狐丸捕獲計画。
(今日こそは、どうしても狐丸に会わなくては……)
澄真は、黒孤寺の入り口で、山を見上げる。
普通ならここで、気配を消して山を登るのだが、今日はいつもとは、わけが違う。絶対に狐丸を捕まえる!
ばっと袖を翻し、護符を八枚取り出した。
「急急如律令! 方位結界」
言いながら、札を投げる。
ヒュン────……ッ
札が物凄い速さで、山の四方八方を塞いでいく。
澄真はニヤリ……と笑った。
(……狐丸が出掛けている気配はない。ひとまずこれで、ここからは逃げられない)
ふふふと不敵に笑いながら、澄真は山を登り始める。
ついでに手には捕縛用の護符を持ち、抜かりはない。いつ狐丸を見つけても、手加減なしで捕縛するつもりだ。
(絶対に捕まえる……。私から、逃げられると思うなよ──)
そもそも、本気で捕まえようと思うのなら、狐丸の左腕に巻いた捕縛符を呼べば事足りた。
けれどそれだと狐丸の心を傷つけるのでは……と澄真は敢えてその護符を使ってはいなかった。
前回の事件で、狐丸はこの捕縛符で、腕が腐り落ちる寸前だった。下手をすれば死んでいたかもしれない。
そう思うと、例え自分から逃げたとしても、捕縛符だけは使うまい……と澄真は思っている。
けれど今は、状況が違う。
(《可愛さ余って憎さ百倍》世間ではよく言うが、いざとなったら、左手の捕縛符も使わせてもらう……!)
澄真の決心は固い。
今まで、さんざん逃げ去ってくれた恨みを、ここで晴らす……! どんな気配も逃すものか! 澄真は心に決めて、山道を行った。
しばらく山を登って行くと、途中女に出会った。
漆黒の長く美しい髪を後ろに束ね、今日は黒色の着物を来ている。みごとな刺繍が金糸で施してあった。どこぞのお姫さま……と思うかも知れないが、そんなことはない。澄真はギッとその女を睨む。
女は睨まれて、形の整った眉を寄せ、黒髪をかきあげながら、非難めいた言葉を澄真に投げ掛けた。
「誰かと思えば、そなたか。澄真!」
ぎっと切れ長の目を細めた。
「四方に結界を張るなど、何の真似だ? ついに帝の犬に成り下がったかっ!」
グルルルと威嚇をあらわにする。
なんだ瑠璃姫か、と澄真は瑠璃姫を一瞥する。
「……お前には用がない」
瑠璃姫を見とり、興味なさげに溜め息を吐く。用があるのは、狐丸ただ一人。
「……」
あんまりなその態度に、瑠璃姫はムッとする。
「なんだ、その態度は……」
「お前に会いに来たのではない。……狐丸はどこだ?」
澄真の言葉に、瑠璃姫は呆れた声を出す。
「また、『狐丸』か? そなたは他にする事はないのか?」
「……ならば、タマでもいい。とにかくお前には用がない」
ひどい言いぐさに、瑠璃姫が不快を示す。
「何故、タマまで探す? 今まで興味も示さなかったくせに……」
事実、澄真が、タマに興味を示すことなど一度もなかった。
タマは澄真を目の敵にしていたが、さして気にするような妖怪ではない。
たまに威嚇する事があるものの、悪さをするわけでもない。
むしろ、寺の片付けや洗濯など、目の見えない弦月和尚の手助けをしてくれる、有難い(?)妖怪なのだ。
ここの寺をいつの間にか根城にしている他は、いたって無害な妖怪なのである。
瑠璃姫を一心に慕い、役に立とうと頑張っている。
無害な妖怪まで狩る趣味は、澄真にはない。そんなタマを澄真が探す日が来るとは、瑠璃姫は思いもしなかった。
にわかに不安が、心をよぎる。ぎゅっと眉を寄せる。
「……何を企んでおる?」
不安げなその声に、気が立っていた澄真の心がいくぶん和らぐ。
小さくため息をついて、澄真は口を開いた。
「中宮さまの宮で、藤の花を見る宴が開かれるのだが……」
言いながら、だんだん心が重くなる。
普通ならば、澄真が呼ばれる筈もない、やんごとなき方々の宴である。場違いも甚だしい。
頭を抱えながら、深いため息をついた。
「それに……呼ばれてしまった……」
吐き出すように呟く。
「はぁ? なんでそんなことになるのだ?」
「宮さまだ……。例の白狐の件で、助けた子ども……宮さまに関わった為に、こんな大事に……」
言いながら、ずどーんと、気分が落ち込む。
「し、しかし、何故あの二人が関わってくる? 二人の正体はバレてはいないのであろう?」
今度は、瑠璃姫が焦り出す。オロオロとした声が、辺りに響いた。
国中を脅かした九尾の狐とは思えないほどの、狼狽ぶりに、澄真の顔に、少し微笑みが戻ってくる。
「あぁそうだ。バレていないはずだった。が、何故だか吉昌さまがご存知のようで……」
「吉昌……!?」
