狐丸の気持ち
「そうか……そんなことが」
呟いて和尚さまは、僕の左手を取る。
僕のその腕には、手のひらから肘にかけ、紙に呪を書いた紐がぐるぐる巻きに巻き付いていた。
「……」
紐の隙間からは、赤黒く腫れあがった僕の肌が、見えている。
さっきは腫れていなかったのに、ひどくなってる。タマが、ギョッとなって、僕の腕を見た。
当然、目の悪い和尚さまには、僕の傷の具合は見て取れない。
見る事は出来ないけれど、和尚さまは元は陰陽師って言ってた。もしかしたら気の流れとかで、腕の異常さは、分かったかも知れない。
「……」
表情は、険しい。
和尚さまは直ぐに、捕縛紐に手のひらを乗せ、何やらブツブツと呟くものの、眉間に深い皺を寄せると、大きく溜め息をついた。
「……狐丸」
僕の名を呼ぶその声に、不吉な響きを感じて、僕は身を強ばらせる。和尚さまを仰ぎ見て、僕は次の言葉を待った。
ゴクリと唾を飲み込む。
どう伝えようかと、和尚さまはしばらく言いあぐねていたようだったけれど、思い切ったように、その口を開く。
「呪が……。呪が強すぎる。……これは澄真にしか解けぬ……」
「!?」
僕はその言葉にショックを受けた。
でもやっぱり……とも思う。もう、どうしようもない。瑠璃姫さまも和尚さまも、もちろんタマも僕にだって解除出来なかった。
もう、諦めよう……。僕はその想いのショックと腕の痛みに耐えかねて、その場に倒れて、気を失ってしまった。
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「どうしたものかの……」
倒れた狐丸を布団に寝かしつけながら、瑠璃姫が唸った。真っ青になった狐丸のその頬を、優しく撫でる。
捕縛紐をはずすには、澄真の手を借りなければならない。しかし、手を借りるとなると、僕の正体を晒すことになる。
「晒せば吾の二の舞だ……」
瑠璃姫は悲しげに呟く。
狐丸は九尾ではないから、磔になるようなことはないと思うが、いずれ同じ道を行くことになるだろう。
何十年も生きた後ならば、覚悟も出来るだろうが、狐丸はまだ幼い。
自由を奪われるのは、酷である。
「はぁ……」
瑠璃姫とタマが、深い溜め息をつく。
「でも、このままだと、腕が落ちてしまうニャん……」
タマが哀れな声を出した。
狐丸の赤黒く腫れた、腕を見る。
時間が立つごとに、腕はジクジクと膿み始めた。
「……」
今すぐに腐り落ちる訳ではないが、このまま放置するのは良いことではない。
何らかの手……といっても、取る手立ては一つしかないが、その方法をとるのか……。
重い沈黙が流れた。
そんな様子を見かねて、弦月和尚が言葉をかけた。
「澄真は、悪いヤツではない。説明すれば分かってくれる。……あれでも幼い頃は、妖とよく遊んでおった……」
「……」
瑠璃姫は黙る。
《悪いヤツではない》のは十分知っている。
だからこそ瑠璃姫は、監視される側でありながら、監視する陰陽師である澄真と交流を持っているのである。
信用ならない者であったのならば、人形をとることも、話をすることもなく、最初から関わってなどいなかっただろう。
ちょっかいを出しつつも、澄真に話しかけていたのは、一重に幼い頃の澄真を知っていたからに過ぎない。
「……」
今でも目をつぶると、浮かんでくる。
愛くるしい笑顔をたたえながら、澄真は、瑠璃姫ともよく遊んでくれた。
懐かしい思い出に浸り、瑠璃姫は小さく微笑む。
けれど、それは《人間にとっては》の話であって、《物怪》に対して、と言うことではない。
《あの頃アイツは、吾のことを人……もしくはただのキツネと思っていたからの……》
そこが、問題なのだ。
人の妨げとなるのならば、どんなに大人しい妖怪であっても、今の澄真ならば、眉も動かさず簡単に祓ってしまうだろう。
気さくに関わっていたのは、相手が妖怪だと気づかなかった子どもの頃だからこそだ。
大人になり、ましてや陰陽師となった今、澄真がどのように動くかは、見当もつかない。
最悪なことに、狐丸は今回の火事の原因と思われてしまった。
いくら言葉を重ねても、解放することなく、祓ってしまうかも知れない。
「瑠璃姫さま……。僕は大丈夫だから」
苦しげに目を細め、狐丸が呟いた。傷が痛むのか『ううっ』と小さく唸った。
「気づいたのか!?」
タマが慌てて、狐丸の額の汗を拭く。
狐丸は、瑠璃姫の言葉に軽く頷いて、微笑んだ。
「う、ん……。さっき……」
息が荒い。相当きついのだろう。
「……はぁ、はぁ。ねぇ……、瑠璃姫さま……」
荒い息の間から、呟くように狐丸は呼び掛けた。
「僕、今は、ちょっと辛いけれど、……これ、……慣れたら平気になるから……」
にこりと苦しげに笑うと、狐丸は続けた。
「このままでも、大丈夫。……僕はここに、瑠璃姫さまやタマや和尚さまと一緒に、いたいんだ。……もう、追いかけられるのは、……嫌……」
言って、瑠璃姫を見る。
「一人ぼっちに、なるのは……もう、嫌なんだ……だから……ね?」
狐丸は、暗に澄真を呼ぶな……と言っているのだろう。
黒狐寺のみんなから離されて、一人寂しく祓われるのは、苦痛でしかない。
懇願にも似た呟きに、瑠璃姫は、顔をしかめる。
少し、熱が出ているようだ。目が潤んでいた。
そんな狐丸を見て、瑠璃姫の表情が曇る。
「……分かった。分かったから、少し眠れ」
狐丸の目を軽く塞いだ。
「うん……」
塞がれて、狐丸は大人しくなる。
大人しくなると言うよりも、力尽きた……と言う方がしっくりくる。白い耳は伏せたまま、狐丸は静かに目をつぶった。
「……」
いつの間にか、狐丸から軽い寝息が聞こえ始める。
掛けられた布団が、力なく振るえながら上下している。
「疲れとるんだな……」
和尚が呟いた。
タマが悲しそうに、和尚の言葉にこくりと頷く。
「狐丸、すごく頑張ったニャ。みんなを助けようとしたニャ……」
瑠璃姫は、狐丸をそっと見下ろす。
「……」
暫く見ていたが、おもむろに顔を上げた。
そして、和尚に向き直ると、心を決めたように息を吐き、言葉を紡ぐ。
「和尚……。明日、澄真を呼んで欲しい」
「……」
和尚は溜め息をつくと、瑠璃姫を見る。
瑠璃姫の決心は、固いようだった。
弦月和尚は、軽く頷く。
「……分かった。使いを出しておこう……」
和尚は小さく呟く。
その言葉に、タマが口を開く。
「和尚さま! タマが!……タマが今すぐ行ってくるニャん……!」
ぽんっ! と猫の姿に戻る。
『猫の姿ニャら、すぐ着くニャん!!』
言って、すぐさま縁の方へ走りよる。
「待て待て! 途中から人形になるんじゃぞ! お前の尾は、隠せぬからの!」
駆け抜けるタマに、和尚が叫ぶ。
『分かったニャん!!』
暗闇の中から、タマの声が遠ざかりながら消えていった。
「……」
もう、姿は見えない。
春になったばかりの、冷たい夜は、静かに深まっていった。
× × × つづく× × ×




