お寺の狐火
春先の夕暮れ時は、驚く程に寒い。
まるで、神様に見捨てられたような、そんな気さえしてくる。
けれど今日の僕の心の中は、春の日差しのようにポカポカだ!まさか、こんな日が来るとは……っ!
もともと、僕は雪の中から生まれた。
だから寒いのは苦手じゃない。むしろ、暑い方が苦手だ。氷の張っている極寒の池でも、水浴びが出来るほど、僕は冷たいのも寒いのも平気だ。凄いだろ?
現に水浴びは大好きで、毎日欠かさずやっている。
さっきも、寺の近くの川の淵で水浴びをして来たばかりだ。
お寺の近くにある川は当然山からの水。水源に近いから、前にいた場所の川よりも水が綺麗で気持ちよかった。
魚もいっぱい泳いでいて、何匹か捕まえて食べた。ここにいたら僕、太っちゃうかも知んない。
『……』
僕は満足気に寺の縁に寝そべり、外を眺めた。今まで感じたことのないくらい、僕は幸せだった。
辺りはもう、日が落ちてしまい、夜の気配が忍び寄る。
『……ん?』
薄暗くなった寺の庭を、僕はじーっと見ていた。
だって、不思議なものを見つけたんだ。
『……なんだ? あれは……』
僕は目を見張る。
不思議な青い光が、夕暮れとともにポツポツと現れた。
夜の星が瞬き始めるのと同じ頃、寺に灯り始める青白い炎。
あたかもそれは、暗闇の中の道標のように、淡く優しく輝いた。んー、あれだ。あれに似ている。
僕の狐火……。
この寺の境内には、樹齢数百年にもなるほどの大木が、幾つも生えていた。
鬱蒼と茂るその木々たちは、まるで寺を護っているかのようで、その存在感には言葉をなくす。
《飛び跳ねて、遊んだら楽しいだろうな……》
僕が初めてこの木々を目にした時、思わずそんな風に感じた。普通の木とは、何かが違う。
何が違うのかと問われれば、その答えに困るんだけど、……そう! まず木の形が違う。
『……』
いや、その前に木の形が違うのは当たり前だ。むしろ《気の形が違う》と言った方が正しいのかも知れない。
曲がりくねった木々は太くて、簡単に折れそうにない。安心して身を委ねられそうだ。傍にいるだけで護られる。そんな安心感がこの木々にはある。
木の上で昼寝……も、悪くないよね。
ふとそんな事を思ったりもした。
《自信を持っている木》……って言うのもなんだか可笑しい気がするけれど、まさにそんな感じ。
永年、この地を護り続けて来た。《自負》みたいなものがあるように見えた。
──「この寺は、木々に護られておるのじゃ」
弦月和尚は言っていた。
この古寺は、森の木々に囲まれていて、雨風、地震……色々な自然災害から、この寺を護ってくれているんだって。
──「寺だけではないぞ?」
和尚さまは言う。
木々はこの山の麓の民家や田畑も、同じように護っているのだそうだ。
──「《鎮守の森》……と言っても、過言ではないのだ」
和尚さまは誇らしげだった。でも、それも頷ける。
どこか神がかったこの森の様子に、僕は畏怖を感じたし、力強く伸びているこの木々を見ると、相応しい名前のような気がした。
寺の敷地に生えてるからと言って、庭木であるとは限らない。むしろ庭木として植えられたものは、一本もないのかも知れない。
長年そこにあり続け、寺や民家を護る鎮守の森。
だからこそ《自信を持っている木》に見えたんだと思う。
寺には楠や松、杉、榎なんかの様々な木々が生えていた。
で、その木の枝々に、青白い炎がゆらゆらと蠢いているんだ。そりゃ、目を凝らして見るよね!?
日が陰りだしてから、灯り始めたその青白い炎は、見た目に反して優しい光を放っている。
普通なら、こんな事は絶対にありえない。ついこの前生まれたばかりの僕だけど、そんなことくらい知っている。
現に、僕が生まれたところから、すぐ近くに見えた森の中では、こんな炎は灯らなかった。
じゃあなんで、ここでは火が灯るのだろう?
『……』
僕は、じっと炎を見つめた。
当然、本物の火ではない。
本物の火ではない証拠に、枝に炎を纏わせながらも、木、そのものが燃え上がる様子はない。
『……』
普通の火だったら、今頃この森は大惨事になっていたところだ。
ただ僕は、あの炎と同じものを見たことがあった。そう、僕の《狐火》!
木々に取り憑いた炎は、僕の狐火にそっくりだった。
試しに僕は、ふーっと息を吐いてみる。
──ボッ!
吐く息と共に、青白い炎が縁側から庭へと飛ぶ。
飛んだ炎は、木々に付いている炎にぶつかる。
──ぱちんっ!
『あ!』
僕の狐火は、木に灯る炎に触れると、ぱちんっと軽い音を立てて、弾け飛んでしまった。
まさか割れるとは思わなかった僕は、思わず声をあげる。
狐火が割れたところなど、見たことがなかった。あれって、割れるもんだったの!?
「ふふ、ふふふふふ」
すると何処からか、鈴がコロコロと鳴るような可愛らしい声がした。
「妖力が弱いと、鬼火でも負けるのニャん」
僕は声のする方を見てみたけれど、何もいない。
『?』
小首をかしげると、再び声がした。
「ここニャん。ここニャん」
どうやら、縁の下の方から声は聞こえて来るようだ。
『よっ!』
僕は身を乗り出して、思い切って縁の下を覗く。
するとそこには、肩まで伸びた髪の毛をサラサラと揺らした、おかっぱ頭の女の子が、ちょこんとうずくまって座っていた。
真っ直ぐの漆黒の髪を右側の一房だけ赤い紐で結んでいて、とても妖艶な感じのする可愛らしい女の子だった。
その子がカラカラと笑うと、その髪紐についた金色の鈴がチリと鳴った。
× × × つづく× × ×