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氷壺《月のキツネ》  作者: YUQARI
終章 光の中で。
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藤見への招待

 春の薫風に誘われて、

 鈴なりに垂れた藤の花が揺らぐ。


 藤棚から降るように咲く、青紫の藤の色を見ていると、

 自然と心が安らいだ。

 それは、守られているような気持ちに、

 なるからだろうか?


 藤の花は、『不死』につながる。

 鬼や邪を祓う、神聖な花。




 ┈┈••✤••┈┈┈┈••✤✤••┈┈┈┈••✤••┈┈


 藤の花を見ながら、彰子(あきこ)は傍に控えている、幼い敦康(あつやす)に声をかける。


「……月日が過ぎるのは、早いものですね」

 言いながら、振り返る。

 たおやかな漆黒に輝く長い髪が、さらりと肩から溢れた。


「あなたも、もう十一歳。元服を終えたからには、もうここで共に過ごすことも、許されないのですね……」

 彰子(あきこ)は、悲しげに笑う。


義母上(ははうえ)……」

(わたくし)が我が儘を言ったのですよ。せめて、十一になるまでは、傍に置いて下さいと」

 藤の花が咲くまで、共にいることが出来て良かった。と小さく笑う。


「……次代の帝となるべき貴方を、(わたくし)の力が足りないばかりに、追い出す事になってしまって……。どうか。……どうか、この義母(はは)を許して下さい」

 頭を下げる義母彰子(あきこ)のその姿に驚いて、敦康(あつやす)は慌てた。義母(はは)は誰よりも、自分を帝に……と推してくれた。けれど時勢がそれについてこられなかっただけだ。義母のせいではない。


「何を仰せになるのです。私は、義母上(ははうえ)と共に過ごせ、幸せでありましたのに」

 敦康(あつやす)はふわりと笑う。


「それに、私には帝の立場は重すぎます。ちょうど良かったのですよ」

 言いながら、庭の藤棚に目をやる。


「今年の藤は、いつにも増して、見事に咲き誇りましたね。また、花見会を開かれるのですか?」

「ええ……。今年は、貴方に所縁(ゆかり)のある者だけを呼ぼうと思うのですよ」


 《所縁(ゆかり)のある者》と言われ、敦康(あつやす)は少し困る。それほど、人と繋がりがあるわけではない。


「……」

 少し悩み、ふとある人物が思い浮かぶ。

「それは、陰陽師でもかまいませんか?」


「陰陽師……?」

 彰子(あきこ)は、不思議に思う。


「ええ。……この前、私がこっそ抜け出した時に、世話になったのですよ」

 苦笑ぎみにそういうと、彰子(あきこ)(そで)の端で口許を隠しながら、ホホホと笑う。


「そうでありましたね。……本当に宮さまは、子どもなのですから」

義母上(ははうえ)……っ」

 赤くなりながら、敦康(あつやす)は唸る。

「私はもう、大人なのですよ! 市中を歩き回って、何が悪いのです」

 言うと、彰子(あきこ)は少し悲しそうな瞳を向けながら、敦康(あつやす)を見る。


飛香舎(ひぎょうしゃ)にいる間くらいは、(わたくし)に護られていればよろしいのに、……わざわざ抜け出すなど……」

 軽く睨む。


「ほんの少し、ここで待つだけでしたのに。そうすれば、嫌でも外へ行かねばならないのですから……」


義母(ははうえ)……」


 目を伏せた彰子(あきこ)が、泣いているのではないかと、敦康(あつやす)は心配する。

 しかし、彰子(あきこ)は顔を上げると、小さく笑った。


「たまには、遊びに来てくださいね……」

「……はい」

 《社交辞令》……と敦康(あつやす)は受け取った。その言葉を鵜呑みにするほどもう子どもでもない。

 ここを出れば、いよいよ臣下となる。


 こうして、顔を合わせることも少なく……いや、もうないだろう。……例え会える事があったとしても、そのときは御簾(みすごし)

