氷の玉
『ぷはっ!』
ある日僕は生まれた。冬の冷たい寒い夜。
たくさんの雪が積もったその日の夜に、僕は生まれた。
だけど正直に言って、何が起こったのかよく分からない。
僕はいきなりその場所に現れて、気がついたらそこにいた。
『……』
なんで自分がここにいるのか、サッパリ分からない。突然目の前に現れたこの世界に、僕はただ目を見張った。
キラキラ光る銀世界。とても冷たくて静かで、それから凄く綺麗。
そして僕はというと、何か大切なことを忘れているような、そんな気がしてならないんだよね……。うーん、なんだっけ?
何か大切なこと? ……そんな事、あったっけ……?
でもどう考えてみても、僕は今、この瞬間生まれたわけで、何か特別なことを覚えているはずがない。心の中が少しモヤモヤするんだけど、きっとこれは気のせいなんだって思う事にした。
『……』
見下ろして見れば、僕の手足や体はとても小さくて儚げで、どう考えても、僕は産まれたての子どもに違いんだから……。
『……冷たい……』
銀色の雪に包まれ、僕は呟く。
でもね、冷たいものは嫌いじゃない。むしろ……大好き。
僕が生まれた、この冷たい氷の玉の裂け目から、ぴょこりと頭を出す。
うわぁ。辺り一面真っ白!
僕は浮かれる。そして、僕の入っているその氷玉のツルツルのその表面を、少し前足の爪で引っ掻いてみる。
──ガリ……。
氷はものすごぉく硬くって、とても僕の爪なんかじゃ傷つけることなんて出来やしない。
『……よく割れたよな。これ……』
僕は呆れた。だってこれが割れなきゃ、僕は外に出られなかったって事だからね。なんで割れたか知らないけれど、それって奇跡に近かったんじゃないかなって思った。
あ、そうだ。言ってなかった。
僕はキツネだ。真っ白いキツネ。
体がとても小さいから、白い子ギツネってところなのかな?
そして僕は、多分この《雪》から生まれたんだと思う。
だって同じ白色だし、僕の大好きな冷たいモノなんだもん!
それに僕と雪の他にここには、何もない。だからこの雪が、僕のお母さん。
僕は雪に、スリスリと擦り寄った。
雪は柔らかくて冷たくてそれこら気持ちがいい。……そしてね、何故か僕が擦り寄っても、その雪は溶けないんだよ? 不思議だよね。
もしかしたら、何かの力が働いているのかもしれない。消えてなくなって、僕が悲しまないようにって!
僕は何だか嬉しくなる。
だってこの雪も、僕のことを仲間だって認めてくれたように思えたから。
スリスリと雪に頬ずりするのに飽きてきて、僕はゴロンと寝転がってみた。
雪はとても冷たいんだけれど、凄く心地がいい。上を見上げれば、満天の星空が見えた。
まだ雪が少し降っていて、星空と雪とを見ていると、まるでお星さまが降ってきているみたい。
僕は目をつぶる。ずっとこうしていたい気もする。
けれど今の僕はひとりぼっちなんだってことも、嫌というほどに感じられた。
『……』
飲み込まれそうな暗闇。
何もないこの世界に、ただ一人取り残されたような気がして、僕はひどく寂しくなる。
雪は仲間かも知れないけれど、それでもやっぱり、僕と同じ姿の生き物に会ってみたかった。
『……』
誰かいないんだろうか……? 僕と同じ真っ白なキツネ。
僕はコロンと伏せて、辺りを探ってみる。
ふわふわの小さい僕の耳は勝手にぴくぴくと動き、辺りの音を必死に探ってくれた。この耳はとても良い感じ。
遠くで鳴くフクロウの声が聞こえる。ホーッホーッって、とても穏やかな声。
……だけど、それだけ。僕みたいな仲間はどう探ってみても、いないみたい。
僕は少しガッカリする。
どんなに耳を傾けても、なんの音もしない。
穏やかなフクロウの声ばかり。静かな静かな冬の夜。
誰もいない雪野原。物音すらもしない、しーんと静まり返った白い夜。警戒する《なにか》が、あるはずもなくて、思わず溜め息が漏れる。
あぉ、……つまらない。
『……本当に、誰もいないの?』
こてり……と首を傾げて、僕は耳を震わせた。頭についていた雪が、ハラハラと舞う。
『……』
ひとしきり耳を震わせると、僕は改めて辺りを見廻した。
けれど、なんにもない。あるわけない。足跡すらない、まっさらの白銀の世界。いつもと変わらない広いこの世界の中で、僕は本当にひとりぼっちなんじゃないかと思い始めて、急に不安になる。
ひどく恐ろしかった。
本当に誰もいないの?
僕はここだよ?
『……』
悲しくなって耳を伏せる。
それから、くぅんと鼻を鳴らしてみた。誰がこの声を聞きつけて、来てくれるかもって思ったんだ。
だけど、何もいない。
誰もいない。
静かな静かな雪の平原が、どこまでもどこまでも続くばかり。
──とさとさとさ……。
遠くの林の木の枝から、ぱさりと雪が落ちたようだ。
僕はその音にビックリして少し飛び上がる。誰かがいるかも知れない! う思った。期待を込めて、ウキウキと辺りを見廻したけれど、すぐに物音はしなくなる。
『……』
なぁんだ……と僕は再び、鼻を鳴らす。
………………。
……。
。
『あー! もうっ!!』
僕は叫ぶ。
こんな事をしていても、埒が明かない。いっそここから飛び出して、誰かを探しに行こう!
『よし!』
僕は立ち上がる。
じっとここで待っていても誰も来ない。だったら僕から行けばいいんだ!
『そうだ! 仲間を探しに行こう!!』
僕は氷の玉を見た。
ついさっき、僕が生まれた場所。
僕がさっきまで、眠っていた場所。
ここを離れるのはちょっと寂しかったけれど、いつまでもひとりぼっちではいられない。僕は僕の友だちを見つけに行くんだ!
月と星と雪の光だけが、僕を見ていて僕を照らしてくれていた。
静かな静かな、雪降る夜。
だけど、それだけなのは嫌なんだ。
月明かりはとても優しいけれど、何も話してくれない。
冷たい雪もいいけれど、あったかい誰かに傍にいて欲しかった。
──『きっと見つかるよ……』
『!?』
ふと、そんな声が聞こえたような気がした。僕は声の主を探して、辺りを見廻した。
とさとさとさ……と、また雪が落ちた。
けれど近くには、何もなく、
ただただ銀色の世界が、広がるばかり……。
× × × つづく× × ×