了
狐丸と宗源火が争って数日。
あの一件のおかげで、四条河原の桜の木はいっぺんに散ってしまった。
散ってしまっただけならいい。場所によっては、木ごと跡形もなく焼かれてしまい、何も残っていない。
幸いだったのが、民家に火が燃え移らなかったことと、怪我人が出なかった事くらいだろうか。
木はまた植え直すのだと、黒狐寺に遊びに来た澄真が言っていた。
当分、四条河原の桜は楽しめない。そんな風にボヤいていた。
しかし、今は初夏になろうとしている季節。
四条河原だけでなく、標高の高い、黒狐寺の桜も既に見納めとなった。
京の都の全ての桜の花が、すっかり散ってしまい、新緑の芽吹きの眩しい季節。キラキラと光る萌黄色の草木が、目に眩しい。
まるで泉で洗ったばかりであるかのように、遠くの山々も青藤色に垂れ込んでいる。
あれから、狐丸は人に化けるのが上手くなった。
漆黒の長い髪を高く結い上げ、平元結(幅広の紙で髪を束ねたもの)で結んでいる。
キツネの耳としっぽも、上手に隠す事が出来るので、瑠璃姫に借りていた薄衣も、もういらない。
着ている水干も、その日の天候に合わせて、色を変える徹底ぶりだ。
今日は新緑の芽吹きに合わせたような、爽やかな若草色の水干を着ていた。
「狐丸の成長は、早いものだの……」
瑠璃姫が残念そうに、呟く。声に気づいて、狐丸が振り向く。
「瑠璃姫さま!」
にっこり微笑むその笑顔は、ついこの前まで、瑠璃姫の袖に隠れて、うわーんと泣いていたのが嘘のような凛々しさである。
そもそも、狐丸は生まれてまだ一年も経っていない。《成長が早い》どころの騒ぎではない。
いくら、妖怪の成長が早いと言えども、狐丸のそれは、異様でもあった。
「瑠璃姫さま。庭の藤の花が、見事に咲き揃いましたよ」
狐丸はそう言って、にこりと微笑む。
瑠璃姫は、はぁと溜め息をついた。
「狐丸。そんなに急いで、大きくなるな……」
困った顔で、呟く。
「え? 僕って、そんなに大きくなりましたか?」
袖を広げて、くるくると自分を見る。
「見た目ではない。中身だ」
眉間にシワを寄せながら、瑠璃姫が唸る。
「妖力が、ずいぶん大きくなった。この分だと、すぐに吾は、追い越されてしまうな……」
言いながら苦笑する。
それを聞いて、狐丸はニヤリと笑う。
「そしたらいつか、瑠璃姫さまの封印を解いて差し上げますよ」
「ふふふ。……これはまた、大きく出たの」
しかし、狐丸。と瑠璃姫が言う。
「その前に、お前が澄真の『式鬼』となれば、そのようなことは出来なくなるのだぞ?」
瑠璃姫の言葉に、狐丸は目を丸くする。
その様子に、逆に瑠璃姫が驚く。
「おいおい。当たり前であろう? 吾の封印は陰陽師の仕業であるのだぞ? 陰陽師の式鬼となるのだ、いくら自由を与えられるとしても、それなりの制約はあるというものぞ?」
くくくと瑠璃姫は笑う。
けれど、狐丸は笑わずに真面目な顔で、山向こうの田畑を眺めた。
「……どうした狐丸? 澄真の元へ、いくつもりであったのか……?」
瑠璃姫の声は優しい。
狐丸は、その言葉にハッとして頭を振る。
「僕は式鬼には、ならないよ。ずっとそう言ってるじゃないか」
言って、悪戯っぽく笑った。
「僕は、ここにいたい……」
狐丸は、ポツリと呟く。
「ずっと、瑠璃姫さまと和尚さまと、それからタマと一緒にいたい」
少し悲しそうな色を、その瞳にたたえる。
──「僕は、ずっとここにいるよ……!」
言って、瑠璃姫に抱きついた。
「!」
瑠璃姫は、少し驚いて、……でも嬉しそうに、狐丸の頭を撫でる。狐丸は嬉しそうに、瑠璃姫にその頭を擦り寄せた。
「ふふ。お前は面白い。成長したかと思えば、まだまだ子どもであった……」
愛おしげに、その頭を抱き寄せる。
「うん。僕はまだ、子ども……」
擦り擦りと、瑠璃姫にすり寄り、腕を廻す。
「だから瑠璃姫さま? 僕をまだ、離さないで……!」
「……」
瑠璃姫の背に廻した手が、フルフルと小さく震えていた。
「……狐丸」
瑠璃姫が、ポツリとその名を呼ぶ。
ふわりと春の風が吹いた。
菜の花の香りを含んだ、その香りは、タンポポの綿毛を絡めとり、空高く飛ばして行く。
(いつまで、一緒にいられるのだろうかの……)
瑠璃姫は柄にもなく、しんみりと思う。
あまり早く成長してしまうようならば、澄真だけでなく、ほかの陰陽師が、狐丸を放っては置かないだろう。
いつか必ず、狐丸を捕まえにやって来る日が訪れる。
その時、お前は……吾はどうするのだろう……。
「……」
瑠璃姫は少し、心配になる。
サラサラサラ……。
春の風が、爽やかに吹いた。
木漏れ日が、白く輝く。もうすぐ夏も近い。
瑠璃姫は、静かに目を閉じ、風を感じた。
「……」
今はまだ、この『時』をしっかり感じていよう。
……そう心に決めた。
※2022.7.8. 22:50 推敲完了 ─了─※