 こうして面と向かって話をすることが出来るのも、もうあと僅かである。


「……もう、危ない真似は出来ませんよ? 貴方は『大人』なのですから……!」


 悪戯っぽく睨む彰子(あきこ)の姿に、敦康(あつやす)は少し目を丸くしたが、すぐに微笑み返す。

「ふふ。……それは分かりませんよ。心配なら、見張っていて下さいね」


「まぁ。ふふふふ……」

 飛香舎(ひぎょうしゃ)に楽しげな笑い声が響いた。




 ┈┈••✤••┈┈┈┈••✤✤••┈┈┈┈••✤••┈┈




「……ここは、もう少し分かりやすく。後で誰が見ても分かるように書いてください」


 中務省(なかつかさのしょう)の一角にある陰陽寮で、澄真(すみざね)は仕事をしていた。

「分かりました。……あと、こちらもお願いします」


 陰陽生(おんみょうのしょう)が書く書類の添削をしながら、澄真(すみざね)は心の中でため息をつく。



 先日の白狐騒ぎの事後処理が、思っていたよりも進まない。


 結局のところ、騒ぎの原因である宗源火(そうげんび)は白狐に喰われ、白狐は陰陽師たちの手をすり抜けて、逃げてしまった。


(襲われた子どもが宮さまであった事は、(おおやけ)には出来ないし、町を焼く恐れのあった多量の鬼火の発生。しかも居合わせたのは、陰陽師でも未熟な者たちばかり……)

 いくら報告書を書き上げても、上が納得しないのである。


(せめて、狐丸が私の式鬼(しき)であったのならば……)

 渦中の白狐が自分の式鬼(しき)であったならば話は変わっていた。事後の言い訳など、いくらでも作ることが出来る。


 市中で暴れている宗源火(そうげんび)を、自分の式鬼(しき)で倒したと言えばいいだけだ。白狐が火事の原因でないと、つらつら説明する必要も証明する必要もない。

 けれどその白狐である狐丸に、断られた。




 ──『式鬼(しき)なんて知らない! 知らないものになんかなれない……!』




 あの時の狐丸の言葉が胸に刺さる。

 正直、強引だった。反省しながら澄真(すみざね)は顔を伏せる。

 けれど──。


(顔を真っ赤にして言う狐丸が、可愛かった……)

「……」

 けれど今は、そんな事は言っていられない。目の前の書類を片付けないと、狐丸にも会いにいけない。

「……はぁ」

 思わず溜め息が、口をついて出る。


「お疲れですか? 顔……赤いですよ……?」

 近くにいた蒼人(あおと)が、気遣わしげな声をかけた。陰陽師のタマゴである陰陽生(おんみょうのしょう)だ。

 《顔が赤い》……と言われ澄真(すみざね)は焦る。見透かされるわけにはいかない。必死に何でもない風を装って、澄真(すみざね)は軽く微笑んだ。


「あ、あぁ、すまない。蒼人(あおと)か。……書類がなかなか進まなくて、気が滅入っていた」

 少し本音を漏らす。

 正直、ここ最近は机にかじりついていて、体がなまっている。


(……ああ、狐丸に会いたい)


 もう、随分と会っていない。


 仕事が滞っているせいもあるが、あれだけ式鬼(しき)になりたくないと拒まれては、こちらも立つ瀬がない。実のところ、自信を失くしている。


(私のどこがダメだと言うのだ……)

 再びため息をつく。


 何故だか狐丸は、自分から逃げようとする。

 妖怪が陰陽師から逃げようとするのは、当たり前なのだが、あれはあれで異常である。


(封印した瑠璃姫ですら、普通に会話してくれるというのに……)

『……』

 澄真(すみざね)の心中は荒れている。



 狐丸は、初めて出会ったその日から、ちっとも懐いてくれない。


 確かに、あの白狐事件で痛手を負わせたのは、澄真(すみざね)本人ではあるのだが、あの後キズを治す手助けをしている。少しは、懐いてくれてもいいハズだ。


(……それなのに、あいつときたら……っ)

