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氷壺《月のキツネ》  作者: YUQARI
第一章 古寺に封じられた者
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寂しげな和尚

 声を掛けてくれたのは、この寺の住職のようだった。


 白い衣の上に、小豆(あずき)色の五條袈裟(ごじょうげさ)を掛けている。

 いつからそこにいたのか、縁の上に座布団を置いて、静かに座っていた。目の前にはお茶と茶菓子が置かれていた。



 その姿は穏やかなようであって、何者にも揺るぎそうにない、どっしりとした風格を感じさせる。

 《このお寺みたいな人》

 そんなふうに思った。

『……』

 僕は、恐る恐る様子をうかがう。


 和尚さまは、目が見えないようだった。

 (まぶた)を軽く閉じていて、僕がいる方を向いてはいるけれど、それが少しずれている。緩く背が曲がっていて、とても優しそうな人だった。



『……こんにちは』

 僕は、おずおずと声をかけた。


 この人も、逃げるのだろうか……? そんな不安が、僕の頭をよぎった。

 けれど、和尚さまは逃げなかった。

 それどころか、興味を示したようだった。



 声の幼さに、和尚さまは驚いた様子で答える。


「なんと、こんな山寺に童子(わらし)が来るとは……! タヌキにでも化かされておるのかのう⁉」

 ふふふと笑いながらも丁寧に、こんにちはと返してくれる。


『!』

 喜んでくれた!

 そう思うと僕は嬉しくなって、しっぽをパタパタと振った。


 けれど僕はキツネだ。

 タヌキではない。



『僕は、タヌキではないよ』

 僕はムスッとして答えた。

 僕の言葉が面白かったのか、和尚さまの顔がほころぶ。


「おぉ。……それは、すまない事を言ったの。お詫びにこの饅頭をやろう。……饅頭は好きか?」

 言われて、僕は首を傾げる。


『饅頭……?』


 尋ねる僕に、和尚さまは笑って答える。

「菓子の事だよ。おいで。ここで食べるといい」


 和尚さまは僕を、人の子と思っているようだった。

 目が見えないのなら、仕方がない事だった。


 それでも僕は嬉しかった。


 今まで、誰かと話したことなどなかった。

 誰かと話すのは、こんなにも幸せな気持ちになれるのかと、僕は思う。

 もっと、たくさんお話がしたい。

 だから、《おいで》と言われ、僕は素直に上機嫌になる。


 和尚さまは《さあここに!》と、自分の座布団をひっくり返して、勧めてくれた。


『座布団はいらない』

 言いながら、僕が濡れ縁に飛び上がると、そのまま和尚さまの隣にちょこんと座った。

 誰が傍にいてくれる。それだけで、こんなにも安心するもんなんだ……僕は初めてその事を知った。思わず顔がほころんでしまう。


 その様子に、和尚さまはふふふと笑う。

「そうか、お前は人ではないのだな?」


 僕はキョトンとする。

 少し血の気が引いた。……もしかしたら、怖がらせた?


『……どうして、分かったの?』

 おずおずと尋ねた。


「それは、分かるさ。ここの(えん)に、ひとっ飛びで登れる子どもがいるものか」

 愉快そうに和尚さまが言った。



 僕は縁に腹ばいになって、もといた場所を眺めた。

 寺の縁はずいぶんと高い。子どもどころか、大人でも勢いをつけなければ、登るのは難しいだろう。いや、大人であっても、目の前の和尚そんのような小柄な人は登れないに違いない。

