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氷壺《月のキツネ》  作者: YUQARI
第四章 手放せないもの
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狐丸の気持ち

「そうか……そんなことが」

 呟いて和尚さまは、僕の左手を取る。


 僕のその腕には、手のひらから肘にかけ、紙に(しゅ)を書いた紐がぐるぐる巻きに巻き付いていた。

「……」


 紐の隙間からは、赤黒く腫れあがった僕の肌が、見えている。

 さっきは腫れていなかったのに、ひどくなってる。タマが、ギョッとなって、僕の腕を見た。


 当然、目の悪い和尚さまには、僕の傷の具合は見て取れない。


 見る事は出来ないけれど、和尚さまは元は陰陽師って言ってた。もしかしたら気の流れとかで、腕の異常さは、分かったかも知れない。


「……」

 表情は、険しい。

 和尚さまは直ぐに、捕縛紐に手のひらを乗せ、何やらブツブツと呟くものの、眉間に深い皺を寄せると、大きく溜め息をついた。


「……狐丸」


 僕の名を呼ぶその声に、不吉な響きを感じて、僕は身を強ばらせる。和尚さまを仰ぎ見て、僕は次の言葉を待った。

 ゴクリと唾を飲み込む。


 どう伝えようかと、和尚さまはしばらく言いあぐねていたようだったけれど、思い切ったように、その口を開く。


(しゅ)が……。(しゅ)が強すぎる。……これは澄真(すみざね)にしか解けぬ……」


「!?」

 僕はその言葉にショックを受けた。

 でもやっぱり……とも思う。もう、どうしようもない。瑠璃姫さまも和尚さまも、もちろんタマも僕にだって解除出来なかった。

 もう、諦めよう……。僕はその想いのショックと腕の痛みに耐えかねて、その場に倒れて、気を失ってしまった。




 ┈┈••✤••┈┈┈┈••✤✤••┈┈┈┈••✤••┈┈




「どうしたものかの……」

 倒れた狐丸を布団に寝かしつけながら、瑠璃姫が唸った。真っ青になった狐丸のその頬を、優しく撫でる。


 捕縛紐をはずすには、澄真(すみざね)の手を借りなければならない。しかし、手を借りるとなると、僕の正体を晒すことになる。


「晒せば(われ)の二の舞だ……」

 瑠璃姫は悲しげに呟く。


 狐丸は九尾ではないから、(はりつけ)になるようなことはないと思うが、いずれ同じ道を行くことになるだろう。


 何十年も生きた後ならば、覚悟も出来るだろうが、狐丸はまだ幼い。

 自由を奪われるのは、酷である。


「はぁ……」

 瑠璃姫とタマが、深い溜め息をつく。


「でも、このままだと、腕が落ちてしまうニャん……」

 タマが哀れな声を出した。


 狐丸の赤黒く腫れた、腕を見る。

 時間が立つごとに、腕はジクジクと膿み始めた。

「……」


 今すぐに腐り落ちる訳ではないが、このまま放置するのは良いことではない。

 何らかの手……といっても、取る手立ては一つしかないが、その方法をとるのか……。


 重い沈黙が流れた。


 そんな様子を見かねて、弦月(げんげつ)和尚が言葉をかけた。

澄真(すみざね)は、悪いヤツではない。説明すれば分かってくれる。……あれでも幼い頃は、(あやかし)とよく遊んでおった……」

「……」

 瑠璃姫は黙る。


 《悪いヤツではない》のは十分知っている。


 だからこそ瑠璃姫は、監視される(がわ)でありながら、監視する()()()である澄真(すみざね)と交流を持っているのである。


 信用ならない者であったのならば、人形(ひとがた)をとることも、話をすることもなく、最初から関わってなどいなかっただろう。


 ちょっかいを出しつつも、澄真(すみざね)に話しかけていたのは、一重に幼い頃の澄真(すみざね)を知っていたからに過ぎない。


「……」

 今でも目をつぶると、浮かんでくる。


 愛くるしい笑顔をたたえながら、澄真(すみざね)は、瑠璃姫ともよく遊んでくれた。


