叱責と無理難題
「だから、言ったであろう!!」
飛香舎で、幼い敦康の声が響いた。
──現帝の嫡男、敦康。
……妖怪に追いかけられ、狐丸に救われた子どもである。
「首だけ火だるまの妖怪が、木に火をつけたのだ! 白い狐は私を助けてくれたのだ! ……何回も、そう言っておるだろう。何故信じない!!」
地団駄を踏み腹立たしげに、そばに控える陰陽頭……吉昌と、それに付き添う澄真へ叱責を飛ばした。
「……はい。何度もそのように窺いましてございます」
陰陽頭吉昌が、深く頭を下げる。
「……」
それに習い、澄真も深々と頭を下げた。
相手はまだ、十一歳になったばかりの子どもであるのだが、二人はただただ平伏するしかない。
昨年の夏に元服を済ませ、敦康は幼いながらも、立派な大人なのである。
その上彼は、現在即位している帝の嫡男。地位的には、かなり高い。
「白狐は、猫の妖怪と共に、私を助けてくれたのだ……」
言いながら、敦康は庭の藤棚に目をやる。
まだ花を咲かせる時期ではないので、物足りなさを感じるが、少しずつ蕾が付き始めているその藤棚に、敦康は目を奪われる。
紫色は、縁の色なのだと、亡くなった母親が教えてくれた。
母親が亡くなったのは、敦康が二歳の頃だ。
幼かった敦康が、そんな事覚えているはずがない。
だから、恐らく教えたのは、侍従か、侍女あたりだろう。
けれど、覚えているはずがないのに、何故だか敦康は、教えてくれたのが母だと信じて疑わない。
いつも藤の見えるこの部屋で、遊んでくれたから、そう思っているのかも知れなかった。
母との絆である、この紫色の花が、敦康は好きだった。
養母である父の後妻もこの花が大好きで、よくここで自分の姉や妹たちと共に、藤の花を愛でたものだ。
「……恐れながら、宮さま」
五十代半ばを、過ぎようとしている吉昌は、困った顔で言葉を続ける。
「その、……言いにくいのですが、……敦康さまが仰いました『首だけ火だるまの妖怪』がいないのです。……ずいぶん手分けをして探したのですが……」
言い訳じみた言葉だが、事実である。
火をつけた本人がいないのなら、それが事実とは言い難い。
調書を書くとなれば、裏をとる必要がある。
苦しげな吉昌のその言葉に、一瞬顔をしかめた敦康だったが、ある事に思い当たり、手を打ち鳴らすと二人を振り返った。
「……! そうだ! そうであった。……その『首だけ火だるまの妖怪』は白狐が倒して、喰うてしまったぞ!」
「「!?」」
敦康の言葉に、二人の陰陽師が動揺する。
「白狐が、食べたのですか……っ!?」
思わず澄真が身を乗り出す。
「澄真……」
吉昌が顔を曇らせ、澄真を睨む。
高貴な人の前で、勝手な発言は許されていない。ハッとして、澄真は慌てて口を押さえ、頭を下げた。
「申し訳ございません……」
それを見た敦康は、カラカラと笑って、手を振った。
「……なによいのだ。気にするな。それよりも、物の怪は仲間を食うものなのか?」
平伏する澄真を覗き見ながら、敦康が訊ねる。
敦康のその問に、澄真は上司である吉昌の、顔色をチラ……と窺う。
吉昌は苦笑しながら、頷いた。
その様子にホッとしながら、澄真は敦康に向き直った。
「いいえ……。そのような報告はあまり聞かず、混乱しております。ですが、物の怪の生態は未だ不可思議なことも多く、そのようなこともあるかもしれません」
澄真の言葉に、敦康は頷く。
「物の怪とは不思議なものだ。人を害するモノばかりだと思っていた。……守られるとは、嬉しいものだな」
敦康はふわりと笑う。
「……」
敦康は、現在即位している帝の嫡子である。
本来ならば、次期帝へ即位するはずであったが、生母の死と後ろ楯のない身のため、即位することは出来ない。
後妻の母は、とても優れた女性で、敦康のことを我が子のように思い、接してくれたのだが、その母の父の策略により、次期帝は後妻の長男が、即位すると既に決まっている。
父帝の病状が思わしくなく、若干四歳の弟が、即位するかしないかの話し合いが行われている。
人とは、なんと非情なのであろうか。
「……」
自分が帝にならないと知ると、何人かは手のひらを返したように、離れて行った。