『……』


 和尚さまに言われて、そのことに初めて気がついた。


『……もしかして、試した?』

 僕は急に、不安になる。


 《もしかしたら、騙して僕を捕まえる魂胆(こんたん)なのかも……》

 そう思って、僕はギュッと眉根を寄せる。



 今まで出会った動物たちは、僕を恐れて逃げていた。

 けれど目の前にいる和尚さまは、自分の事を恐れはしないが、試している。何か良からぬ事でも考えているのかも知れなかった。


 《もしかしたら、僕の事を食べちゃうのかも……》


 今までそんな自分の心配なんてしなくてよかった。だって今までみんな、僕を見て逃げて行っていたから。

 だけどこの状況は、今までと大きく違う。

 和尚さまは僕を恐れていない。

 むしろ、()()()()()()()()()()……⁉

 僕は小さく、ぐるるっと唸る。


 僕の警戒の念を感じたのか、和尚さまは慌てて言葉を紡いだ。


「あぁ……すまない。不安にさせてしまったかい? しかし、私も目が見えぬ。見えぬモノが何なのか、少しでも知りたいと思うのは仕方がないだろう?」

 オロオロと言い訳を始める和尚さまの姿が、なんだか可笑しくて、僕は目を細める。

 和尚さまの言葉に、僕も最もだと思った。


『それもそうだね……』


 こくりと頷いて、返事をする。

 和尚さまからは、やっぱり嫌な感じはしない。優しくて、ほんわかするような、あたたかい匂いがした。




 それから僕は、饅頭をふんふんと嗅いでみる。


 先程からしている、甘くて美味しそうないい匂いに、ごくりと喉がなる。

 和尚さまはフフと笑い、再び『お食べ』と言った。


 けれど、その顔はなんだか浮かない表情をしている。


 僕に《試したのか》と聞かれ、落ち込んでいるのだろうか? 警戒している人間からの食べ物など、食べてくれるはずがない。そんな風に思っているのかも知れない。


『食べて……いいの?』


 僕は尋ねてみる。確かに和尚さまは不思議な人だけど、危ない人には見えなかった。何かあったら、すぐ逃げればいい。そんな風に思った。


 だからこのとき僕はすっかり気を許していて、目の前のお菓子を本当に食べていいのか……そればかりが気になっていた。僕は、恐る恐る尋ねてみる。

 その言葉に、強ばっていた和尚さまの顔が破顔する。


「あ、あぁ。もちろんだとも。……実は、頂き物なのだがね。儂は実は、あまり甘いものが得意ではない……」

 困った顔で和尚さまは、笑った。

『ふぅん。そうなの……。じゃあ、いただきますっ!』

 言いながら、かぷっと饅頭にかぶりつく。


 饅頭は今まで食べたことがない、ほんのりと優しい味がした。

 僕は嬉しくなって、ぱたぱたとしっぽを振る。

「おやおや、しっぽがあるのかい?」

『うん!』

 ご機嫌で答える。


「しっぽがあって、タヌキではないなら……さては、猫だな!」

 和尚さまは愉しげな声をあげる。

『違うよ。猫ではないよ』

 正体を外したのが嬉しくて、僕は耳を揺らす。


 違うと言われて、和尚さまはうーんと唸る。

「ならば、犬であろう!」

『違う違う。犬でもないよ』

 ふふふと笑う。


 饅頭を食べ終わり、僕はぺろりと口を()める。前足で顔を洗った。


「……」

 和尚さまはふと、笑みを消すと、僕に言った。



「……どうも、当てられそうにない。よかったら、お前を撫でさせてくれるかい?」

 どことなく悲しそうな和尚さまの言葉に、僕は少し悩んだ。


『……うん。いいよ!』


 けれど僕は、無邪気にウンと頷いて、和尚さまの膝にぴょんっと跳び乗った。

 和尚さまの膝の上は、雪の上とは違って、とてもあたたかで、気持ちがいい。


「!」


 和尚さまは頼んではみたものの、まさか僕が了承して、ましてや膝の上にまで登ってくるとは思っていなかったようで、少し驚いたように身を強ばらせた。


『……? どうしたの? 触らないの?』

 僕は、小首を傾げる。

「あ。……あぁ」

 無邪気な僕の言葉に和尚さまはふわりと笑うと、そっと優しく僕を撫で始めた。


 《あれ……? 和尚さま。少し、震えている……?》


 僕は、ふとそう思った。

 《え⁉ もしかして、僕が怖い……?》


 まさか今更⁉ とも思ったけれど、有り得ないことじゃない。

 パタパタと耳をはためかせ、僕は和尚さまを見上げる。


 今までの出来事がふと、僕の頭の中をよぎった。もしかしてまた、逃げられるかも知れない……そんな不安が湧き上がる。



 ……けれど、和尚さまは逃げなかった。


 ホッと小さく溜め息をつくと、それと同時に、こわばっていた肩の力が抜けていった。

『……』

 僕はそれが少し嬉しくて、そっと微笑む。

 もう、ひとりじゃない……。そう思えた。


 和尚さまの手のひらはとても優しくて、あたたかくて、幸せな気分になる。

 僕は、ゆっくり目を閉じた。


「柔らかくて、あたたかい。そして、この大きなしっぽ! ……うーん。そうだな、お前はキツネか?」

『当たりっ!』

 撫でられると、とても気持ちがいい。

 僕はスリスリと和尚に頭を擦りつけた。




「……お前の家族はいないのかい?」

 撫でながら和尚さまは、僕に聞いた。僕は首をかしげる。


『家族ってなぁに?』

「《なに》ってお前……」

 僕のその言葉に、和尚さまは少し戸惑って、言葉を考えながら口にする。


「一緒に暮らしている者のことだよ」

 静かにそう言った。


 言われて僕は、『そんなのいないよ!』と膨れて言い返す。

『僕は、最初から一人だったから』

 その言葉に、和尚さまは少し驚いた様子を見せたが、すぐに悲しげな微笑みを浮かべた。


 そうか、それだったら……と和尚さまは呟く。

「ここで、私と一緒に過ごさないかい?」


『!?』

 願ってもない言葉だった。

 僕は驚く。

 そんな事を言ってくれる者など、今まで一人としていなかった。

 だけど、喜んじゃだめだ。今までだってそんなことなかったじゃないか……。だけど……。


『い、……いいの……?』

 上目遣いで和尚さまを見上げた。


「あぁ、お前さえ良ければね……」

 困った顔で、……けれど泣きたくなるほど優しい声で、和尚さまは言った。


 僕は、小さく頷く。

 とても嬉しかった。思わず目頭が熱くなる。

 もしかしたら、嬉しくても泪は出るのかも知れない。

『……』


 あぁ、でもこれはもしかして、夢かも知れない……。いや、きっとそうだ。僕は夢を見ているのに違いない。

 僕は慌ててゴシゴシと顔を掻いて、再び顔を上げた。

『……』

 夢じゃない。

 寝ぼけているわけでもない。

 目の前の和尚さまは、優しく微笑んでいてくれる……!


 たとえ夢でも、このまま覚めないで欲しい……!!


 僕は、笑った。

 多分、変な顔だったに違いない。


『うん……!』


 ひとりぼっちだった僕は、自分を恐れない人間を見つけて、ご機嫌だった。

 だけど和尚さまはこのとき少し、悲しそうに目を細めた。


 僕が何者であるか……、和尚さまにはそれが分かる。


 分かっていなければ、言葉を話すキツネなど、怖くて相手に出来ないはずだ。

 分かっていて、僕と共にあることを選んでくれた。


「……」


 和尚さまは、もう見えなくなった目で、本堂の奥を見つめた。

 いつしか笑みが消える。




 当然、和尚さまは人間だ。

 物の怪ではない。


 けれど、僕を恐れない。

 正体が分かっているのにも関わらず。


 そして僕を恐れない和尚さまもまた、ただの人であるはずがなかった。





 ☓☓☓つづく☓☓☓


続きはまた今度。

不定期配信。

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