策はあった。医師によると、アメリカに男性専門の不妊治療特別カリキュラムがあり、それをこなした男性は見事不妊症を克服し、立派に子供を作ることのできる体になったという。それには一年間の期間と多額の金が必要だったが、マリア、そして正子の多大な援助により、鞠央は子作りの為に単身アメリカに飛ぶのであった。

 それから暫くの後、葉月の妊娠が発覚する。無論悪虫の子である。避妊には気をつけていたのだが、なにかどこかで失敗してしまったのであろう。窮地に陥る二人だが、せっかく鞠央が今はいないのだし、何より二人の愛の証をこの世に残したいと、葉月は出産を決意し、悪虫もそれに全力で協力することを誓う。それにはとにもかくにも周りの人間に気づかれてはならない。臨月が近くなってくると、葉月は暫くの間フランスに新商品開発の為の研修に行ってくると言い、その間、Aくんに給料アップを条件に工場の経営を任せ、悪虫の父のいる福岡へと旅立つ。Aくんは一時的ではあるが、葉月の代わりを任されるほどにオーバードーズ社員としての力をつけていたのであった。福岡に来た悪虫と葉月は、悪虫の父や親戚には全ての訳を話し、子供が生まれるまで福岡に葉月を置いて欲しいと頼む。父は正直とても複雑な心境だったが、孫の誕生を喜んで葉月を妹(悪虫の叔母)の元に預ける。悪虫は仕事の為川崎に帰るが、二人は毎日メールやスカイプで連絡を取り、我が子の誕生を楽しみにしていた。しかしこの出産は極秘かつ命がけである。悪虫の叔母は優秀な助産師であり、葉月は彼女の家で子供を産んだ。生まれた子供は女の子、二人の子とあって玉のように可愛い子であった。悪虫は娘にはなと名付けた。鞠央が帰ってくるそれから一ヶ月後、葉月は華を悪虫に預け、二人は東京へ戻った。


《結》

 アメリカから帰って来た鞠央と葉月の間にはそれからすぐ子供ができ、悪虫は男手一つで乳飲み子の世話に追われることに。しかしこれがタラ女ではちょっとした事件になる。名門女子校の男性教師がいきなり未婚の父に、しかもその母親の名は明かせないという。シスター千登勢に母親の詳細を詰問される悪虫だったが、彼は頑として葉月の名を明かさなかった。それを見て六反園の胸に怒りが湧く。悪虫に恋人がいたのはいい。しかし、その母親がその恋人なら、なぜ結婚も同居もせず、彼を苦しめているのか。単身の子育てはとても大変らしく、悪虫は毎日ゲッソリしている。自分だったら彼にそんな思いは絶対させないと彼女の心に愛のパワーが宿り、そのパワーは彼女をスーパーヒーローにさせた。六反園は意を決して悪虫に結婚を申し込む。実は彼女は在学時代から彼のことを想い続けていて、彼を追いかける為だけにタラ女教員になったまでの女だった。

 その申し出に悪虫の心は揺れる。実は華は、葉月がこの子を産んだと世間には知られてはならない為、戸籍の母の欄には「不明」とあり、葉月と親子の名乗りをあげられない関係にあったのだ。つまり葉月は華を認知していないのだ。それはあまりにも可哀想なことだった。また、女の子が成長するには母親の存在が大切だし、自分も父子家庭だった為、華にはできるだけ自分のような寂しい思いはさせたくないというのが悪虫の父親としての気持ちだった。その時すでに華の誕生から一年が過ぎており、葉月は鞠央との間に長男、さつきを出産したばかりであった。今までは葉月ができるだけ時間を作って自分達に会いに来てくれたが、皐が生まれた以上それは難しくなるだろう。そんなお妾さんみたいな生活は単なる自分達の自己満足なだけで、華にとっては苦しいだけではないのか。そう思い悩んだ末、悪虫は六反園のプロポーズを受ける。何年にも及ぶ六反園の片思いが今やっと実を結んだのだ。炎のスーパーヒーローの誕生である。

 六反園との結婚が決まると、悪虫は葉月を喫茶店に呼び出し、事の詳細を話して別れを切り出す。葉月は悲しかった。彼女はまだ悪虫のことを愛していた。それは悪虫とて同じだったが、二人にはそれぞれの生活があり、そして何よりも自分達の色恋の為に華を犠牲にしてはならない。彼女はまだ生まれたばかりの赤ん坊で、何の罪もないのだ。タダでさえ不義の関係の元に生まれた子なのに、これ以上彼女に辛い思いをさせる訳にはいかないではないか。葉月は涙をぐっと堪えて別れを受け入れ、長きにわたるワガママに礼を言う。そして二人は握手を交わし、その後、二度と会うことはなかった。

 葉月は跡取りを産み、工員だけではなく次期当主の母としての生活をはじめ、悪虫は六反園と結婚し、暖かい家庭を築く為に妻と共に一所懸命働いている。葉月は華族としての道、悪虫は平民としての道、それぞれ別の道を歩き出したのだ。華は葉月のことを忘れてしまうだろうが、葉月は残してきた第二の家庭のことを生涯忘れないだろうし、悪虫も成長する我が子の姿を見て、その中に葉月の面影を見出すだろう。華の存在が、たとえ離れ離れになったとしても、二人の心を永久とわに結びつけるのである。


《FIN》

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