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 訓練が終わった後、私は執務室に戻り、ヘーニルとミーミルを呼んだ。


「二人には、もうわかっていると思うが――」


 私は深刻な表情で二人を見た。


「レイは、もう限界だ。今日の訓練を見ただろう。あれはもう、本人の意思で制御できる範囲を超えている」


「うむ……」

 ミーミルが重く頷く。

「わらわが使い続けたいと言ったレイぼうに飲ませた条件――『管理できる範囲で使う』という約束は、もう守られておらぬ」


「じゃから、わしは何度も警告したじゃろう。あれは制御できなくなるぞ、と」

 へーニルが少し怒ったように言う。


 私は訓練場での光景を思い返した。

「幻影魔法で相手の認識を狂わせるだけではなかった。自分自身への暗示も、以前とは比較にならない強度だった。そして何より――」


「敵味方の認識すら、失っておったのう」


 ヘーニルが私の言葉を継いだ。


「あれでは、戦場で味方を斬りかねぬ」


 私は深く息を吐いた。


 レイの気持ちは、わからないでもない。

 あの決戦で、彼は自分の無力さを痛感したのだろう。そして、二度とあんな思いをしたくないと、必死にもがいた結果がまねいたこと。管理責任で言えば、団長代行としての私の責任でもある。

 それが自己破壊に繋がっているなら、団の安全に関わるなら、止めなければならない。


「私が、直接話をする」


 私はそう言い、席を立った。


「ヴァンナ」


 ヘーニルが私を呼び止めた。


「お主は、どうするつもりじゃ? レイを隊長職から外すのか?」


「……いや」


 私は首を横に振った。


「それは最終手段だ。今、レイを外せば、団の士気はさらに下がる。それに――」


 私は窓の外を見た。


「一番苦しんでいるのはあの子自身だ。責任を解くことは、にべもなく受け入れるだろう」


「では、どうするのじゃ?」


「話をする。そして、本人に選ばせる」


 私はそう答え、執務室を後にした。


 * * *


 夜。


 私はレイの部屋の前に立っていた。


 ノックをする。返事はない。


 もう一度ノックをする。やはり返事はない。


「レイ、入るぞ」


 私は断りを入れてから、ドアを開けた。


 部屋の中は暗かった。月明かりだけが、窓から差し込んでいる。


 ベッドに、レイが座り込んでいた。膝を抱えている。眠ってはいなかった。泣いてもいなかった。あのビビりの少年は、ただ、静かに自分を反芻しているようだった。


「……ヴァンナ、代行」


 彼は顔を上げずに鋭い眼光だけを差し向けた。


「何か、御用でしょうか」


 私は部屋に入り、ドアを閉めた。


「今日の訓練のことだ」


「……申し訳ありませんでした」


「謝らせに来たわけではない」


 私は彼の隣に座った。


「私が聞きたいのは、お前の状態についてだ」


 レイの体が、わずかに強張った。


「お前が以前から幻影魔法を自分自身に使っていることは、私も知っている。相手の認識を僅かに狂わせることから一歩進んで、ビビりの自分の恐怖心を抑えるために最初は始めたそうだな。幻影魔法の使い手は世界に少ないが、そんな使い方をしたことがあるのは、世界のお前ひとりだろう。危険だとは思ったが、恐怖心を抑える程度なら、とあの人も、ミーミルも最初許したのだろう」


 あの人、とあえてアネという名を濁したが、レイの体はピクリと動いた。


「……」


「だが、今日の様子を見て、みなが確信した。お前は、もう自分自身を制御できていない」


「そんなことは――」


「レイ」


 私は彼の言葉を遮った。


「お前は、ゲルズを手にかけようとした。訓練だとわかっていたはずなのに。恩人だとわかっていたはずなのに。お前の目には、ゲルズが敵に見えていたのではないか?」


 レイは、何も言えなくなった。


「幻影魔法は、相手だけでなく、お前自身の認識もすでに大きく狂わせている。もう、敵と味方の区別すらついていないのだろう」


 しばらくの沈黙の後、レイはゆっくりと顔を上げた。


 月明かりに照らされたその顔は、やつれ果てていた。目の下には隈があり、頬はこけ、唇は血の気を失っている。男にあまり興味のない私でさえ一瞬見惚れたことのある美少年は、その面影をなくしていた。


