リュウクウデン1
ザナゾの槍は八つに分離できる。左右の手にそれぞれ四本の短い槍。手の間を短槍は移動する。回転しながら自在に移動する。
ザナゾは急襲されるのが嫌いである。だから、急襲される前に架空の敵を己れ自身で出現させる。
今回ザナゾが出現させた架空の敵は八人であった。だから長い槍を八つに分離したのである。
最も困難な状況を設定して架空の戦闘を実施する。
ザナゾにレイリョクはない。だから敵の急襲を予知することはできない。
しかし、ザナゾが架空戦闘を行った直後に実際の急襲が始まる。これは予知ではなく、偶然である。厳然とした偶然が常にザナゾを取り巻いているのだ。
実際の急襲は敵六人によって行われた。そしてすぐに収束した。
走りながら左右の手で八本の短槍を縦横無尽に回転移動させていたザナゾの架空戦闘は実際の急襲の暫く後に唐突に終わった。
しんと静まった小道。小道沿いに六体の屍。そこに木の上から敵一人降り立った。
「冗談だろ?あいつは我らが襲い掛かる前にすでに何者かと戦っていた。その凄まじい戦いのついでに我が隊精鋭六人をあっけなく倒した。冗談だろ」
ザナゾという名の漁師がいる。
リュウクウ国の西側の海は広大で豊穣な漁場である。ゆえに、西の海岸線に沿って多数の漁師村が点在している。そんな村のひとつにザナゾという漁師がいる。
ザナゾは大男である。通常の漁師五人分の長さの銛を軽々と操る。リュウクウ国の漁師でザナゾの名を知らぬ者はいない。それほど優秀な漁師である。
漁の腕だけではない。槍の使い手としても高名である。
ザナゾの武術の腕をリュウクウ国王リュウライは高く評価しているが、ザナゾは漁師として欠かせね存在ゆえに通常は漁師として働き、有事の際にのみ将軍として事にあたるという待遇がなされていた。
ザナゾを将軍として常時用いる必要がないほど、武の大国リュウクウには優秀な武人が揃っている。
異人タクトフービを発見したのはこの漁師将軍ザナゾであった。
荒れている海。漁に出るにはあまりに危険な海。ザナゾは浜辺に立っている。
このように荒れる海に出てゆく無謀な若者がたまにいる。気持ちは解らぬでもない。ザナゾはそのような無謀な漁師を発見したならリュウクウ国一と称される大声で戻るように説得する。
ビリビリと雷雲さえ震えさせるようなザナゾの声に従わない舟などない。もし従わない舟が荒れた海に突進して行ったとしても、ザナゾはその無謀な舟を引き止めるために救助の舟を出すつもりなどない。
数々の思いがザナゾを陸に繋ぎ止めてしまうのである。その思いの中には重要で偶然な出来事が渦巻いている。例えば『黄金のイルカ』の内部に乗り込み海中を航行した経験など。海はあまりに謎であり危険に満ちている。
しかし、時々ザナゾは全裸となり荒れた海そのものに戦いを挑むという熱望を持つ。
波の冷たい飛沫で、そのような熱望を冷やしながら浜に立つザナゾ。
そのとき荒れた海に馬が現れたのである。
荒れて猛る海を馬のような物体がザナゾが立つ浜辺に近づきつつある。
馬は静かに移動している 。揺れることなくゆっくりと浜に向かってくる。
ザナゾは巨大な身体を砂浜に仁王立ちさせて馬を見ている。異様に長い銛は握らずに砂に突き立ててある。一瞬のうちにその銛を遠くの標的に命中させることなどザナゾにとっては造作もないことである。
だがザナゾはただ勇猛なだけの男ではない。状況によっては素早く撤退する構えである。巨体に似合わぬ俊敏さで走る。
逃げることを嫌う習性が武の国リュウクウの男にはあるが、ザナゾは敵に背中を見せることを恥じたりしない。
逃げ延び生き延びる。それがザナゾの闘いに対する心構えである。
ゆえに、いざ逃走を選択せし場合にそなえて、銛は砂に突き立ててある。
それにしても訝しい。これほど時化た海を荒れ狂った波に縦横無尽に蹂躙されるはずの物体がなぜこうも静かに移動できるのか不思議である。
まるで馬はティーダ国の静かな湖スイナ湖に浮かんで移動しているようではないか?
