古寺
僕は、町の灯りを目指して、空を駆けた。
点在する街の灯りは、星々のようでとても綺麗だった。
けれど、真っ暗な夜空を一人で駆けていると、上と下がどちらか分からなくなる。どこへ行こうとしたのか、ここがどこなのか、自分が誰なのか。そう思うと恐ろしくなって、体が石のように固くなる。
そんな時は、わざと狐火を消してみた。
すると僕は当然、下に向かってヒューンと落ちていく。
空と地面の区別なんて簡単だ。落ちていく方向が地面だと分かりきっている。だから僕は《あぁ、こっちが地面なのだ》とホッとする。上と下が分かると安心して、また空を一人で駆けていく。
《何故、僕はひとりなのだろう……》
僕はぼんやりそんなことを思う。このままいっそ、地面に叩きつけられてしまおうか? 一人孤独に過ごすよりも、そうした方が楽なような気もする。
《僕は何のために、生まれたの……?》
ひとり暗闇の中を上も下も分からずに、駆けてゆくために生まれたの?
そんな事に、なんの意味があるのだろう? 僕はとても虚しくなる。
ずっとひとりで、これから先も生きていかなければならないのだろうか? これからどれ程の時をひとりで過ごさなくてはいけないの……?
ぼんやりとそう思いながら、夜空を駆けた。
暗闇に取り込まれそうになって、本当はこのまま、消えてしまいたかった。
《消えたい》と思うそんな気持ちとは裏腹に、僕は少しずつ大きくなった。
吐き出した狐火は、ずいぶん長いこと維持出来るようになって、空を駆けるのも上手になってきた。すると空を飛ぶのが、どんどんどんどん楽しくなる。
だけど、油断は禁物。
こんな時こそ気をつけないと、気を抜くと、時々転がり落ちそうになるんだ! ホントおかしいよね!
だから僕は、いつ落ちてもいいように、少し下の方を選びながら、駆けていく事にした。
《もう、雪に守ってはもらえない……》
あたたかな春はもう目の前で、僕を受け止めてくれていたふわふわの雪はもう降らない。誰も傍にいてくれない僕にとって、雪はお母さんのようなものだったんだけど、仕方がない。
今以上に一人で頑張らなくっちゃ!
何も話してはくれなかった雪だったけれど、生まれた時からいつも一緒で、僕の事を拒まずに、優しく静かに守ってくれる……。そんな雪が、僕は大好きだった。
冷たくて、気持ちよくて、そしてふわふわで柔らかくって、そっと優しく包み込んでくれる……。
そんな雪が少しずつ消えていくのは、何だか、ちょぴり悲しかった。
季節は、春になろうとしている。
山の原っぱにも、小さな花が咲き始めていた。じきに、桜の花も咲くだろう。
ぷっくり膨れた蕾が、今か今かと暖かくなるのを待っている。真っ白だった雪景色は、次第に可愛らしい色がつき始め、賑やかさを増してきた。
確かに雪とお別れするのは悲しいけれど、僕はウキウキと心が弾む。
自分を恐れない誰かと、出会えるだろうか?
もしかしたら、また怖がられるのではないだろうか?
『……』
そんな不安が頭を過ぎる。
けれど僕はフルフルと、頭を振る。
ううん。今度こそ絶対に、分かり会える《誰か》に会えるような気がする……!
僕はそんな風に考えながら、青い狐火を自分の体に纏わらせ、近くの屋根に腰をおろした。
僕だって、ちゃんと学習しているんだよ? 狐火は使わないときには、体の傍に纏わりつかせるといい。そうすると、狐火は僕のことを護ってくれた。
……足につけたままにしておくと、地面と反発してコケちゃうからね。
『ふぅ。……ずいぶん駆けて来たな』
見渡すと、さっきまでいた森は、遥か彼方で小さくなっている。
かろうじて見えるのは、大きな木のてっぺんくらいだ。それだけが小さく見えていた。
《ずいぶん、遠くに来ちゃったなぁ……》
僕がもともといたその場所は、それほど広くはなかった。こうやって小高い山の上に登ってみると、その小ささがひときわ目立って見える。
『あんなに狭かったんだ……』
あの場で過ごしていたときには、全く気づかなかった。
とても広くて寂しい所だと思った場所は、以外にも小さくてこじんまりとしている。
僕はぼんやりと、それを見る。
僕が生まれたところは見えないかな? と、二本足で立ち上がって覗いてみた。氷の玉は見えなかった。もう溶けちゃったのかも知れない。
そうだよね、見えるわけがない。
とっても小さい玉なんだもん。
『ふふ。見えるわけはないか……っ』
少し残念にも思いながら、ふわりと僕は微笑んだ。
もういいんだ。僕は新しい場所を探す。
新しい場所で、大切な仲間を探すんだ。そして笑いながら生きていくんだ!
