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氷壺《月のキツネ》  作者: YUQARI
第一章 古寺に封じられた者
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子ギツネの名前

 和尚さまの名前は、弦月(げんげつ)と言った。


 それは、本当の名前ではないとも言った。

 本当の名はわけあって、棄てたのだと、弦月(げんげつ)和尚さまは悲しげに言った。何か理由があるのかも知れない。僕はその理由を聞かなかった。


 弦月(げんげつ)とは、《天と地に弓引く者》と言う意味で付けたらしい。


『《弓引く》……?』

 僕は小首を傾げる。


 弦月(げんげつ)和尚さまは笑って説明する。

「月が形を変えるのは、知っているかい?」

 和尚さまの言葉に、僕は頷いた。

『うん。知ってる。僕が生まれた時はまん丸だったけれど、だんだん細くなったから』


 弦月(げんげつ)和尚さまは、僕の話を聞きながら、嬉しそうに頷いた。

「そう。その欠けた月が、弓のように見えた日があったろう?」

 言われて僕は考える。


『うん。満月の後、しばらくしたら半分になった。月が登ってくるのがとても遅くて、僕、眠らずに待ってた事があるんだ』


 僕の言葉に、和尚さまは驚く。

「そんなに遅くまで、起きていたのかい?」

 僕は、こくりと頷く。


『僕は、月の明るい晩に生まれたから、また月が出たら、僕みたいなのが生まれて来るのかなって、思って……』

 呟きながら悲しくなる。


『でも……誰も生まれて来なかった……』


「……」

 和尚さまは黙って、僕の頭を撫でてくれる。

 あったかい……。


 その手が心地よくて、僕は頭を擦り寄せる。


『その時出てきた月はね、まるで地面に弓を引いているようだったの。しなる弓が下を向いていて、真っ直ぐな弦が上にあって……』

 その時の僕は、それを見て納得した。

『きっとね、月が地面に向かって矢を(つが)えているから、生まれてくるはずの僕の仲間は怖くって、生まれて来れないんだ……って、僕、そう思ったんだ』

 目を閉じながら呟く。


 その時の事を思い出すと、心が壊れてしまいそうに痛くなる。

 ぎゅっと体を丸める。

 小さく体が震えた。


「そうか。お前は、寂しかったんじゃな……」

 和尚さまが呟きながら、僕の頭を優しく撫でた。

『……』

 僕は答えず、ただその手に擦り寄った。


「その地面に弓を引いていた月が《下弦の月》じゃよ」

『え? 下弦? 下弦って、弦が下に向いているっていう意味じゃないの? 僕が見た月の弦は上に向いていたのに、()弦って言うの?』


 僕は不思議そうに訊ねた。

 その言葉に、和尚さまは笑う。


「ふふ。お前は賢いの。……そうじゃ、下弦と言うのは弓の弦が下を向くからそう名付けられた」

 和尚さまは愉しげに喉を鳴らす。


「下弦の月が狙っているのは、本当は《天》なのだよ」

『天……?』

 僕はわけが分からなくなって、頭を抱えた。


 和尚さまはそんな僕を見て、くすりと笑うと優しく頷いた。


 頷きながら、和尚さまは弓引く仕草をする。

 シュルっと衣擦(きぬず)れの音がして、袖が和尚さまの右の手のひらを隠す。和尚さまはそれを弓の弦に見立てて、袖の先を掴んだ。


「地に弓を向け引き絞り、沈む時に《天》を狙う。……それが下弦の月」

 真剣な顔で天を狙い、和尚さまは弓を引く。




 ──カンッ……!




『!』

 ビクッ!


