壊れた封印と壊せない封印
──もうダメだ……!
僕の背が、結界に触れる!
ピリッとした感覚が全身を貫いた!
(うわ……っ。……あ、……ん?)
──ぱりん。
「……え?」
ピリッとした感覚はあったが、それだけだった。
先ほどのタマのように、ひどい衝撃はない。
抱きついて一緒に結界の中に入ったタマも、キョトンとしている。
「な……。結界が、壊れたニャん……?」
タマが呟く。
(……あぁ、それで《ぱりん》って……)
思いながら青くなる。
「え? えぇ? 壊れた? 壊したの? 僕……」
フルフルと震える僕。
「もう、古い結界だったニャん。体当たりして壊れたのかも知れないニャ……」
心配する事ニャいニャん! とタマは呑気だが、僕はそうもいかない。
(いったい誰が掛けた結界なのだろう? 和尚さまだろうか? それとも……それとも……)
嫌な予感が全身を駆け巡った。
もしも、澄真なら、また対峙する事になる。
今度こそ祓われても、文句は言えない。僕はサーッと青くなった。
「とにかく良かったニャん。瑠璃姫さまに会いに行くニャん!」
「あ、う。うん……」
僕は、真っ青になりながら、タマと洞窟を下ったのだった。
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『全く……そなたらときたら……』
僕の左腕に巻きついた捕縛紐を取り除くべく、僕とタマは、地下に眠る、瑠璃姫さまの本体に会いに行った。
会いに行った最初の瑠璃姫さまの言葉がコレだ。
……だよね、僕もそう思う……。
僕たちは耳を伏せた。
『はぁ』
瑠璃姫さまは、呆れて溜め息をつく。
『会いたければ、名を叫んでくれれば行けたものを……』
眉を寄せ、唸る。
『それを、結界を壊してまで来るとは……』
「ご、ごめんなさい……。どうしよう……僕……」
僕は項垂れた。とんでもない事をしてしまったと反省する。
これ以上罪を重ねて、陰陽師に睨まれるのは嫌だった。
……だって、陰陽師、めちゃくちゃ強かったんだもん。
『壊してしまったのは、仕方なかろう……。まぁ、澄真も悪いのだ』
瑠璃姫さまは言った。
「すみ、ざね……?」
僕は唸る。また、《澄真》!!
瑠璃姫さまは苦笑する。
『そうじゃ、澄真じゃ。この結界は澄真が掛けたものじゃからの』
「やっぱり……!」
僕は唸る。
どうやっても僕は、逃げられない運命なのかも知れない……!
『……言っておくが、結界はの、そう古いものではない。むしろ新しい。澄真が今日、来たであろ? その時に掛け直したものだ』
「え"」
僕は青くなる。
なんて事してくれたんだ僕は……!
けれど瑠璃姫さまは笑う。
『しかし気に病むな。本来であれば、強固な封印を施すべきであろうが、あやつときたら、軽い封印しか施さぬのじゃ、吾の分子が出てこれないのは辛かろうと言うてな……』
「え? あの澄真がですかニャ?」
タマが驚く。
『そうじゃ、アレがそう言っておった。バカだからの』
「……」
タマは『ニャハハ』って笑ったけれど、僕は笑えなかった。
『……』
瑠璃姫さまは、そんな僕をじっと見る。
「瑠璃姫、さま……?」
何か言いたげな表情だったけれど、瑠璃姫さまは大きく溜め息をついただけで、その話は終わった。
ただ、唸るように、
『今度から吾に用がある時は、吾の《名》を呼べ。それだけで分かるからの。こう見えても吾は、この、黒狐寺を護っておるゆえ、おおかたのことは見えておる……』
僕たちはしゅんとなって頷く。
「分かりました……ごめんなさい」
まるで僕たちが、瑠璃姫さまの力を侮ったかのような状況になってしまった。……そんなつもりはなかったんだけど……。
瑠璃姫さまは、『うむ』と頷く。そして付け加えた。
『これを機に、狐丸はパリンパリンと封印を解くのはやめよ』
「……ぱりん、ぱりん、って……」
まるで破壊神にでもなった気がして、僕は青くなった。
僕たちは、それから事の経緯を瑠璃姫さまに話した。
『狐丸……これは解除出来ぬ……』
瑠璃姫さまは眉をしかめ、申し訳なさそうに小さく呟く。
結局のところこの捕縛符……、瑠璃姫さまですら、対処出来なかった。
「そう、ですか……」
僕は、項垂れる。
予想はついていたけれど、いざそれを目の前に突きつけられると、正直苦しい。
いったい僕は、いつまでこの痛みを耐えなければいけないのだろう? ……そう思うと、恐ろしかった。
けれどどうしようもない。だって、瑠璃姫さまですら、触ろうとすると弾かれてしまうのだから……。
『ふむ。しかしこれは困った。澄真の力は、やはり規格外だの。力が強過ぎて、どうにもならぬ。八尾を封じられている吾では、手も足も出ぬ……』
瑠璃さまは唸った。
「タマも、当然無理ニャん……」
ごめんニャ……と、タマは僕を見ながら、しゅんと耳を伏せた。
僕は弱々しい笑みを浮かべると、二人に言った。
「ううん。大丈夫。……心配してくれてありがとう。……後は自分で何とかするから……」
そう言った。
……だけど分かってる。どうする事も出来やしない。このままこの腕は朽ちていくのだろうと、覚悟を決めた。
「そ、そうニャ! こうなったら、和尚さまに頼むニャ!」
タマが提案する。その提案を聞いて、瑠璃姫さまは溜め息をつく。
『……それしかないだろうな。しかし……』
困ったように顔をしかめる。
言い淀んだ瑠璃姫さまのその言葉が、僕を不安にさせる。何かとんでもない事になりそうな予感がした。
和尚さまは《人間》だ。
和尚さまに助けを求めるって事は、最終的に、澄真に話が行くって事なんじゃないだろうか?