また大物が出てきた! と言わんばかりの瑠璃姫の様子に、澄真は苦笑するしかない。
「……そうだ。この前も話しただろう……? その吉昌さまだ……」
瑠璃姫は青くなる。
冗談で澄真には、『狐丸を式鬼にするのは吉昌でもいいのでは』と嘯いてみたが、そんなことは微塵も望んでいない。
かの人物は、見た目も物腰も柔らかく、優しい人物に見えるが、妖怪相手にはひどく手厳しい。
「……」
「狐丸を連れて行かねば、この寺に今度は吉昌さまが来るのではと、心配している……」
ぽそりと呟く。
「な……!」
思わず唸る。なんてことだ……瑠璃姫は頭を抱えた。
「……確かあいつは妖怪と見れば、無害な者までも、遊び倒して調伏していたヤツではなかったか?」
瑠璃姫が唸る。
その言い方に、こめかみを抑えながら、澄真は頷く。
「そうだ。よく知ってるな。隠しているのに……。吉昌さまは、その非情さで、陰陽頭まで登りつめた……」
実のところ、吉昌には兄がいる。
占いで物事をズバリと言い当て、地震を予知する逸話まであるのにも関わらず、陰陽頭になったのは、弟の吉昌であった。
この二人の父親も、誰もが認める力の持ち主ではあったのだが、こちらもそこまでの地位を手に入れることは出来ていない。
何が違うのか……。
それはひとえに、妖怪寄りであったか、人間寄りであったかに尽きる。
「……」
吉昌は幼い頃から、二人の優秀な陰陽師に囲まれ育った。
父も兄も、妖怪が好きで、よく傍に侍らせ遊んでいた。しかし、吉昌は違う。
大好きな父と兄を妖怪に奪われた……とでも思ったのだろう。吉昌は、妖怪をひどく憎んだ。
次第に妖怪への関わり方が、おかしな方向へと傾いていった。
「……で、その吉昌に何故かバレた、と……?」
「おそらく……。あの吉昌さまにも、優秀な式鬼がいるからな。市中の事などお見通しなのかも知れん……」
はぁ。と瑠璃姫がため息を漏らす。
「吉昌の式鬼……あやつだろうな」
瑠璃姫は呟く。
「……知っているのか?」
「……まぁな、あれは古参も古参。強くもないが誰にも見えぬゆえ、かなり厄介だ……」
「見えない……?」
お前も気をつけろよ……と瑠璃姫は忠告する。
「ふむ……。しかし、あの二人を連れて行かねば、そやつがここに来る……か」
瑠璃姫の言葉に、澄真は、『あぁ』と頷く。
「確実に来る。……何故か妙に嬉しそうにされていたからな。あの方が、面白そうな妖怪を見逃すはずはない……せめて狐丸。狐丸さえ来てくれれば……」
「……」
吉昌に狙われた……となると始末が悪い。下手をすると黒狐寺の妖怪は瑠璃姫を除いて一掃されるかも知れない。
サーッと瑠璃姫の血の気が引いていく、
「……どうすればいいと思う?」
珍しく、泣きそうな声を出した。
澄真は眉を寄せ考える。
「一番いいのは、狐丸を私の式鬼にすることだ。さすがの吉昌さまも、他人の式鬼には手を出さない……」
しかし、と続ける。
「狐丸が、それを望まない」
「……」
瑠璃姫は軽く目をつぶる。
もはや、そのようなことを言ってる場合ではない。
しかし、澄真の心は決まっている。
「敦康さまが、ああ仰せになったからではないが、私は狐丸を無理に式鬼にしようとは思わないのだ……」
目を伏せながら、澄真が呟く。
無理矢理ではなく、自ら選んでこちらに来て欲しい……。
「しかし、あいつが宴に行くだろうか……?」
瑠璃姫が顔を曇らせる。
その言葉に、澄真は軽く首を振る。
「……行かないだろうな」
言いながら、肩を竦めた。
「それどころか、どうせ私から逃げるだろうと思って、この結界を張ったのだ」
「…………それでか。難儀な……」
瑠璃姫にも合点がいったようだ。
「本当なら、ゆっくり関わっていこうと思っていた。が、事情が事情だからな……。多少嫌われても、今日だけはあいつを捕まえなくてはならない」
澄真の目がキラリと光る。
「……」
そう言われれば、瑠璃姫も納得するしかない。はぁ……、と大きなため息をつくと、口を開いた。
「狐丸は吾の所におる……。お前が来るまでに、説得をしておこう」
言いながら瑠璃姫は、霞みのように、掻き消えた。
「……」
瑠璃姫がこうも協力的なのは初めてだった。澄真は、少々面食らって、空を仰ぎ見る。
晴れやかな春。……春というより既に初夏に近い。
木々の萌木色の若葉が、眩しく揺れる。流れる風が心地いい。心も何故か、晴れやかになる。
他のものの力を借りるのも少し癪だが、今日は狐丸に会えそうだ。
心なしか、澄真の歩も、軽くなったような気がした。
× × × つづく× × ×