 僕には和尚さまの射る弓の音が、聞こえたような気がした。

 その音はとても悲しく響いて、僕は少し、恐ろしくなる。


『……うん。なんとなく分かった』

 和尚さまの言葉に、僕は納得する。


『そうか。引き絞らないと矢は射る事が出来ないからね……。じゃあ反対の上弦の月は、天に弓を向けて引き絞った後に、地に向かって矢を射るんだね?』


 和尚さまは笑う。


「そんなところじゃ。お前は頭がいいな」

 言いながら、また僕の頭を撫でてくれる。

 褒められて、僕は得意になる。

 パタパタとしっぽを振った。


『じゃあ、じゃあ、《弦月》って言うのは、その二つの月のこと?』

「そうじゃよ」


 和尚さまはその言葉に、悲しげに眉を寄せながら小さく笑う。

「私は、天にも地にも、弓を引いてしまったのじゃからな……」


 和尚さまは遠くを見るように、顔を上げた。

『和尚さま……?』

 黙り込んでしまった弦月(げんげつ)和尚さまを、僕は少し心配しながら、その顔を仰ぎみる。


 泣いてはいないけれど、僕には弦月(げんげつ)和尚さまが泣いているように見えた。


『……』

 僕はそんな和尚さまを慰めようと思って、ぺろりとその頬を舐める。

「!」

 舐められて、和尚さまは少し驚いた様子だったが、すぐに笑って僕に語りかける。

「ふふ。くすぐったいの。そうじゃ、……お前の名はなんと言う?」


 弦月(げんげつ)和尚さまに問われて、僕は首をかしげた。

 僕は、生まれた時から一人だった。

 名前をつけて貰った覚えなどない。


『名……?』


 小首を傾げながら、和尚さまを見る。

 そんな仕草を感じて、和尚は戸惑う。


「お前の名前だよ。……もしかして、ないのか?」

 和尚さまは、少し声をひそめる。困ったような顔をした。


 僕には、家族がいない。

 生まれた時からひとりぼっちだ。だから名前なんてあるはずがない。


 僕は首を振る。


『名前なんて知らないよ。僕は雪から生まれたんだ。雪は話さない。……僕の近くで話せるヤツなんていなかったから……』

 言いながら、僕は少し俯く。

 名前がないことが、ひどく悲しいことのように思えたし、その事で目の前の和尚さまが、困った顔をしているのが嫌だった。どうにかして、この場の雰囲気を明るくさせたかった。


 僕は必死に考えて、小さく、あっと呟く。

 いい事を思いついた!


『でも、和尚さまとは、話せるね。僕ね、誰かとこんなに話した事って、今までになかったから、とっても嬉しいんだ……!』

 誰かと話したのは、初めてだよと、僕はパタパタと耳をはためかせ笑って見せる。




 僕は必死に明るい声を出した。弦月(げんげつ)和尚さまに、心配を掛けたくなかったんだ。

「……」


 だけど弦月(げんげつ)和尚さまは黙り込む。

 そもそも和尚さまを騙すなんて、無理な話しだったのかもしれない。僕はまだ生まれて間もない。


 例え僕に、不思議な力がある物の怪だとしても、弦月(げんげつ)和尚さまの目が見えないと言っても、僕の声の震えくらいは分かるに違いない。


『……』

 必死に隠そうとしてはしたけれど、限界だ。

 だってずっと苦しかったから。それをなかったことになんか、出来やしない……!