 懐かしい思い出に浸り、瑠璃姫は小さく微笑む。

 けれど、それは《人間にとっては》の話であって、《物怪(もののけ)》に対して、と言うことではない。


 《あの頃アイツは、(われ)のことを()……もしくは()()()()()()と思っていたからの……》

 そこが、問題なのだ。



 人の妨げとなるのならば、どんなに大人しい妖怪であっても、今の澄真(すみざね)ならば、眉も動かさず簡単に祓ってしまうだろう。


 気さくに関わっていたのは、相手が妖怪だと気づかなかった子どもの頃だからこそだ。

 大人になり、ましてや陰陽師となった今、澄真(すみざね)がどのように動くかは、見当もつかない。


 最悪なことに、狐丸は今回の火事の原因と思われてしまった。

 いくら言葉を重ねても、解放することなく、祓ってしまうかも知れない。


「瑠璃姫さま……。僕は大丈夫だから」


 苦しげに目を細め、狐丸が呟いた。傷が痛むのか『ううっ』と小さく唸った。


「気づいたのか!?」

 タマが慌てて、狐丸の額の汗を拭く。


 狐丸は、瑠璃姫の言葉に軽く頷いて、微笑んだ。

「う、ん……。さっき……」


 息が荒い。相当きついのだろう。

「……はぁ、はぁ。ねぇ……、瑠璃姫さま……」

 荒い息の間から、呟くように狐丸は呼び掛けた。


「僕、今は、ちょっと辛いけれど、……これ、……慣れたら平気になるから……」

 にこりと苦しげに笑うと、狐丸は続けた。


「このままでも、大丈夫。……僕はここに、瑠璃姫さまやタマや和尚さまと一緒に、いたいんだ。……もう、追いかけられるのは、……嫌……」

 言って、瑠璃姫を見る。


「一人ぼっちに、なるのは……もう、嫌なんだ……だから……ね?」

 狐丸は、暗に澄真(すみざね)を呼ぶな……と言っているのだろう。

 黒狐寺のみんなから離されて、一人寂しく祓われるのは、苦痛でしかない。

 懇願(こんがん)にも似た呟きに、瑠璃姫は、顔をしかめる。



 少し、熱が出ているようだ。目が潤んでいた。

 そんな狐丸を見て、瑠璃姫の表情が曇る。


「……分かった。分かったから、少し眠れ」

 狐丸の目を軽く塞いだ。


「うん……」

 塞がれて、狐丸は大人しくなる。


 大人しくなると言うよりも、力尽きた……と言う方がしっくりくる。白い耳は伏せたまま、狐丸は静かに目をつぶった。


「……」

 いつの間にか、狐丸から軽い寝息が聞こえ始める。

 掛けられた布団が、力なく振るえながら上下している。


「疲れとるんだな……」

 和尚が呟いた。

 タマが悲しそうに、和尚の言葉にこくりと頷く。

「狐丸、すごく頑張ったニャ。みんなを助けようとしたニャ……」


 瑠璃姫は、狐丸をそっと見下ろす。

「……」

 暫く見ていたが、おもむろに顔を上げた。

 そして、和尚に向き直ると、心を決めたように息を吐き、言葉を紡ぐ。


「和尚……。明日、澄真(すみざね)を呼んで欲しい」

「……」

 和尚は溜め息をつくと、瑠璃姫を見る。


 瑠璃姫の決心は、固いようだった。

 弦月(げんげつ)和尚は、軽く頷く。

「……分かった。使いを出しておこう……」

 和尚は小さく呟く。


 その言葉に、タマが口を開く。

「和尚さま! タマが!……タマが今すぐ行ってくるニャん……!」

 ぽんっ! と猫の姿に戻る。


『猫の姿ニャら、すぐ着くニャん!!』

 言って、すぐさま縁の方へ走りよる。


「待て待て! 途中から人形(ひとがた)になるんじゃぞ! お前の尾は、隠せぬからの!」

 駆け抜けるタマに、和尚が叫ぶ。

『分かったニャん!!』


 暗闇の中から、タマの声が遠ざかりながら消えていった。


「……」

 もう、姿は見えない。


 春になったばかりの、冷たい夜は、静かに深まっていった。





 × × × つづく× × ×


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