そう思い直して、自分のいる場所を改めてみた。
茅葺屋根の、結構大きな建物だった。
『お、寺……?』
僕が降り立ったのは、人里から離れた古寺だった。
古いけれど、手入れは行き届いている。
その境内にはいくつもの大きな木が生えていて、なんだか荘厳な感じがした。
……ま、正直に行って《荘厳》の意味、よく分かんないんだけどね。そんな感じだったんだ。
だからさすがの僕も、気圧される。
なんとも言えない圧迫感に、僕は少し後ずさったけれど、嫌な感じはしない。
どっしりとしたその雰囲気は、敵となれば恐ろしいけれど、味方となればきっと心強い。
こんなところで生きていけたら、どんなにいいだろう? きっと心の底から安心して過ごせるに違いない。
その上大好きな人たちに出会えることが出来たのなら、もう何も言うことはない。
『……』
自然の要塞に護られながら、そのお寺はひっそりと建っていた。まるで何かに隠れるように……。
お寺は古いものではあったけれど、掃除は行き届いていて、不思議と塵一つ落ちていない。
信心深い人でも、いるのかな?
どう考えてみても、ここは人里から離れていて、あしげく通うには向いていない。だからこそ、僕はここにいたいって思ったんだけどね。
僕ってほら……嫌われているから……。
《今度は、誰かと友だちになれるかな……?》
考えながら、心は重く沈んでいく。
『……』
もしかしたら、また逃げられてしまうかも知れない。そう思わずにはいられない。
どうしてみんな、僕を嫌うのだろう?
僕の姿が怖いのだろうか?
僕は、自分の姿を振り返りつつ見てみた。……怖い感じはしない。
前に、湖に自分の姿を映して見たこともあった。あの時は、怖い……というよりも、《可愛い》とちょっと自惚れた。
ううん。自惚れなんかじゃないと思う! だって、前に見た子ギツネたちとそんなに姿は変わらなかったし、違うところと言えば、この真っ白な毛皮くらいだったから……!
『……』
じゃあどうしてみんな、逃げて行くのだろう……?
──友だちになれないのなら、いっそ……。
そんな不吉な想いが、頭をよぎる。
自棄になって、全てを壊してしまおうと思ったことだってある。僕だって本当はつらいんだ……‼
『……』
フルフルと頭を小さく振りながら、僕は地面へと飛び降りた。妙なことは考えるな!
考えれば考えるほどに、僕は堕ちていくんだぞ……!
ギュッと目をつぶって、自分を叱りつける。
──「おやおや。誰か来たのかね?」
不意に声を掛けられた。僕はピクンっと跳び跳ねる。
《全く、気配を感じなかった……⁉》
僕は身を強ばらせ、警戒した。
未だかつて、こんな経験をしたことがない。
けれど、嫌な感じはしない。
『……』
声の主は、お寺のお縁に座っていた。
僕はしばらくその毛を逆立たせていたんだけど、すぐにクゥンと小さく鼻を鳴らし、耳を伏せる。
相手は僕に嫌なことをする気はないようだ。
僕の返事をにこやかに笑って、待っててくれた。
そんな態度を取られたことは、生まれてこの方一度もない。
僕を恐れているわけでも、捕まえようとも思っていない。ただ純粋に語りかけてくれている。
僕は、ホッと安堵の溜め息をついた。
× × × つづく× × ×