 見上げれば、和尚さまには顔を歪めている。《不憫でならない》って言ってるようだ。


 僕は居心地が悪い。

 隠し通そうとした努力は、報われなかった。それが痛いほどに分かる。


 和尚さまの表情を見ると、自分が情けなくなって、泣きたくなった。


 弦月(げんげつ)和尚さまは、はぁと溜め息をつく。

「それは困った。名前がないとなると不便じゃな」


 その一言で、僕は少しムッとする。

 雰囲気を明るくしようと思ったのに、事態は思わぬ方向へ進んでしまった。


 思ってもみなかった状況の変化に、僕の苛立ちは隠せない。

『僕は困った事なんてない! 第一ここには和尚さましか、いないじゃないか!』

 ぷいっとそっぽを向き、僕は辺りを見廻した。


 弦月(げんげつ)和尚さまは、目が見えないのに、この古寺には小僧さんがいない。だって人の気配が全くしない。


 よく生活が出来るものだと、僕は不思議に思う。

 僕には、考えられない事だった。


 目が見えなかったら、狩りが出来ない。

 狩りが出来なければ、食べていけない。

 食べなければ生きてはいけない。


 《和尚さまは、誰の助けを借りて、生きているのだろう? まさか、、一人で生きていけるわけもないだろうし……》

 僕は眉を寄せ、和尚さまの心配をする。


「何を言うか。名は(てい)を示すと言うではないか。名前は必要じゃ!」

 急に和尚さまが声を張り上げ、怒ったような声を出した。


 僕は和尚さまのその大きな声に驚いて、ビクッと体を震わせる。

 僕の怯えを感じ、和尚さまは思わず声を荒らげてしまった事にハッとする。

「すまない……。驚かせてしまったの……」

 申し訳なさそうに、そう謝った。


 僕は小さく頭を振る。

『ううん。いいの。大丈夫……』


 謝られて一応は許したものの、やっぱり僕は納得出来ない。


 だってそうだろ? 僕は必死に隠したんだ。弱味を見せたくなかったから。

 それに怒鳴るほどのことなの? 僕は好きで一人でいたんじゃない。誰も傍にいてくれなかったんだ!

 名前? 名前なんてどうでもいい! そんなのなくったって、僕は今の今まで生きて来られたんだから……!!


 僕は、ぐるるっと威嚇音を出す。

 怒りで毛並みも、逆立った。


 和尚さまは、眉を寄せた。

 それが怒っているように見えて、僕は悔しくなる。

「……」


『……僕、僕はね、そんな言葉知らない』

 僕は必死に口を開いた。

 思った事を口にする。


 和尚さまの言葉はまるで、名前がないのが悪いみたいな言い方だった。それが癇に障った。

 僕の今までの生活を、全否定されてような気がして、気分が悪かった。


『僕には名前がない。生まれた時から一人だった。だから、つけてくれる人がいなかった……っ。名前がないのが悪いっていうんだったら。……だったら、和尚さまがつけてよ! 僕に名前をつけて!!』

 半分怒って、半分期待して、僕は叫ぶ。


 言われて弦月(げんげつ)和尚さまは、少し(ひる)んだ。

「う、うーむ。……しかし、わしなどがつけるのは……」


 煮え切らない反応に、僕はムッとする。

『……うーっ! じゃあ、いらない!』

 ぷいっと僕は横を向く。

『今まで、なくても何ともなかったし、別になくてもいいよ……っ』

 半ば、やけっぱち。


 《少し期待したのに……っ》

 そっぽを向いて、ぷぅ……と頬を膨らませた。

 《……いいんだ。しょうがない。今日会ったばかりの人なんだから》


 今まで会話すらした事がなかった。

 それなのにこうして僕と話をしてくれた。それだけで、十分じゃないか。


 弦月(げんげつ)和尚さまが唸る。

「そんな訳にはいかぬ。……」

 うーむうーむと悩んで、弦月(げんげつ)和尚さまは、ぽんっと手を打った。


「分かった分かった! それならば名をつけてやろう! お前の名前は、『狐丸(きつねまる)』がいい!」


 これはいい名をつけた! とばかりに和尚さまはご機嫌で微笑んだ。

 けれど僕は違う。

 ぐるるっと再び唸る。

 だって《狐丸》だよ? 見たままじゃないかっと、僕は小さく(うめ)いた。


「お前がつけろと、わしに言ったのじゃ。何か文句があるのか?」

 和尚さまが僕に、ずずずいっと凄んでみせる。

 僕は、うぐっと息を飲んだ。


 和尚さまは、にやっと笑うと、僕に告げる。

「そうであろう! 文句は言えぬであろう? 今日からお前は『狐丸(きつねまる)』じゃ。よいな」

 和尚さまに念を押され、僕は仕方なく頷いた。


『……分かった。僕は……狐丸(きつねまる)

 僕は、自分の名前を宣言する。


 よろしい。と弦月(げんげつ)和尚さまは、満足気に頷いた。



 文句を言いはしたものの、僕は嬉しかった。

 こんなに沢山、誰かと話をしたことはなかったし、撫でられたことも無かった。

 《ましてや、名前なんて……っ》


 小躍りしたくなるのをじっと我慢して、僕は和尚さまに撫でられる事を選んだ。


 ポッカリ空いていた心の中が、なんだかあたたかくなったような気がした。




 柔らかい風が吹く。


 氷のように凍てつく冬の風ではなくて、ほんのり暖かい、春の香りを含んだ優しい風だった。





 × × × つづく× × ×


相変わらず〆が《風》ですね( ̄▽ ̄;)

最近、〆は全部《風》。

《風》様様です。。。


表現、増やさんとね。。。

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