それは、せっかく《狐丸は人間》っていうのを定着させようとしたその試みを、全部台無しにしちゃうような、そんな行動なんじゃないかなって思った。
瑠璃姫さまはそんな僕に気づいたようで、慌てて言葉を濁した。
『あ、いや……何でもない。早速、和尚に会いに行くぞ』
「……」
僕たちは、ひとまず、和尚さまに会うことにした。
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僕が和尚さまの部屋を覗くと、弦月和尚さまは、ちょうど就寝の準備をしているところだった。
「……和尚さま」
僕は、遠慮がちに和尚さまに呼び掛けた。
もう、夜も遅い。正直、もういいんじゃないかなって思い始めている僕がいた。
でも、ここだけ、……和尚さまに相談したら、もう休もう……。そう思っていた。
和尚さまの部屋を開けると、僕と弦月和尚の間を冷たい風が吹き込んだ。
春になったと言えども、朝晩はまだまだ寒い。
和尚さまは、思わず肩を抱く。
「おお寒い。夜風は、老体にこたえるわい……おや? 狐丸かい? ……まだ寝ていなかったのかい?」
見えない目を、僕の声のする方へ向けた。
「帰りが遅かったようだが、ちゃんとご飯は食べたのかい? 残しておいたのだが、分かっただろうか?」
優しく言葉をかけられて、僕は悲しくなる。
人間……陰陽師に酷いことをされ、傷ついた心がふんわりと溶けていくのを感じた。
「和尚さまぁ……」
僕は半分泣きそうになって、和尚さまを呼んだ。
もうどうすればいいか分からなかった。
僕のその声に、和尚さまの顔が曇る。
「狐丸……? どうしたのだ? 何か、悲しいことでもあったのか……?」
「うぐ……ひっく……」
後から後から、嗚咽が漏れた。
泪は出ないくせに、なんでこんなに声では泣けるのだろう? こんな声を出さなければ、和尚さまだって、心配なんてせずにすんだのに……。
僕は悔しくなる。
けれど止められない。
心の奥から溢れ出てくるその声は、嗚咽となって僕を支配した。
こんなにも泣くのは、生まれて初めてのことだ。
普通妖怪は、弱味を見せない。だけど和尚さまの優しさが嬉しくて、僕は我慢することが出来なかった。
夢中で、和尚さまへと駆け寄った。
「うわあぁぁん。和尚さまぁ~……」
堪らず抱きつきながら、ヒクヒクと肩を揺らし、僕は泣いた。和尚さまは突然のことに驚きながらも、僕の背に手を廻して、よしよしと僕を撫でてくれた。
「おぅおぅ……こんなにも泣いて……。どうした? 悲しいことでも、あったのかい?」
和尚さまのあたたかさが、ひどく心地いい。
僕の耳が、ペタリと垂れる。
あぁ。人って、優しい、いい匂いがする……。
スリスリと鼻面を、和尚さまの胸に擦り付けると、ホッと安心感が広がった。
確かに僕は、和尚さまと同じ《人間》に傷つけられた。でも妖怪のそれとは違う、人のあたたかさに、僕は離れがたくなる。
捕縛紐に吸われて、妖力が足りない。完全な人形が取れず、大きな二本のしっぽを出すままにして、僕は和尚さまにもたれ掛かる。
頭にも狐耳がそのままだった。
ぺったりと頭に張り付けてはいたけれど、和尚さまが気づかないわけがない。
そのことに気づいた和尚さまは、眉間に皺を寄せた。
「和尚……」
後ろから、瑠璃姫とタマも静かに部屋へと入って来る。和尚さまの肩が跳ねた。
「おやおや……。これはどうした事だ?」
和尚さまは呟いた。
いつもと違う雰囲気を感じ、ますます和尚さまの眉間の皺は深くなる。
「幻月……実はの……」
呟きながら、瑠璃姫さまは、僕のかわりに、ことの次第を説明をしてくれた。
× × × つづく× × ×