そのときザナゾの妻ナウロの心話が聞こえてきた
『…その通りです…いまこの瞬間に…その…馬に似た物体は…遠く離れた…スイナ湖にも実際に浮かんでいます…波の影響を受けないのは…その物体が…スイナ湖の静かな水面を…水面の物理的法則を…力場として選んでいるから…その馬に似た物体は…二つの場所に同時に存在しています』
大陸で最も大きな湖はティーダ国にあるデイナ湖である。
デイナ湖の南、ティーダ国 とピマ国との国境近くにスイナ湖がある。デイナ湖に比較すれば小さな湖である。
ザナゾの妻のナウロはティーダ人であった。ナウロの実家はスイナ湖畔に程近い農村にある。
この時代、大陸のほとんどの国では祭事は祭事官と、祭事官を指揮するユタと呼ばれる巫女が執り行う。
ユタはゴシンタクにより指名される。
リュウクウ国のユタが一般人に戻る際に次のユタにティーダ国の女性を選ぶことがある。
ユタの選出についてユタ自身の意思や国の意向は反映されない。ユタにゴシンタクが降りてくるのをただただ何年も待つだけである。
ティーダ国は大陸で最も古い歴史を持つとされる。大陸で最もユタが選び出される国だ。
しかし、ティーダ王がユタ選出や祭事に口出しすることはできない。世界中のどの国の王も祭事を自ら動かすことはできない。
祭事に口を出した王の国は滅びる。歴史がそれを証明していた。
ザナゾの妻のナウロはティーダ人であり、ティーダからユタとしてリュウクウに移り住んだ。
通常、ユタから一般人に戻ると生まれ故郷に帰る。だがナウロはリュウクウ国の漁師ザナゾと電撃的な恋に落ち結婚したのであった。結婚してリュウクウ人となったのでナウロのティーダ国に戻らないという選択は許されたのである。
ザナゾとナウロには秘密があった。
それはナウロのレイリョクである。通常、ユタから一般人に戻ると、不思議な力であるレイリョクは忽然と消える。だが、稀に一般人に戻ってもレイリョクが消えない女性が存在する。
ナウロは一般人に戻ってもレイリョクが消えないどころか日増しにレイリョクが高まってしまう。
さすがの剛胆なザナゾも恐怖するほどの力である。
ナウロのレイリョクを秘密にする理由があった。
稀に一般人に戻ってなおレイリョクを保持している女性が現れるが、そのレイリョクは一般人としてのレイリョクなので、軍事利用が可能なのだ。
近年はそのような事例はないが、伝説的に戦で活躍した、もとユタというのは実在したという。
ザナゾはナウロを戦に参加させたくなかった。
戦はザナゾ単体で数千人分以上の働きが可能なのである。妻を危険に晒す必要などない。だからナウロのレイリョクについては秘密にしている。
いまリュウクウ国の西部の浜辺に立つザナゾに漁村の家にいる妻からの心話が届いたのだが、二つの場所に同時に存在する物とは…いったい何のことなのかザナゾには理解できない。
ナウロがレイリョクにより感知したとおりティーダ国のスイナ湖に馬のような物体が浮かんでいた。
これほど遠く離れた場所を感知するレイリョクは歴史上にも記録がない。
スイナ湖の水面は静かだ。鏡のように辺りの林が映っている。
水面に波紋が引かれている。馬のような物体が岸に向かって進んでいる。
リュウクウ国の西部海岸に出現した物と同じ形であり全く同じ動きをしている。
スイナ湖の湖畔に人影数十人。その中央に緑の厚いマントに覆われた者。表情はあまりに厚い髭、その髭は付け髭なのだが、に覆われて窺い知れない。
それはティーダ国王ダジャその人であった。ダジャの左右にはジュスズとヤボザがいる。そして少数の近衛隊を配備させている。
「あの馬のような物体は?」率直にジュスズが王に問う。
「あれが予知したジュウニキのひとつ馬舟だ」
「そして馬舟はここと、遠くリュウクウ国西海岸に同時に出現した」
「ほへ」とヤボザが声を出す。
理解できるものなどいなかった。