「……わかっています」


 レイの声は、小さかった。


「ボクは、もう限界です。記憶もボロボロになっている。昨日のことも思い出せない。今日、誰が目の前にいたのかも、わからなくなる時がある。でも――」


「でも、止められない?」


「……はい」


 レイは頷いた。


「ボクは、ビビりで弱い人間です。怖がりで、すぐに逃げ出したくなる。でもそれは、この団に入って、みんなに鍛えられて、そして何より、あの人に出会って、克服できたとおもっていた。だけどあの決戦で、ボクは何もできなかった。ミナ王女の、ただの囮になることしかできなかった。事態が急変しても、あまりのレベルの違いにただ見ているだけしかできなかった」


「いや、お前は与えられた役割を立派に――」


「もう、あんな思いはしたくないんです!」


 珍しく大声で叫んだレイの声は、掠れ、震えていた。


「もう二度と!救いたい人を救えない、あの無力な自分には戻りたくない。だから、強くなるしかないんです。たとえ、自分が壊れても――」


「救えなかった、何もできなかった。それは私も同じだよ……レイ」


 私は、静かに言った。


「責任を感じるなら、お前のような新参者より、あの場にいた隊長格の私が一番に責を負うべきなんだ」


 ハッとしたように、ようやくレイがこちらに顔を向ける。


「お前に、一つ聞きたい」


「何でしょうか」


「お前は、アネが戻ってきた時、自分がどうなっていてほしいと思う?」


 レイは、言葉に詰まった。


「強くなった自分を見せたいのか? それとも、壊れた自分を見せたいのか?」


「それは……」


「アネは、お前が自分を壊してまで強くなることを望んでいると思うか? それとも、お前が笑顔で出迎えてくれることを望んでいると思うか?」


 レイは、何も答えられなかった。


 私は、彼の肩に手を置いた。


「レイ、お前もアネがあのぐらいでくたばるとは思っていないだろう。転移魔法陣であることは、私もはっきり見た。今まで見たことがないタイプではあったがな。だが、アネの捜索は全世界で続けている。お前も分かっているとおもうが、ここは軍隊ではなくて、冒険者ギルドだ。数々の捜索依頼をこなしてきた超一流の探索者がたくさんいる。まもなくあの人は見つかる。そして、また冗談みたいな強さでみんなを翻弄して笑ってくれるさ」


「でも、ボクは――」


「さっきも言っただろう。責任を一番に感じるべきなのは、私なのさ。だから、私は投げ出さずにやるべきことをやる。だから、お前も自分を投げ出すな」


「でも――」


「えらそうなことをいうのは柄じゃなんだが、一つだけ教えてやる。昔師匠にもらった言葉だ。強さというのは、恐怖を感じなくなることではない。恐怖を感じながらも、前に進むことだ」


 私は、まっすぐにレイの目を見た。


「今のお前は、恐怖を感じないようにするために、わざと自分を壊しているように見える。もう一度言う。自分を投げ出すな」


 レイは、何も言わなかった。


「この先、何を選択するかは、お前に選ばせたい。だが、私は、お前なら、今よりもっといい幻影魔法の使い方を編み出せると思っている」


「……できるでしょうか」


「できる」


 私は立ち上がった。


「明日、ミーミルに診てもらえ。そして、しばらく訓練を控えろ。記憶が安定するまで無理はするな。これは命令だ」


 レイは、ゆっくりと頷いた。


 私は部屋を出る前に、もう一度振り返った。


「お前は、よくやってくれている。みなの士気も、お前の成長に支えれれているところもある。だが、これからは自分を大切にしろ。それが、今の最優先任務だ」


 その言葉を残して、私は部屋を出た。


 誰もが、自分なりの戦いをしている。


 レイは、かつての弱い自分と戦っている。


 私は、アネの不在という現実と戦っている。


 だが、一人で戦う必要はない。


 窓の外を見ると、月が雲の合間から現れ、美しい光の束をおろしていた。美しい。そう、かつて密かに想いを寄せたエルフのあの女性のように。私の迷いは、私情から来ているわけではない。そんなことをこれまで何千回も自分に言い聞かせてきた。だが、そろそろ私も自分のあり方を改めるときなのかもしれない。


 アネが戻ってくる日まで、この団を守り抜く。レイも、ゲルズも、ヘーニルも、ミーミルも。この団の皆を、守り抜く。

 それが、あのとき、何もできなかったの私の使命だ。


 私は拳を握りしめ、執務室へと向かった。まだ、やるべき仕事は山ほどある。

 『笑う玩具箱』は、まだ笑い方を忘れていない。

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