(まあ、……それを利用したのは、こっちだがな……)
敦康は、苦笑する。
その護衛の薄くなった隙をついて、こっそり御所を抜け出して、四条河原の桜を見ようと出掛けたのだ。
しかし、行く途中で宗源火に出会ったのである。
まさかあんな妖怪に出くわすとは、思ってもみなかった。目が合った途端に、ヨダレを垂らして追いかけて来たのだ。
危うく死にかけた。
「白狐には悪いことをした……」
敦康は二人を見る。
「もしも、あの時の白狐に会うことがあるなら、決して危害を加えぬと、約束してくれ」
「……」
敦康の言葉に、吉昌は黙る。
陰陽師として、物の怪を放置するわけにはいかない。
今回は助けてくれたが、次も助けてくれると言う保証はどこにもない。妖怪は、それほど気まぐれな存在なのだ。
しかし頼んでいる、相手が相手だ。
無下に断ることも出来ない。
だからと言って、迂闊に約束して、《やっぱりダメだった》……などと言うわけにもいかないのである。
《陰陽頭》としての地位がある吉昌には、答えることが出来なかった。
「……」
その様子を見て、澄真は言葉を返す。
「恐れながら、宮さま……」
平伏しながら、澄真は呼びかける。
本来なら、ありえない事だが、気さくな敦康である。怒ることもなく、その呼び掛けに答えた。
「なんだ? 言うてみよ」
「は。……我々、陰陽師は、物の怪から人々を守るための存在。白狐を容認しては、我々の存在意義がなくなります」
言われて敦康は、ふむと頷く。
「それもそうだな……」
顎に手をあて考える。
しかし……と言って、敦康は、にやっと笑った。
「お前たちは、『式鬼』を使うではないか。あれも妖怪であろう? 力を借りるなど、仲がいい証拠ではないか!」
《仲が良い》と言われて、吉昌が身震いするのが、澄真には見えた。
吉昌は、妖怪ほど嫌いなものはない。
それを《仲が良い》など言われれば、拒絶反応が起きても仕方がない。
それは澄真にしても同様である。
幼い頃から、妖怪には煮え湯を飲まされている……。
「……」
澄真は敦康の言葉に、気づかれないように軽く溜め息をついた。
敦康の言葉は続く。
「そうだあれを『式鬼』にしろ」
「……」
澄真は軽く目を閉じる。軽く頭痛がしてきた。思わず眉間を抑えた。
《式鬼》と簡単に言うが、妖怪の類を式鬼に組み込むのは、それなりの危険を孕んでいる。
失敗すれば、術者の命すら危うい行為なのだ。
「……」
二人の怯む様子に、敦康は面白くなったのか、更に言葉を続ける。
「『式鬼』は使役するものであったな。……しかし、『式鬼』にしても、使役することは許さぬ。……あぁ、それから、無理矢理『式鬼』にするのも駄目だ。白狐は私の恩人であるからな」
言って、目を細める。
明らかに、反応を楽しんでいる。
「必ず白狐の了承を取れ」
「……っ」
澄真は呻く。
あの白狐は途方もなく強かった。
式鬼にする前に、こちらがやられてしまう可能性もある。
それに了承を取れとは……。
白狐は手傷を負い、何処に行ったかも分からない。
攻撃を受け、気が荒くなっている可能性もある。
「宮さま。さすがにそれは……」
吉昌が渋い顔で、言葉を返す。
これだから子どもは……とでも言いたげだ。
澄真も苦しげな顔に、笑顔を貼り付けながら、どうしたものかと思案する。
しかし、敦康は譲らない。
「お前たちは、私の言葉を無視し、白狐に攻撃を加えた。……それなりの罰は受けねばならぬ。そうではないのか?」
子どもとは思えぬ、力強いその言葉にピクリと反応する。
言われて二人はぐっと息をのんだ。それは最もだ。
敦康は、二人を静かに睨む。
「別に、祓うなら祓ってしまえ。お前たちの良心が傷いたまなければな……」
言い捨てて、敦康は立ち上がる。これ以上、話はないと言うことなのだろう。
敦康は力強い足音を響かせて、部屋を後にした。
側使えが、スススと衣擦れの音を立てながら、その後に続く。
「……」
退出する敦康に、二人は無言で頭を下げるより他ない。
思わぬ難題に、二人はしばらくそこから、動けなかった。
× × × つづく× × ×