 イライラと筆を持った。



 どうやって澄真(すみざね)の到来を察知しているのか分からないが、澄真(すみざね)が会いに行くと、狐丸は必ずいないのである。

(瑠璃姫ですら、気配を消した私に気づかぬのに……)

 ギリっと筆を握り締める。


 例え、いたとしても澄真(すみざね)の姿がチラリとでも見えようものならば、すぐに気配を消して、逃げてしまう。

 あれでは捕まえようがない。


 式鬼(しき)にしたくとも、全く隙を見せない。

 交渉すら出来ないでいる。



「これこれ……」


 不意に頭上から柔らかな声が響き、澄真(すみざね)はハッとする。

吉昌(よしまさ)さま……っ」

 慌てて礼をとる。


 そんな澄真(すみざね)を見て、吉昌(よしまさ)は苦笑する。笑いながら、ひらひらと手を振った。

「構わないよ。君も色々大変そうだからね……」

「いえ……」


 中務省(なかつかさのしょう)にある陰陽寮は、いくつかの建物からなっている。


 ここ、雑務をする場所と、吉昌(よしまさ)の仕事をする場所とは、そもそも別々の棟だ。

(何故、ここへ……)


 (いぶか)しむ澄真(すみざね)を見て苦笑しながら、吉昌(よしまさ)は用件を伝える。


飛香舎(ひぎょうしゃ)の中宮さまよりお前へ、藤見の宴へのお誘いが来ている」


 吉昌(よしまさ)の言葉に、澄真(すみざね)の思考が止まる。

「え……? 何を言っているのですか? 何故中宮さまが……?」

 激しく動揺を見せる。


 その様子に、吉昌(よしまさ)は口許に手を当て、ふふと笑う。

「今回の宴は、宮さまの知人から選ばれたそうだ。宮さまは、そろそろ御所をお離れになる。それを中宮さまが気遣われたようだ。そしてその宮さまが、お前をご所望なのでな……」

 澄真(すみざね)は青くなる。


「じ、辞……」

「辞退など出来はしないよ? 私も呼ばれたから、そう気負う必要はない」

 ふわりと微笑む。


「お前は、私の傍で黙っていればいい」

「……」


 吉昌(よしまさ)の何を考えているか分からない、落ち着きのあるその笑顔が怖い。

 笑ってはいるが、決して反論を許さない笑顔……。


 吉昌(よしまさ)は用件のみ伝えると、静かに立ち上がる。



「あ、そうそう」

 言いながら、吉昌(よしまさ)澄真(すみざね)を振り返った。


「かの()黒孤寺(こくこじ)に子どもがいるとのだか……?」

 その言葉に、澄真(すみざね)の肩が跳ねる。


「……そ、それが何か……?」

 澄真(すみざね)の反応に満足したのか、吉昌(よしまさ)は愉しそうに目を細めた。


「その()()も連れてくるがいいよ。おそらく年が近いのではないかと思うのだよ。宮さまも、お喜びになるだろうから……」

「そ、そのような勝手なこと……!」

 澄真(すみざね)は焦る。

 すると吉昌(よしまさ)は不気味な程にその口角を釣り上げた。

「いや、大丈夫だ。宮さまは例の()()もお呼びしたいらしい。澄真(すみざね)──」

「!」

 ギクッと身を震わせる澄真(すみざね)を横目で見て、口を開く。

「……()()()大丈夫なのだ」


 ふふふ……と意味ありげに笑いながら、吉昌(よしまさ)は帰っていった。


「……くそっ」

 澄真(すみざね)は呻く。


 吉昌(よしまさ)は、何も知らないようでいて、実は全てを見通している……。

 そう言いっているように聞こえた。




 澄真(すみざね)の苛立ちに、蒼人(あおと)は少し心配になった。


「……澄真(すみざね)さま……」

 不安げにそう呟いた。





 × × × つづく× × ×


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