過剰
翌日。
全体訓練が行われることになった。新体制のお披露目を兼ねた、実戦形式の模擬戦だ。
私は訓練場の隅に立ち、腕を組んで様子を見守っていた。周囲には、残留した団員たちだけでなく、新しく入団した若手たちの姿もある。
彼らの視線の多くが、一人の青年に注がれていた。
レイだ。
今日の対戦相手は、かつての上官であり、今は重装歩兵隊を率いるゲルズだった。
「レイ! 遠慮はいらねぇ、本気で来な! その細腕で私の盾が割れるか試してやるよ!」
ゲルズが身の丈ほどもある巨大な盾を構え、挑発するように笑う。彼女らしい、豪快で気さくな態度だ。かつてレイに戦闘における心構えを教えたのも、彼女だった。
レイは無言で剣を構える。
その表情を見て、私は眉をひそめた。
いつもの、少しビビりながらも勇気を持って前を向くような、覚悟を決めたような表情がない。以前からのビビり癖がなくなったのは結構なことだが、何か気に掛かる。無表情。いや、表情がないわけではない。ただ、そこにあるのは――感情のない、冷たい何かだった。
私の隣に、ミーミルが立っていた。彼女も心配そうにレイを見つめている。
攻撃魔道士のへーニルには副官に立ってもらったが、この双子の回復術師ミーミルも古参の団員で、私が頼りにしている存在だ。団員全員のことに細かく目を配り、気にかけてくれている。
「ミーミル、レイの様子は?」
「……よくありませぬな。記憶の欠落も進んでおるようじゃ」
「そうか……」
私は小さく息を吐いた。やはり、もう限界が近いのだろう。
「始め!」
審判役のバジルの号令が響いた瞬間だった。
レイの姿が消えた。
「なに!?」
私は思わず声を上げていた。私の動体視力でもギリギリ捕捉できたほどの速度で、レイはゲルズの懐に潜り込んでいた。何が起こったのか分かった団員は、この場に両手の指の数ほどにも満たないだろう。
以前から速かった。だが、これは――以前の比ではない。さらにゲルズの動きが明らかに乱れている。幻影魔法だ。レイは相手の認識を狂わせている。いや、以前からの使い方ではあるが、高位のレベルを有するゲルズには通用しなかった技だが、効いている。
「なっ!? どこだ!?」
ゲルズが驚愕の声を上げ、反射的に盾を動かそうとする。だが、彼女の動きは明らかに的を外している。レイの幻影魔法が、彼女の空間認識を完全に狂わせているのだ。
レイの模擬刀が、唸りを上げてゲルズの盾をすり抜けて、次の瞬間――
バギィィィン!!
金属の悲鳴のような破砕音が訓練場に響き渡った。
ゲルズが身につけていた訓練用の分厚い甲冑が、剣の形にひしゃげて凹んでいた。
「ぐおぉッ!?」
ゲルズの巨体が吹き飛ばされ、地面を何度も転がる。訓練場が静まり返った。誰もが、何が起きたのか理解できないという顔をしている。
私も、呆然と立ち尽くしていた。
あの甲冑をを凹ませるほどの力。そして、あの速度。あれは、あきらかにこれまでのブーストと違う。自分自身の脳に対する制限解除が、以前とは比較にならないほど行き過ぎているのは明白だ。
訓練用とはいえ、あの鎧は、重装歩兵となったゲルズの特注品だ。実戦でも勘が狂わないように、重さも硬度も同じにしてある。それを、模擬刀で、一撃で破壊した?
それに、幻影魔法だ。相手の認識を狂わせ、タイミングを見誤らせる。だがそれはゲルズのような隊長格の高レベル団員には通用しなかった。いや、分隊長クラスや上位の団員相手でも完璧には難しい。
「……いかん」
隣でミーミルが呟いた。
「あれは、もう制御を失っておる。相手への幻影も、自分への暗示も、全てが暴走しておるわい」
その言葉が終わらないうちに――
「勝負あり! レイ、下がれ!」
バジルが入って叫んだ。倒れたゲルズに向かって、彼は歩み寄っている。その目には、何の感情も浮かんでいない。
「レイ!」
私も思わず叫んでいた。
だが、彼には聞こえていない。
レイは模擬刀を逆手に持ち直した。そして――倒れて苦しんでいるゲルズの喉元へ、躊躇なく切っ先を突き下ろそうとした。レイの中では、ゲルズはもう「仲間」ではないのだ。自分自身の脳にかけた幻影魔法が、敵味方の認識すら狂わせているのだから。
「やめろぉぉぉッ!!」
重装歩兵隊の副長が、咄嗟に身を呈してレイにぶつかった。
二人はもつれ合うように地面を転がる。
レイの模擬刀は、地面に深々と突き刺さっていた。もし副長が動かなければ、ゲルズは――
私は走り出していた。
訓練場を横切り、倒れたレイの元へ。
「レイ!」
襟元を両手でつかみ、引き上げる。そして、目を見つめる。
その目が、私を見た。
だが、そこには何の認識もなかった。――空虚な瞳。
「……あ」
やがて、その目にゆっくりと焦点が戻ってきた。
周囲の状況を理解したのだろう。レイの顔が、恐怖に歪んだ。
「レイ……お前……」
ゲルズが、戸惑うような、憐れむような表情で見ていた。
周囲の団員たちも、同じだった。
「……すみません。熱くなりすぎました」
レイはそれだけを言い残し、逃げるように訓練場を去っていった。
その背中を見送りながら、私の拳は強く握りしめられていた。




